ラーセオンの魔術師番外編
シュガー&スパイス

※バレンタインネタ(元拍手お礼SS)
※本編後

本から顔を上げて、ふと窓の外を見ると雪がちらついていた。通りでずいぶん寒い。部屋の暖炉は煌々と燃えているけれど、集中が途切れてしまうとなんだか寒さが肌に突き刺さるようだった。
「ゼロスは大丈夫かな」
つい独り言を零してしまう。寒さもあるけれど、ゼロスは冬が苦手だ。今日も王城にいるはずだから迎えに行こうか――そう考えたが、私はあまり王城の人間に良く思われていない。別にあんな魔術を無差別にぶっ放すほど危険人物じゃないんだけど、後ろ暗いところのある連中はそう思っていないらしい。あまりうろつかないほうがいいだろう。
と、なると。立ち上がって部屋のキッチンを覗く。
私室として使っているこの部屋は、婚約者時代に与えられていた部屋とはまた別だ。あそこも全く不便はなかったので構わないと言ったのだけれど、女主人の部屋はより上等であるべきだというゼロスの主張によって広くて簡易キッチンやバスルームのついた部屋に移動させられていた。まあ、あるのなら使うし構わない。
キッチンには茶葉やコーヒー豆、日持ちするお菓子なんかを常備しているし、水は魔術で出すことができる。なのでお茶くらいならここで事足りるんだけど。
「牛乳がないな」
冷蔵庫があるわけじゃないので流石に常備しておけない。私は部屋を出ると屋敷の厨房へ向かった。
「お姉さま。お兄さまが帰ってこられたのですか?」
途中でばったりとセレスに出くわして声をかけられる。屋内でも体の弱いセレスはもこもこに着込んでいるのでかわいい。
「ううん、まだだよ。でもそろそろかと思って、ちょっと準備をね」
「準備、ですか」
「セレスもおいで」
手招きするとセレスは素直についてきた。修道院で暮らしていたとはいえ、お嬢様のセレスにとっては厨房なんて珍しいのだろう。きょろきょろとあたりを見回している。
「ちょっとそこのあなた。少しいいですか?」
「奥様!それに、お嬢様も。どうかされましたか?」
料理人の一人を呼び止めるとびくりと肩を跳ねさせる。私も普段は厨房に立ち入ったりなんてしないので、何を言われるのかと警戒しているようでもあった。奥様、とか言う割にはものすごくめんどくさそうでもある。敬意のかけらもない。
「ちょっとほしいものがあるのですけど」
「ああ……分かりました。少々お待ちください」
そう頼むと料理人は手早く準備して渡してくれた。まあ、多分私をさっさと追い払いたかったんだろう。世界が統合されて、ゼロスたちの働きでハーフエルフを不当に罰する法が撤廃されたと言え、まだテセアラではハーフエルフに対する蔑視は激しい。私がワイルダー家に正式に嫁いできたといっても、使用人のほとんどは私に対していい顔をしないのだ。
これもそのうち変わるかなあと他人事のように考えながら、でも私も正直家を離れていることが多いのであまり積極的な介入ができない。むしろずっと家にいるセレスのほうが怒っていた。
「あんな顔をするなんてお姉さまに対して失礼ですわ!メイドたちも私の前でお姉さまの悪口を言っていましたのよ。信じられません!」
「まあまあ、人は簡単に変わらないよ、セレス」
「でもっ!お姉さまはお嫌ではありませんの?それにお姉さまだけではありませんわ」
「ん?」
セレスはびしっと指を突きつけてきた。行儀が悪いが、それくらいセレスは怒っているらしい。
「このままではお姉さまがワイルダー家の後継ぎをお産みになられても軽視されかねません!」
「……あー」
それは、まあ、困る。いや、私は自分がワイルダー公爵夫人として権力を得たいとかそういう気持ちがないので自分が軽視されててもゼロスのそばにいられればいいのだけど、子どもができたら確かに話は別だ。私のせいで子どもが軽んじられるというのはよろしくない。
「と言ってもねえ。どうすればいいのやら」
自室に戻ってキッチンに立つ。セレスが覗き込んできたけど、彼女に包丁を握らせるのは怖いのでやめておこう。私はするするとショウガのかけらの皮を剥いて薄切りにした。それに砂糖をまぶしてしばらくおいておく。水分が出たら火にかけて、ショウガシロップを作るのだ。
「私も社交界でお姉さまが素晴らしいお方であるという話はしているのですが」
「え、そうなの?」
セレスがそんな活動をしていたとは。もともとセレスは修道院に入らなければ社交界の華になると言われていたくらい眉目秀麗文武両道のスーパーお嬢様なので、ブランクがあるとは思えないくらい立派に社交をしているようだ。私はそのあたりさっぱりで、ユアンと世界樹の結界やマナの調整をする仕事くらいでしか役に立てず、セレスに大いに助けてもらっているというところはある。適材適所ってやつだ。
