リピカの箱庭
18

食堂を出て、街の真ん中の広場に向かう。果たしてそこにジェイド・カーティスは仁王立ちしていた。
「ピオニー。呼びつけておいて遅刻とはどういうことだ」
「そう怒るなジェイド。久々の再会だろう」
眼鏡の奥の赤い瞳を細めたその人は鼻を鳴らした。なんか意外だ。私の知るジェイド・カーティスはピオニー陛下に対しても慇懃無礼な敬語を崩すことはなかった。こんな気安い口調で喋るのかという驚きがあったけど、彼もまだ二十そこそこの青年なのだから当たり前か。
「そもそもなぜここにいる。人の妹に迷惑をかけるのもいい加減にしろ」
「そのお前の可愛い妹のお願いで来たんだよ。"死霊使い"殿」
ピオニー殿下は鋭い言葉を青年に突きつけた。ホド戦争で戦功を立てた"死霊使い"ジェイドの話は私の耳にも届いている。それはまだ彼がフォミクリーによる師の復活を諦めていない証拠だ。
「物騒な噂ばかりでネフリーが心配していたぞ。……お前はまだネビリム先生を」
「ピオニー。……その話をするなら私は戻る」
殿下の言葉を遮って"死霊使い"は顔を背けた。私は拳を握る。だめだ、我慢しなくては。あのときと何も変わらないのだから、何もできないのだから。
――じゃあ、なぜ私はここに来た?
そうして俯いていたせいで、殿下の手が私の背中に伸びたのに気がつかなかった。
「じゃあ別の話をするか。レティシア」
「……っ」
とん、と背中を押されて一歩踏み出してしまう。顔を上げて、赤い瞳と目があった。訝しげに眉を上げる青年は私に――レティシアに気がついていない。
「お前も知ってるだろう?レティシア・ガラン・ガルディオス。かの"ホドの真珠"だよ」
「ピオニー・ウパラ殿下」
血を吐くように言葉を絞り出す。誰の顔も見えていなかった。
「この者をガルディオス伯爵代理たる私に引き合わせる意味をご存知か」
私の頭の上でピオニー殿下の顔色が変わる。
「……いいや。知らぬ」
「酷なことをなさるお方だ。そうは思わぬか、"死霊使い殿"?」
ぎらつく瞳には殺意が隠しきれなかっただろう。私は剣の柄に伸びそうになる手を抑えながらなんとかジェイド・カーティスを見上げた。青年は驚きを隠さないで私を見ていた。
「思わぬのだろうな。子どもの相手をしている暇はないのだったか?」
「あなたは――」
ジェイド・カーティスは困惑を交えた声色で私に問いかけた。
「何を知っている。どうして知っていたのです」
その疑問は当たり前だ。超振動でホドが崩落したことなど私は知らないはずなのだ。彼の師のことだって、何も。
思えばあのときの私は必死すぎた。知らないはずのことを知っていたら不気味に思われるのも当然だ。それを隠すことすらできなかった。
「答える必要などありません」
だって、それは私にもわからないことだ。どうして、だなんて私が聞きたい。息を吐いて必死に気持ちを落ち着ける。下手なことを喋ってはいけない。
――なぜここに来たのか。ジェイド・カーティスに、ホドが崩壊する一因となった人物にどうして会いに来てしまったのか。理由は簡単だ。
憎いからだ。ホドを滅ぼしてなお諦めないその人を許せないからだ。できることならこの手で断罪してしまいたいからだ。そんなことはできないと分かっていても、血が出るほどきつく拳を握ってまで耐えなくてはいけないと分かっていても私はここに来てしまった。
……もし、ジェイド・カーティスがフォミクリーを諦めるのなら私は彼を許せるのだろうか。ヴァンデスデルカにホドを崩壊させたであろう、この人を。
「おいジェイド。お前……何をしたんだ」
ピオニー殿下は現段階では何も知らないらしい。ちらりと殿下を見たジェイド・カーティスは私に視線を戻して首を横に振った。
「まさか、預言ですか」
間違いではない。ホドを崩壊させるのはヴァンデスデルカであるという預言自体は存在したのだ。もっとも、それにこの青年の存在も過去も示唆されていない。
私は答えなかった。何を答えても筋は通らないのだ。かわりに目を細めて薄く笑みを貼り付けた。
「今のあなたでは何も変わらない。ピオニー殿下、やはりお役には立てぬようです」
「……ああ。時間を取らせてすまなかったな」
「御前失礼いたします」
礼もせずにただ踵を返す。心臓がバクバクと早鐘を打って痛かった。子どもらしくない態度を取ったことも、ピオニー殿下に私が余計なことを知っているとバレてしまうことも、今だけはどうでもいい。早く帰りたい。復讐を果たす役割にない私はどんな衝動に駆られても我慢することしかできない。
「ガイは望んでない……ガイは望んでないから……」
ぶつぶつと無意識に呟きながら足を早める。こんな顔で伯爵邸には戻れない。少し遠いけど、このままグランコクマの屋敷に戻ろう。そこであのぬいぐるみを抱きしめて眠ろう。
「ガイラルディアは……」
今何をしているのか。くすぶる復讐心を抱えてファブレ公爵家にいるのか。いつかその剣で、その命を絶つことだけを目的にして。ぎゅっと心臓が痛くなる。
私たちは不毛だ。……実ることのない思いを抱えている。でもこればかりは、誰にも否定させはしない。
「っは、」
気がつけば走っていた。衝動を発散させるようにがむしゃらに手足を動かす。
ヴァンデスデルカが――ヴァン・グランツが今の私を見たらどう思うだろう。ふとそう考えた。預言に毒されたひとびとを憎み、この世界全てを虚像と入れ替えてしまおうという人が、私の復讐心を見たらどう思うだろう。
もし、ヴァンデスデルカが私に手を差し伸べたら。その理想が正しくないなんて私は言えるのだろうか。
その手は、私にとっての救いなのではないか。
甘い言葉で囁いてほしい。この針の筵に立つ痛みを和らげてほしい。私の憎しみを全て肯定して、優しく、心地よいせりふで誘惑して。
「……だめだ」
立ち止まる。喉がからからに乾いて鉄の味がした。息を切らしながら屋敷に裏口から回り込む。使用人に驚かれたので口止めだけして部屋に向かった。
くまのぬいぐるみを抱きしめる。今日はリネンのシャツに若草色の蝶ネクタイをしていた。剣を放り出してベッドに倒れこんだ。
「どうして……」
どうして私は知っているのだろう。知らなかったらただ愚かにあの男の首を刎ねることができたのに。ヴァンデスデルカの手を取れるのに。ううん、その前にホドで家族と共に死ねたのに。
「ガイラルディア」
会いたくて、会えなくてどうしようもなくて私は泣くことしかできなかった。


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