リピカの箱庭
78

「さて、何かご質問はありますか」
ここが魔界であること、超振動によってセフィロトツリーが消滅させられアクゼリュスが崩落したこと、外殻大地へ戻るのにアクゼリュスのセフィロトを利用してタルタロスの打ち上げること――その説明をカーティス大佐にされて私は頷いた。
ユリアシティに着くやいなや怪我人扱いされて強制的に休養させられ、テオドーロ市長――メシュティアリカの祖父との話し合いには参加させてもらえなかったのだ。まあ、カーティス大佐の狙いは分かる。この後すぐにでもタルタロスで外殻大地に戻るために私の体力をさっさと回復させたいのだろう。とはいえルークとティアを除く全員がこの部屋にいるのは窮屈なんですが。
「そもそも外殻大地に戻るのにわざわざあの陸艦を使う必要なんかないよね」
私の代わりに口を出したのはイオンだった。完全に開き直っているらしく、導師時代の知識を出すのにもためらいがない。「そうなの?」とアニスが首を傾げた。ハッとイオンが鼻で笑う。
「外殻とここが断絶してたらここの人間が生きていけるわけないだろ。もっと簡単に出入りできる手段くらいあるさ」
「そっ……言われてみればそうだけど!なんかムカツク!」
「ノイ。慎みなさい」
アニスをおちょくるんじゃない。もしかしたら導師を慕っているアニスも彼は気に入らないのかもしれないが、まあイオンがこうなのは今に始まったことじゃない。思春期、なかなか終わらないな……。
「というか、そいつなんなんですか!?シレっとここにいますけどぉ」
「確かにそうですわね。ガルディオス伯爵のお知り合いなのですか?」
ナタリア姫の視線がじっとりと刺さるが、どこか覇気が足りない。アッシュのことを知って動揺が収まっていないのだろう。話を聞いている間もどこか上の空だった。
「ええ、そうです。ノイはアクゼリュスの住民です」
「今は臨時の従者ってところ」
え、そうなの?思わずイオンの顔を見てしまった。イオンが従者扱いを志望するとは……いや、説明を私に投げる気なのだろうか。ほらもうカーティス大佐がこっちにロックオンしているし。
「では、伯爵はこの者が我々の妨害をしたこともご存知ということですか」
「話は聞いています。預言に『ルーク』が鉱山の街を崩落させることが詠まれていたということも」
「預言……!?どういうことですの!」
「驚くことではありませんね。バチカル城で聞いたあの預言に続きがあったということでしょう」
淡々と言うカーティス大佐といよいよ動揺を隠せないナタリア姫を横目に私はイオンを見た。「ノイ、」そう促すとイオンは頷いて小さく息を吐いた。
「ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで――若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街とともに消滅す」
冷たいくらいの声色は預言という事実を突きつけてくる。覆らないと知っている、信じている、その絶望と不安が彼らのこころを支配する。
「しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる」
重苦しい沈黙が部屋に降りた。私はあたりを見回して静寂を打ち破った。
「私はノイの行いを責めるつもりはありません。彼のおかげでアクゼリュスの民は救われました」
「そんな……お待ちになって。では、お父様は……」
そう、そこも問題である。親善大使と言いながら、実のところキムラスカはアクゼリュスを滅ぼし戦乱の発端を開くためだけにルークを派遣したのだ。真っ青になりながら震える声で言うナタリア姫は哀れではあるが、私の立場上慰めの言葉をかけてやることはできない。
「キムラスカ国王の真意は存じ上げません。ですが、その預言が正しいのならあなたはやはり――」
導師がイオンを見る。その瞳はひどく澄んでいて、怖ろしいくらいだった。
「――イオンオリジナルですね」
