深海に月
ex-04

レティシアがデュークに連れ去られたのを見た後のフレンの行動は迅速だった。真っ先にジュディスのもとへ向かいバウルを貸してほしいと頼み込むのに、ユーリは親友の肩をつかんだ。
「落ち着け、フレン。お前が行くつもりか?」
騎士団長という身分にあるのに、という含みに激昂しなかったのが不思議だった。フレンは感情が抜け落ちた顔をユーリに向けた。その声すら痛々しいほど無感情だったが、瞳だけは碧く激情を湛えていた。
「レティシアは私がヨーデル殿下直々に任された重要人物だ。それに騎士団が襲撃に遭ったという事実を鑑みると事態は軽くない。私が出撃するのが道理だろう」
「言っても聞かないやつだな」
この男が実のところ頑固であるということを知っているユーリは肩をすくめた。
「うちがきちんと見ていなかったからじゃ。ユーリ、早く助けに行くのじゃ」
「そうです。デュークにどんな思惑があったかはわかりませんが、騎士団を襲ったというものがいる場所にレティシアを一人にはできません!」
凛々の明星の面々からも言われてユーリは視線をさまよわせた。幸い、ここにはあの気の強い副官はいない。無断でさっさと助けに行ってしまうほうが面倒ごとを後回しにできる気がした。
「てことだが、どうする?カロル」
「決まってるでしょ。放ってはおけないよ。エステルの妹だもん」
きっぱりと言い切る首領の一言で次の行動は決まった。戸惑うフレンの部下たちは見ないふりをして、意識をザウデにいるという怪物だけに向けることにした。
「バウルで追いつけるかね」
「どうかしら、風向きもあるわ。着く前に追いつくというには難しいかもしれないわね」
船の中でジュディスに尋ねると彼女は冷静にそう答えた。いくら気持ちが逸っていようと、バウルが従来の移動手段より優れていようと、過ぎていく時間には追い付けない。ユーリは甲板で髪を巻き上げる風を感じていた。
「デュークの野郎は何を考えてレティを攫ったんだろうな。あいつがその、オーマとかいう怪物に加担する理由なんてあるのか?」
「わからないわ。レティシアがザウデの下――地下から来たと言ったのが本当なら、そのオーマもザウデの地下から現れたのかもしれない。古代ゲライオス文明の遺産であるザウデと関わりがあるのなら、星喰みに対して何らかの対抗策を講じることができるのかもしれないわ」
レティシアの出自についてはフレンから改めて聞いていた。下、という言葉がどうにも曖昧だったが突如として現れた怪物の存在がザウデの地下空間を示唆していた。人間の王を名乗るのならば、古の満月の子との関係は十分に考えられる。
「しかし、デュークのやつはエアルでは星喰みに対抗できないと言ってたが……」
始祖の隷長ですら星喰みを結界魔導器で閉じ込めるという策を取ったのだ。もしかして同じことをするつもりだろうか?考えは尽きなかったが、そうしている間にザウデの姿が見えてきた。
「あれは、宙の戒典……!?」
ザウデの輪のちょうど中心に建てられていたのは宙の戒典と同じ形をした巨大な剣だった。その姿は帝都の結界魔導器を髣髴とさせる。異なっているのはその剣の先端から星喰みに向かって光の線が伸びていることだった。

船を降りた面々はまっすぐにそびえたつ剣のもとへ向かった。デュークの姿はなかったが、そこにいたのは報告通りの怪物と桃色の髪の少女だった。
「レティシア!」
フレンが呼んでも少女は答えない。むしろ怪物の陰に隠れるようだった。
「あれが騎士団を襲った怪物……」
「始祖の隷長、じゃないわよね」
カロルとリタの言葉に怪物はぎろりと異形の瞳で睨みつけてきた。
「彼奴らと同じだと?なんたる侮辱か!我が名はオーマ!千年を永らえた人間の王よ!」
「千年……ということはやっぱり、このザウデを創った時代の満月の子なのですね」
エステリーゼが一歩歩み出る。ぎゅっと胸の前で指を組んだエステリーゼは意志の強い瞳でオーマを見上げた。その姿にオーマはどこか鷹揚に頷いた。尊大な王そのものの仕草だった。
「感じるぞ……その方は彼奴らの血筋に連なるものか。裏切り者共の末裔よ、我に伏して温情を乞うというのなら苦しまずに逝かせてやろう」
「いいえ。レティシアを返してください」
「レティシアを?はは、はははははは!」
少女はうつむいて何も言わない。エステリーゼの胸の内にまさか、彼女が望んでそこにいるのではないか――そんな疑問が沸き上がると同時にオーマは言葉を続けた。
「この娘こそは我が剣、千年の同胞たちを喰らった真の満月の子なり。その方らが如何様に拐したかは知らぬが、剣を振るうのは王のみと知れ!」
「え――?」
思わぬ言葉にエステリーゼは目を見開いた。エステリーゼだけではない、凛々の明星の面々は明かされた少女の「正体」に言葉を失っていた。真の満月の子、それはザウデを指す言葉だったはずだ。だが、千年間同胞を喰らったというのが事実であるのなら、彼女はザウデ不落宮と同じように満月の子の命を糧として「稼働」しているのかもしれない。そんな考えをよそにフレンだけが剣を携えて口を開く。
「いいや、彼女は我が騎士団の庇護下にある民だ。私の部下を襲ったお前に渡すことはできない」
「フレン……?」
ようやく顔を上げた少女は泣きそうな顔をしていた。安心させたいと願ってフレンは微笑む。それにレティシアははっと瞬いて、首を横に振った。
「……オーマの言葉、本当です。わたし、きっと……このために生きてきた」
少女は剣へと歩み寄る。そして祈るように手を組んだ。
「レティシア……?」
「"この身は剣。同胞を喰らいし力により、災厄を討ち滅ぼさん"」
瞬間、まばゆい光が剣の先端から迸った。これまでの細い光とは比べ物にならないほどの力が星喰みへ注がれて、光が散っていくのがわかる。呆然と空を見上げたリタが思わずといったふうに呟いた。
「ウソ……リゾマータの公式?剣って、宙の戒典?!」
「はははは!これこそがゲライオスの粋!よいぞ、星喰みなぞ物の数ではないわ!」
「千年の間にリゾマータの公式を完成させてたというの……?」
ジュディスも眉根を寄せる。始祖の隷長ではなく、リゾマータの公式のほうだったとは。カロルは困ったように皆を振り向いた。
「どうするの?星喰みを本当にやっつけれちゃうなら、なんていうか、止める必要ってある……?」
カロルの疑問はもっともだった。だが、それはレティシアだけの話だ。
「でもやっこさん、あの力で俺たちまで滅ぼそうとしてるんだぜ」
「確かにそうね。レティシアが星喰みに注力してる間にオーマを倒してしまいましょう」
レティシアが後ろに下がったことは好機とすら言える。武器を構えた凛々の明星の面々を見て、フレンもまた剣を握りなおしたのだった。


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