リピカの箱庭
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シェリダンに着くとひとまず技術者の面々に会いに行った。地殻に沈めるタルタロスの準備は済んでおり、あとはアルビオールに圧力中和の音機関を取り付ければ準備は完了だとか。すぐに準備態勢に入ることになり、私はガイラルディアたちと一旦別れた。準備が始まったのなら事が進む前に叔父様に会いに行った方がよさそうだ。狼煙が上がるのが作戦開始の合図なので、それを見逃さなければいいだろう。
ちなみに導師も留守番にするとかなんとか話があったけれど、結局同行することになったようだ。イオンがいればダアト式封咒についての懸念はないのだから、体が弱い導師が付いていかなくてはならない理由はない。それでもついていくのは、もしかしたらイオンが代替品になるのが嫌なのかもしれない。
代わりに作られたレプリカだとして、オリジナルのイオンがそのまた代わりになるなんて存在意義の消滅にすら等しい。彼が彼のアイデンティティを保つためには必要なことなのかもしれない。イオンだってそれを分かっているのだろう、導師がついていくことにはむしろ賛成していた。
その辺りは私には決定権もないし、口出しする気もない。イオンが導師と友好的な関係を築けているのは意外と言えば意外だけれど。ルークとアッシュはああなのに、やはり居場所を追われたか捨てたか、アイデンティティの絡みは複雑である。

さて、シェリダンは全く馴染みのない街ではあるけれど、そう彷徨い歩かずには済んだ。ジョゼットがこちらを見つけてくれたからだ。
「伯爵にエドヴァルド様!?何故ここにいらっしゃるのですか?」
「ガイラルディアに頼んで連れてきてもらいました。フェルナンド殿にも挨拶をしたいので」
「そんな……いえ、和平の条約を結んでから来られたんですよね?わかりました」
一人で納得してジョゼットは頷いた。それから街中の明らかに研究者ではない者たち――おそらく傭兵団のメンバーである彼らの視線を集めているのに気がついて咳払いする。
「なにを不躾に見ているのです。この方は私の主。つまりはあなたがたの雇い主です。敬意をもって接しなさい」
「といってもなあ、ジョゼットの姉御」
姉御!?私はついジョゼットを見た。姉御って呼ばれてるのか……。一応は元貴族のお嬢様なのに。いや、それを言ったら元貴族の伯爵様が傭兵団を率いているというのも妙な話ではあるが。
「こんな姉御より年下のお嬢ちゃんだとは思ってなくてさあ」
「ですから無礼な口を利くなといっているのです!」
ジョゼットは憤るが、ジョゼットのことを舐めていなくてもこちらを舐めていたら当然彼らの態度は変わらない。傭兵というのはお金で動くものだが、それ故に実力主義で命知らずだ。これくらいなら蹴散らせるが、少なくとも私は騒ぎを起こすつもりもない。
「まあジョゼット、落ち着きなさい。あなたがたも安心なさい、無礼を働いたからといってすぐさま首を飛ばす趣味はありませんから」
後ろでエドヴァルドが殺気立っているのは知らないが。するとへらへらと笑っていた傭兵はぴたりと口を閉じた。
「さあジョゼット、フェルナンド殿のところへ案内を。くだらないお喋りに付き合うつもりはありません」
「は。こちらに」
ジョゼットの先導で街の中心部へ歩いていく。どうやら今は使われていない研究棟を間借りしているらしい。
「申し訳ありません、伯爵。いかんせん傭兵というのは躾が難しくて」
「騎士団のように規律だった軍団だなんてはなから期待もしていませんよ。あなたは驚いたかもしれませんが」
「本当ですよ……」
ジョゼットも彼らには手を焼かされたらしい。とはいえ姉御だなんて呼ばれて慕われているのは彼女の手腕だ。人を指揮するのにも向いているタイプなのだろう。もともと将軍になるはずだったのだし。
そうこう喋っているうちにたどり着いた部屋では一人の男性が机に向かっていた。私はふと思い出す。お母さまは、この人と同じ色の髪をしていたのだっけ。もう顔もおぼろげな母の姿がわずかにその人と重なった。
「レティシアか!わざわざこっちまで来てくれるとは思わなんだ」
立ち上がって朗らかに笑う叔父様に、私も笑みを返した。
「お久しぶりです、フェルナンド殿。此度は協力いただき感謝しています」
「いいや、感謝をするのはこちらだ、ガルディオス伯爵。貴卿のおかげでこうしてまた娘とまみえたのだ」
それは私がジョゼットをここにやったからというだけではなく、そもそもの発端でもあるマルクトへの亡命事件のことも指しているのだろう。あのことに叔父様はマティアスと同じく罪悪感を抱いているように見えた。亡命事件のときに寄越してきた手紙を信じるなら、それより前から私は同情的だったのだろうけれど。
「我が娘はあなたのお役に立っただろうか、ガルディオス伯爵」
「……ええ、とても。あなたの力を借りられたことも喜ばしく思っています」
「なら、これ以上の喜びはないな」
叔父様は私をじっと見つめて、ぽつりと呟いた。
「ガイラルディアはジグムント殿に似たが、レティシアは姉上似だな」
「そうですか?あまり言われませんが」
ちらりとエドヴァルドを振り返る。エドヴァルドもどちらかというとお父さまに似ていると言っていたし、今もお母さまには言うほど似ていなくないか?という顔をしている。わかりやすい。
「では俺が言うしかないなあ。レティシア、お前は姉上によく似ている。姉上もこれくらいの背丈だったな」
「そこですか?」
「はは、そうだよ。苦労性なのも姉上に似ているな。これきりではなく、力になれることがあればなんでも言ってくれ。俺の全力を尽くそう」
真っ直ぐに射抜かれて、私は一瞬たじろぎそうになった。マティアスと同じ――そう思ったが、やっぱり違う。ジョゼットともまた違った。
叔父様はお母さまのことをよく覚えている。そしてかつては伯爵の位についていた人だ。だからか、覚悟の度合いがジョゼットたちとは違うように見えた。
全てを失った叔父様にとっては、今はそれだけが生きる理由なのかもしれない。私をお母さまに似ていると言ったのも、きっとそうだ。
「では、今はこの街を守ってください。必ず妨害が入ります」
「神託の盾の奴らか?」
「はい。グランツ謡将配下の兵士たちが――」
「団長!」
バタン!と音を立てて傭兵が転がり込んできた。「何事だ」冷静に問う叔父様と対照的にその傭兵はひどく焦っていた。
「大変です!神託の盾の奴らが!」
「……遅かったようですね」
こんなに早く神託の盾の襲来があるとは。私は叔父様と顔を見合わせた。
「フェルナンド殿、住民に被害が出ないように頼みます。ジョゼットは叔父様につきなさい。エドヴァルド、我々は作戦の状況を確かめます。行きますよ」
「はっ!」
タルタロスを沈めるのが間に合わないというのが最悪のパターンだ。急いで研究棟を出る。気持ちが焦るのをどうにか落ち着かせようとしたが、無理だ。ぐるぐると渦巻くこの予感はなんなのか。
「ヴァンデスデルカ……」
口の中でつぶやく。もう来ているのだろうか。私は――彼に、何と言うべきなのだろうか。
分からないままここにいる。時間はもうなかった。


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