「え……?」
導師の隣のアニスが声を漏らす。彼女を見ようともせずに導師はイオンを見つめたままだった。
「待ってください、イオン様!オリジナルって、どういう」
「分かってるじゃないか。レプリカ」
アニスの言葉を遮るようにイオンはわらった。フードが外されて、彼の素顔が露わになる。導師と寸分たがわないその造形に誰かが息を呑むのが聞こえた。思わずといったふうに呟いたのはガイラルディアだ。
「ルークだけじゃないのか……」
「ど、どうして、イオン様が」
「死ぬ予定だったからだよ」
イオンはやわらかい微笑みを浮かべた。ああもう、だからアニスをおちょくるんじゃないって。私はイオンのフードをひっつかんだ。ぐえ、とカエルのつぶれたような声を上げて青筋を浮かべたイオンが振り返った。
「何するんだ伯爵!」
「死人のフリは不快なのでやめなさい。まったく、エゼルフリダに言いますからね」
「はあ!?やめてよね!ていうかあいつに言いつけるとかあんた情けなくないの!?」
「利用できるものを利用してなにが情けないのですか」
「ぐっ、じゃあ最初から僕のこと利用すればよかっただろ!」
「利用したくないものは利用しないに決まっているでしょう」
「あーそういうところホント厄介!」
地団太を踏んで唸るイオンをアニスはぽかんとした表情で見ていた。そりゃ地団太を踏む導師なんて見たことないだろうし。一つ咳払いしてイオンを黙らせる。
「導師が病によって死ぬということは預言に詠まれていましたが、後継者がいなかった。レプリカはそのために作られたと聞いています」
「その通りです。僕はヴァンとモースによって二年ほど前に作られたレプリカです」
「だがどうしてオリジナルが生きて、お前のところにいるんだ」
黙って聞いていたアッシュが口をはさんできたので、私は肩をすくめた。
「おそらくアニスの前任だと思いますが、導師守護役のアリエッタがホド近辺の出身でしたので。そのつながりで病気のノイと共にこちらに来たのでまとめて面倒をみていただけですよ」
「アリエッタか……。なるほどな」
「……」
アッシュはイオンだけではなくアリエッタのことも把握していたらしい。カーティス大佐が考え込むようにしているのを見ないふりをしながらイオンに視線をやる。
「つまりヴァンはダアト式封咒を解く必要があったってことだね。最初からこれは計画のうちだった」
「外殻大地を落とす計画、でしょうか」
「さあ。そこまでは知らないよ」
案外あっけらかんと導師と言葉を交わすイオンはアッシュよりよっぽど割りきっている。それもそうだ、自分から立場を捨てるのとある日突然奪われるのとでは全く違うだろう。
「あんたは何か知らないわけ?特務師団長」
「それを確かめに行く。タルタロスを使ってな」
「ふーん、そういうこと」
ようやく最初の問いに戻ってきて、イオンは納得したとばかりに椅子の背もたれに寄りかかった。私も別にタルタロスで外殻に戻ることに否やはない。情報収集は必要だ。
「よいでしょう。タルタロスの打ち上げ計画については理解しました。タルタロスで外殻へ戻るのはここにいる者たちだけですか?カーティス大佐」
「その予定です」
――ルークが戻らないのは同じか。もしかしたら彼は今もアッシュの目を通してここにいるのかもしれないけれど。
出立の時間を伝えられて、ぞろぞろと部屋から皆が出て行く。さて、汚れた服の替えと剣だけはどうにか調達しなくては。剣は崩落時に失くしてしまっていた。幸いアシュリークから借りっぱなしの上着は血がついただけだったらしく、休んでいる間に洗濯してもらえたようだ。メシュティアリカだろうか?礼を言わなくては。
「あのさ」
最後に残ったイオンが声をかけてくる。
「もう利用するしかないんだからね」
「……では、存分に」
もうイオンは"ただのイオン"ではなくなった。ここまで巻き込んでしまえばこちらも甘いことは言っていられない。彼の言う通り、利用するしかないのかもしれなかった。


- ナノ -