「もちろんです。お姉さまがいなければいつどんな危機が起こるかわかりませんわ。それを皆に分かってもらわなければなりません」
「まあ、難しいけどね」
「やらないよりはずっといいですわ」
例えばパルマコスタの人たちなんかは、私が結界で街を護ったのを目の当たりにしているのでハーフエルフであろうと私を尊重してくれる。けれどメルトキオの貴族たちは、実際の危機がどれくらいだったとか、はっきりわかっていないんじゃないんだろうか。ひとは目に見えるものしか信じられないし、考えを変えるのは難しいのだ。
手元でスパイスとココアの粉を混ぜて少量の牛乳と練る。なめらかになったら牛乳と砂糖を更に足して、弱火にかける。だんだんとココアの香りが部屋に漂い始めた。
「リフィルたちも頑張っているんだし……私もできることはしないとか」
沸騰直前で火からおろして、ショウガシロップを足す。よく混ぜてから中身の半分をマグカップに移してセレスに手渡した。
「はい、どうぞ」
「これは……」
「雪が降るくらい寒いからね。ゼロスに作ろうと思って」
「では私は味見係ですわね」
微笑んでセレスが口をつける。普通のココアよりはスパイシーだけれど、ショウガが入っているから体もあたたまるだろう。
そうしていると外がなにやら騒がしくなった。私はセレスを部屋に置いて部屋の外に出る。
「どうかしましたか」
「奥様!危険ですからお下がりください」
若い執事が私のいく手を阻む。危険?何やら不穏な気配だ。
「ハーフエルフの魔女はどこだ!出てこい!」
怒鳴り声が聞こえる。さしずめ不審者が屋敷の中に入り込んだというところか。そして狙いは明らかに私である。
「……私を探しているようですが?」
「ですが、」
「こいつがどうなってもいいのか!」
若い執事はびくりと階下に視線を向けた。顔を隠す覆面を被った人物がメイドを羽交い絞めにしている。そして首元には刃物が付きつけられていた。やれやれ。
「セレスが部屋にいます。ここから動かないように」
顔面蒼白な執事の横をすり抜けて階段を降りる。屋敷の使用人たちから向けられる視線は悪感情ばかりだ。でもねえ、こんな簡単に不審者が侵入したということは内通者がいると思うんだけど。
「はいはい、ハーフエルフの魔女ですよ。ご用なら夫を通してくださいませんと困ります」
「貴様がレティシア・ラーセオンか!神子を誑かす不届き者め!」
不審者の前に立つと唾を吐いて喚き散らしてくる。この話、何度目だろうな。私は肩を竦めた。
「そもそも神託が降って婚約者になったのですから、誑かすなんて人聞きの悪い」
「うるさい、黙れ!ハーフエルフなんぞ、生きている価値もない!」
「別にあなたなんかに価値を認めてもらいたいなどと微塵も思いません」
「なんだと!」
多分この人が信仰している女神マーテルもハーフエルフなんだけど。私はぱちんと指を鳴らした。
「とにかく、そのお嬢さんは関係ありませんよね。ハーフエルフではないのですから。さっさと離しなさい」
「ふん、この女の命が惜しければ動くなよ。おい、そこのお前!」
私と不審者を遠巻きにしていたうちの一人の兵士に、男が声をかける。兵士はびくりと肩を揺らした。
「このハーフエルフを刺せ!」
「な……っ!」
「早くしろ!」
人質を取った不審者は強気だ。兵士はよろよろとこちらに歩み寄ってきて、剣を抜いた。
「も、申し訳ありません……奥様ッ」
「やめろ!」
駆け付けたセバスチャンが制止するが、兵士は止まらない。申し訳ないとか言う割には迷いのない剣戟だ。
が、遅い。その剣は私に届く直前にピタリと止まった。
「ネズミにしては演技が下手ですね」
一瞬にして氷漬けになった兵士は目を見開いている。私が不審者に向き直ると、その男は激昂してメイドに刃を振りかざした。
「き、貴様!よくも!」
「きゃあっ!」
「……ッ、何!?なんだ、これは!」
しかしその刃もメイドには届かない。何かに阻まれるようにがつがつと音を立てるだけだ。
「無駄ですよ。私を誰だと思っているんですか」
ぱき、と氷が男の足元から侵食していく。男は恐怖に顔をひきつらせた。
「ま、魔女……!」
「ワイルダー公爵夫人と呼んでくださいよ。まったく」
男は完璧に凍り付き、解放されたメイドはその場にへたり込んだ。しん、とあたりが静まり返る。誰も動こうとしない。仕方ないので私は振り返って、唯一信用できる老執事の名前を呼んだ。
「セバスチャン!後片付けを頼みます」
「はい、奥様」
みんな呆けているようだったが、セバスチャンはさすがきびきびと動き始めた。私はメイドのそばに膝をつく。
「怪我はありませんか?」
「お、おくさま……」
セレスと同じくらいの年頃だろうか。怖い目に遭ったのだから声をかけるなら男性よりも女性のほうが怖くないだろうと思ったのだけれど、良く考えたら氷漬けにした私を恐れていてもおかしくない。
と、思ったが。
