ラーセオンの魔術師
58

本当にヘイムダールの里に再び入れるとは思っていなかった。いや、ロイドの言葉を信じなかったわけではなく、もう少し時間がかかると思ったんだけど。
渓谷からヘイムダールに向かった私たちは案の定里の入り口で止められたが、族長に対するロイドの主張――私に話したのと同じものによって入村を許可された。とはいえオリジンの解放までの期限付きだが、少しは期待が持てる反応というものだ。
「……あんたのその反応からするとかーなーりー、最悪の部類だったんだな。この里の奴らってさ」
とかゼロスに話しているとなんだか疲れたように言われた。ちなみに場所は宿の一室だ。クラトスとの決闘の前によく考えておくべきだということで一泊することになったのだ。
「ゼロスも最初は似たようなものだったけど?」
「否定はできないな」
「まあ、別に責めるつもりはないよ。私は仕方がないで逃げていたし、里の人にも相応の報復をしたと思ってるもの」
あの、結界の解き方を知ったときの族長の顔を思い出すと胸がすく。族長の苦労を知らないわけではないが、同時にこの里のあり方に大きな影響を与えるのも族長だ。トップから動かすことに成功したロイドは素直にすごいと思う。
「ま、でも……私のやってたことに意味はなかったんだろうね」
「……」
私のやり方では、つまり私怨による復讐めいたやり方では何も得られなかったということだ。クルシスの打倒だって私は何もできなかった。せいぜいがパルマコスタの街を護ったくらいだろうか。
空回りしてるなあとため息をつきたくなる。結果的にロイドたちがうまくいってるものの、私がいなくてもどうにかなったんじゃないだろうか。
「あんたのやったことに意味がないなんて思わねえよ」
「……慰めてくれなくてもいいんだよ」
「そんなつまんないこと言う男に見えるか?」
おどけて肩をすくめるゼロスに私はじっと彼を見つめた。本当に、わからなかったから。
「俺はあんたがいなきゃ死んでたかもしれない。クルシスにつくって決めたかもしれないからな」
「そうかな」
「そうだろうよ。エターナルリングの材料ってやつだってあんたがいないと手に入らなかったかもしれない。もしもの話なんかしても意味がないかもしれないけどさ、俺さまはあんたがいてよかったぜ」
そうだ。もしもの話には意味がない。私は反省しているけれど、それだって後悔はしてないのだ。意味がないとわかっていてもきっと同じことをするだろう。私の感情は、それしか許せなかったのだから。
私はゼロスから目を逸らした。小さく笑みをつくる。
「すごい口説き文句」
「そりゃあ、百戦錬磨のゼロスさまにかかればな」
「じゃ、その百戦錬磨のゼロスはロイドのところに行かなくていいの?何か言いたいこと、あるんだと思ってたけど」
「あー……」
ゼロスはつられるように私と同じく窓を向いた。二階の窓からは暗い里と囲むように茂る木々、そして満点の星空が見渡せる。月明りが届くところに二つの人影が見えた。
「いいわ。どうやら先客がいるみたいだしな」
「そう?」
「ロイドはロイドで決着つけたいみたいだしな。俺さまはあの天使さま相手に文句言うだけにしとくわ」
ゼロスは私にニヤリと笑う。
「どうせなんか仕込んだんだろ?あれ」
「……人聞きの悪い。借りはちゃんと返しておきたいだけです」
その相手はクラトスではない。ロイドだ。彼が何に心を痛めるかなんて分かりきっている。まだ子どもであるロイドに、甘えっぱなしではいられない。
「明日も忙しいでしょう。そろそろ戻ったら?ゼロス」
「なんだよ、一緒に寝てくれねえの?」
「はいはい、また今度ね」
適当に言いながらゼロスを部屋から追い返す。ゼロスは一瞬本気で不満そうな顔をしたが、私の髪に触れて口づけた。あ、という暇もない。
「おやすみ」
そう言い残して去って行く後ろ姿を見る前にドアを閉めてしまう。……危なかった。何がとは言わないけど。熱くなった頬を両手で抑える。今、こんな時に浮かれた気分でいられるものか。
気を紛らわすように窓辺に戻る。見下ろした景色にはもう人影はなく、私はさっさとベッドに入ってしまうことにした。

オリジンの封印はヘイムダールの奥のトレントの森にある。基本的には立ち入り禁止の場所だ。族長のもの言いたげな視線を受けながら私は素知らぬ顔で一行の最後尾についていった。ここまで私がついてきていいものだろうかと迷ったが、結末は気になる。最後まで付き合いたいと思ったし、それに――言い出せないだけかもしれないが――反対する人もいなかった。ありがたいことだ。
とはいえ、オリジンとの契約に協力できるわけでもない。私ができるのは見守ることと、もしかしたらもう一つだけだ。森の奥の、開けた場所に出る。穏やかな日差しが差し込むそこに立っていたはクラトスだった。
「……来たか」
低い声でクラトスが言う。相対するロイドは覚悟を決めたような顔をしていたが、どこか懇願の響きで尋ねた。
「どうしても戦うのか」
「……いまさら、何を言う。中途半端な覚悟では……死ぬぞ」
それはどちらの戦いへの忠告だったのだろう。オリジンとの契約を得るためか、それともクラトスを殺すためか。父を殺さねば世界を救うことができない。ひどく残酷な選択だ。
「……あんたが過去と決別するなら、それに引導を渡すのは……息子である俺の役目だ!」
それをさせるクラトスも、そしてそうさせるしかなかった世界も――つまり知っていながら何もしなかった私も含めて、許されないと思う。今こうしてロイドとクラトスの一騎打ちを止めることもできずに見ているのは、ひとりの少年にあまりの多くのものを背負わせすぎた結末だ。
祈るようにその戦いを見守る。魔術はともかく、剣技はわからないが、それでも常人のなし得る戦いでないことは感じられた。一つの可能性として、とふと思い当たる。天使であるクラトスと互角にやりあえるロイドが優れた剣技を習得していることは疑いようがないが、同時にエクスフィアにも特異性があるのではないか。もともとはプレセアと同じ、エンジェルス計画によって作られた特殊なものだ。クルシスの輝石により近いものなのかもしれない。
そんなことを考えている間に、決着はついたようだった。ロイドが剣を、膝を折ったクラトスの首元に突きつける。そういうことだ。
彼らはいくつか言葉を交わして、剣を収めた。そしてクラトスは立ち上がってゆっくりとオリジンの封印――その石碑へと歩いていく。その背を呼び止めるのはやはりロイドだった。
「ま、待て!まさか、封印を開放する気か!?」
「……それが望みだろう」
「それじゃあ、あんたが……クラトス!」
止める間もなく、マナが放出される。いくら天使とはいえ死んでもおかしくない量だ。私はぐっと拳を握って、マナの流れを見つめていた。
マナの放出によって崩れ落ちたクラトスを支えたのは、いつからか見ていたらしいユアンだった。マナを分け与えたのだろう。吸収するような動きと共に分解しそうになるクラトスの体が再構成されていく。ユアンは一瞬驚いたような表情で私を見たが、すぐに視線を戻した。


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