リピカの箱庭
ION/05

アッシュがやってきたことでヴァンとの対話は終わり、一行は導師から預かったものがあると言うアッシュに従い宿に戻ってノエルとアリエッタとも合流した。
「イオンさまっ!」
飛び出してくるアリエッタにイオンもほっと息をつく。イオンがちらりとアッシュを見るとあまり興味がなさげに肩を竦められた。
「そいつの能力は役に立った。チャラにしてやる」
「……伯爵が傭兵たちを準備していたのはお前にとっても役に立っただろうしね」
「まったくだ。ガランは何を見ているんだ……」
一瞬何か考え込むそぶりを見せたアッシュだったが、すぐにジェイドに向き直る。導師からの、地殻降下の手掛かりなるだろうという禁書を受け取るのを眺めながら、イオンはアッシュとガルディオス伯爵の関係についてなんとなく考えていた。ガルディオス伯爵は一度顔を合わせただけと言っていたが、それにしてはアッシュは彼女を気にかけているように思える。
自分には関係ないことだが――そう考えながらもイオンは改めて一同を見渡した。マルクト軍人のジェイドと、もともと貴族であり兄でもあるガイはともかくとして、ガルディオス伯爵はティアとも知り合いらしい。それは先ほどのガイが言っていたヴァンがガルディオス伯爵家に仕える家の出身であるということに関係するのだろうか。
ヴァンの口ぶりからして、ヴァンはアクゼリュスでガルディオス伯爵を助けるつもりだったようだった。それはあの場にいたイオンも知っている。
「ノイ?」
禁書の内容はジェイドが解読すると決まったところでルークが考え込んでいるイオンに気がついて声をかけてきた。その視線を素通りして、イオンはガイを見つめる。
「……ヴァンデスデルカって」
「!」
「ヴァンの本名?アクゼリュスでヴァンが伯爵を助けようとしてたってのは本当だ。でもなんでキムラスカ王族より、元主君のあんたより、あいつは伯爵を優先してるんだ」
その場の視線がガイに集まる。ガイは眉間にしわを寄せてから、困ったように眉を下げた。
「……その話はなあ」
ガイは本人のいないところで勝手にペラペラと喋るのが嫌なのだろう。言いにくそうにする気持ちもイオンにはわかったが、今は逆効果と言えた。
「そうですねえ、そもそもあなたがグランツ謡将と同志であるということは聞き捨てなりませんからねえ」
「ジェイド!」
ルークがジェイドを咄嗟に咎める。だがアニスも同じく疑いの眼差しをガイに向けていた。
「というかぁ、総長とガルディオス伯爵さまが繋がってる……ってこともありえますよねえ?大佐」
「アニス!何を言っているの」
「なんでティアが怒るの?なーんか怪しいと思ってたけどぉ、ティアと伯爵さまは知り合いだったってこと?総長の妹のティアと伯爵さまにつながりがあるってなると、ますます……」
「アニス」
静かな声がアニスを制止し、アニスはとっさにジェイドを振り向いた。はるか上から、いつもよりいくらか冷え冷えとした声が降ってくる。イオンにとってもひどく冷たい刃に思えた。
「ガルディオス伯爵がグランツ謡将と繋がっているということはないでしょう。……そう器用なら、ああ苦しむことはなかったはずだ」
「ジェイド?」
後半は誰にも聞かせないほどの声量で呟いたジェイドに、ルークが首を傾げる。一方でガイは深くため息をついた。
「俺はともかく、レティを疑われるのは困るね。……ヴァンの本名はヴァンデスデルカ。ヴァンデスデルカ・ムスト・ファンデ。ガルディオス家に仕える騎士、フェンデ家の息子だった」
そう語り出したガイにジェイドだけが何かに気がついたようにはっと目を見開いたが、他の一同は気が付かなかった。
ヴァンデスデルカ……口の中でイオンは復唱する。栄光を掴む者。
「あいつは俺とレティの幼なじみみたいなもんでね。レティはよくヴァンに譜歌を詠ってもらっていたくらいだ」
「兄さんが伯爵さまに譜歌を……」
今は亡いホドを脳裏に描き、ガイは頷いた。もうおぼろげな記憶だ。今の二人が重なり、しかしそれがあり得ないということはガイ自身がよく知っていた。
あの日、すべてが失われた。もう戻ることはできない。
「レティはホド戦争が起きる前――俺の五歳の誕生日の数ヶ月前にグランコクマに療養に移った。だが、本当の理由は違った。レティはホドにあった譜術研究所に勝手に潜り込んで、そこにいたヴァンを連れ出そうとしたらしいんだ」
グランコクマの屋敷でエドヴァルドから聞いただけだ。実際に何があったのかは、ガイも知らないことだった。
「五歳の誕生日の前って、四歳のときだよね?四歳で研究所に潜入って……」
「レティはそのときすでに譜術も使えたからな。まあ、あそこまで突拍子もないことはしなかったけど」
「天才ってやつ?」
「ガルディオス伯爵は戦争の後に難民を取りまとめましたのよ。それくらいはできたのではありませんか?」
「貴族さまってタイヘンだね」
ふうんとアニスが頷く。きっとそれは一部の貴族だけだろうとガイは思う。現に自分はそんな責務は全部妹に押し付けてきた。
話が逸れそうになったところで、ルークが首を傾げた。
「で、どうして師匠がそこに?」
「俺もナイマッハの騎士に聞いただけだから詳しくは知らないが、実験体にされていたらしい。ヴァンが第七音譜術士だったことに関係しているらしいが……」
「じゃあ、伯爵さまは兄さんを助けようとしたってこと……?」
実際は助けられなかったとしても、兄が伯爵を特別視する気持ちはティアにも分かるような気がした。もちろん、それ以前の関係もあるのだろうけれど。
「そうだろう。ヴァンが君をガルディオス家の騎士にしようとしたのもそのせいじゃないか」
「えっ、ティアって伯爵の騎士になるはずだったのか!?」
「……兄さんとお祖父さまがそう決めていたのよ。一時期はグランコクマの伯爵さまの屋敷で暮らしていたわ。でも私は兄さんの役に立ちたくて……神託の盾騎士団の士官学校に入ったの」
お前が仕えるべきお方だ――兄はそう言っていた。でも、本当に仕えるべきは自分ではなかったのではないかとティアは思う。
ヴァンこそ、ガルディオス伯爵の元へ行くべきだった。ガルディオス伯爵が待っていたのはティアではなかったのだから。
「なるほど。あの祭の時に譜歌を詠ったのはやはりあなたでしたか」
ジェイドの言葉にティアは瞬いて、胸元のペンダントをぎゅっと握った。祭りで譜歌を詠ったのはあの時だけだ。確かに軍人もいたような気がするが、ジェイド自身があの場にいたとは思っていなかった。
「そしてフェンデ家、ですか。あの時ガルディオス伯爵は……」
「ジェイド?」
「いえ、謎が解けました。グランツ謡将はホドのフォミクリー研究所の被験者だった。だから封印されたはずの生体フォミクリーを知っていたのですね」
「ホドにあったのはフォミクリーの研究所だったのか!」
「ええ」
ジェイドは何か考えこむようにし、それから首を横に振った。妙に歯切れのわるいジェイドに一同は不思議そうな顔をしたが、誰もそれ以上は深入りしようとはしなかった。
「なるほどね。アクゼリュスにフォミクリー研究所があったのはそのせい?」
――イオン以外は。


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