「か、かっこいい……!」
「はい?」
顔を上げた彼女はきらきらと目を輝かせていた。
「えっ、あっ、ありがとうございました!奥様こそお怪我は――」
「レティシア!」
メイドの少女はすぐに我に返ったようだったが、割り込んできた声に私は反射的にそちらを振り返った。
「ゼロス。おかえり、おつかれさま」
丁度帰ってきたらしい、外套も脱がずに駆け寄ってきたゼロスに抱きしめられる。
「わっ」
「大丈夫か!?」
「見ての通りです」
安心させるために私もゼロスを抱きしめ返す。雪の日は、ゼロスにとってトラウマだ。そんな日にワイルダー邸に襲撃があったと知れば、私の実力がどうであれ心の傷は疼くのだろう。
「怪我も何もないし、安心して。ね?」
「レティシア……」
「ゼロス。もう、動けないよ」
仕方がないのでメイドの少女には目配せする。彼女は何かに気がついたようにはっとして、それからキリッとした顔で頷いた。あんまり引きずっていなさそうだし、怪我も無いようだったから大丈夫だろう。
ゼロスはしばらく私の肩に顔をうずめていたが、やがて私をひょいと抱えあげた。
「部屋行くぞ」
「あ、部屋って」
セレスがいるんですけど。そう告げる間もなくゼロスはずかずかと私の部屋に上がり込んだ。ちなみに若い執事はしっかり私の言いつけを守って部屋の前で警護してくれていたようだ。
「お姉さま!ご無事ですか!?」
そしてセレスに事態を報告してくれたらしい。ゼロスとセレスに囲まれて、私は身動きできなくなった。
「大丈夫だって、不審者は撃退したし、あとはセバスチャンに任せておけば」
「お怪我がないならよかったです。……その、お兄さまは?」
私をソファに下ろしたゼロスは引っ付いたままだ。どうにかマフラーだけは外してやるけど、このままではコートも脱がせられない。
「まあ、あんまり気にしないで。外にいる執事に部屋に送ってもらいなさい」
「わかりましたわ。ココアごちそうさまでした、お姉さま」
セレスがそう言って部屋を出て行く。私はゼロスのぬくもりを感じながら、彼が落ち着くまで髪を撫でてやっていた。王城に行っていたからかいつもより香水の匂いが強い。でも知らない匂いではなく、ゼロスが愛用しているそれだけが香る。匂いが移るようなことはもうしていないからだろう。
「レティシア……」
ようやく顔を上げたゼロスは眉を下げて弱り切った表情をしていた。
「なあに?」
「悪い……」
「いいの。もう平気?」
「もうちょっと」
と言いつつまだ腕は絡めてくる。それを緩く解いて、とりあえず外套を脱がせてやった。雪のせいでちょっと濡れていたし。
「なんかいい匂いする」
されるがままになりながら、ゼロスが部屋を見回して鼻を鳴らした。私は微笑んで答える。
「ココア用意してたの。飲む?」
「ん、飲む」
「じゃあちょっと待ってて」
視線は感じるものの、ゼロスはもう縋りついては来なかった。今日はたまたま雪が降っていたからあんなに取り乱したんだろうけれど、思ったよりすぐ落ち着いてくれてよかった。キッチンで手早くココアを温め直してすぐにソファに戻る。マグカップを渡すとゼロスは「さんきゅ」と受け取った。すぐに口をつけて、ほうと息を吐く。
「甘すぎなくてうまいな。セレスにこれ飲ませてたのか?」
「そう。本人曰く味見係」
「ふ、仲いいよな、相変わらず」
頬を緩めるゼロスはいつもより幼く見えてかわいい。マグカップを両手で抱えながら寄りかかってくるゼロスは、中身を半分空にしたところでぼそりと呟いた。
「ネズミは今度こそ炙り出してやらなきゃあな……」
「無理はしないでね」
「だーいじょうぶだって。レティシアが帰ってくるこの家くらいまともにできなきゃワイルダー卿は名乗れねえよ」
瞳の奥がぎらついているので、ゼロスは本気でこの家にもぐりこんだ過激派を一掃する心づもりのようだ。アレ以外にもネズミがいるのは……まあ、あり得ない話ではない。というか当然だった。あれだけで済むわけがないというか。
「リーガルの旦那にも相談するか。うし、そうと決まれば――」
「まだ仕事するの?今日はもう休んだら?」
やる気のところ悪いが、私はゼロスの腕を引っ張った。振り向いた唇に軽く触れる。
「ね」
「……そうします」
大丈夫、というのは本音なのだろうけど、単純に私が心配なだけだ。カップを置いたゼロスがのしかかってくるのを抱き止める。この人の心の柔いところに触れさせてもらっているというのは、とんでもない優越感を与えてくれる。なので私はやっぱりゼロスを甘やかすのが好きだ。

後日、例のメイドの少女を私付きと紹介され、妙にキラキラしたくすぐったい視線に晒されまくることになった。……まあ、一歩前進したんじゃないでしょうか。


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