ラーセオンの魔術師
59

結果としてクラトスは生きていた。ユアンの処置が適切だったのだろう。気を失ったクラトスを見てロイドは私を振り向いた。
「レティシアさん、クラトスを……看ててくれないか」
「……これ以上できることはないと思いますが」
というかそもそも、私は医者ではない。けれどロイドは首を横に振った。
「お願いだ」
クラトスが死んでしまうか不安だったのだろうか。私が看ることが安心材料になるなら断る理由はなかったので私はユアンに抱き留められたままのクラトスにそっと近づいた。
顔色は悪くない。外側からでは異常は認められなかった。ユアンに視線をやるとどこか皮肉げな笑みを浮かべられた。
「アイオニトスを渡したのだな」
「……それが依頼でしたから」
「持っておくようにでも伝えたのだろう。あれの性質のおかげで私の負担も少なかった」
そう、アイオニトスには周囲のマナを吸収する性質がある。たとえマナの放出を行っても多少は体への負担が軽減されるだろうと踏んだのだが、私がしたのはそこまでだ。
やろうと思えばユアンのように、マナを分け与えることもできた。緻密なコントロールができる分私のほうが簡単にできたかもしれない。でもアイオニトスを渡すだけにとどめたのは、クラトスの行いが正しくないと思っているのと同時に、四千年間も生きた天使の行く末を決める責任が恐ろしかったからだ。
結局はクラトスはユアンに救われた。ユアンの質問には答えずにクラトスの左手を取ると、ピクリと指が動いたのがわかった。
「……、」
「おや、案外平気そうですね?」
「レティシア、か……」
「輝石に触れても?」
「ああ」
私のしたいことがわかっているのか、クラトスはゆっくりと瞬いて手から力を抜いた。ロイドから頼まれた手前、何もしないわけにはいかなかったので輝石に触れて体内の状態を確認する。うわ、思ったよりひどい。マナの流れが崩れかけている場所が何か所もある。
とはいえプレセアやコレットのケースよりははるかにましだ。私は簡単にマナを流し込んで流れを整えるだけにとどめた。これくらいなら自然に戻る……ような気がする。無茶をしなければ。
ついでにけがも治しておしまいと意識を浮上させると、そろそろロイドたちがオリジンとの契約を始めるころだった。私は邪魔にならないように後ろに下がったが、クラトスは逆に一歩踏み出した。

ミトスと契約し、裏切られたオリジンはロイドたちとの契約を渋っているようだった。しかしクラトスの説得により納得したのか、戦闘を終えると無事に契約は結ばれた。これで万事解決、といけばよかったのだけれどそううまく物事は運ばなかった。
ジーニアスの持っていたユグドラシルのクルシスの輝石の欠片がロイドに憑りついたのだ。まだ無機生命体として生きていたユグドラシル――ミトスはロイドの体を奪おうとしたが、それを邪魔したのはコレットだった。コレットに憑りついたミトスはそのまま羽を出して逃げてしまい、同時に救いの塔が崩れ去る。
「救いの塔が崩れる!?」
「ミトスだ!デリス・カーラーンへの進路をふさいだのだ!」
その光景を私はただ見ていることしかできなかった。崩壊する塔から隕石のように瓦礫が降り注ぐ。ヘイムダールへの被害が甚大なのは明らかだった。
「くそ!とにかくエルフたちを避難させよう!このままじゃ、村は壊滅だ!」
ロイドが言う。みんなが走っていくのに、私は動けなかった。
――これが、報いなのではないだろうか。
ハーフエルフを蔑ろにし、省みず、何千年も過ごした愚か者どもへの報いではないのか。
「レティシア!」
動かない私に声をかけたのはゼロスだった。顔を上げる。長い髪を振り乱して彼は私の腕を掴んだ。
「何してんだ!早く行くぞ!」
「……ゼロス」
でも、という言葉が口から出ることはない。自分の考えがどんなに愚かで、間違っているかなんて自分でも分かっていた。
「見捨てるのか」
冷たい色の瞳が私を見る。
「あんたが行けば助かる誰かを、見捨てるのか」
その言葉は何よりも私の胸に刺さった。
エルフだから見捨てていいなんてあるはずない。それは彼らと同じだ。感情が許さないだなんて、ただの言い訳だと知っている。杖を強く握って、飛び乗った。
それができないなら、ここにいる資格なんかない。
「"護りこそ我が意思。マナよ集え、プロテクト"――!」
空を飛びながら魔術を構築する。降り注ぐ瓦礫は結界によって阻まれ、これ以上里を破壊することはないだろう。
「"怒りを鎮めよ、レイン"!」
その内側に雨を降らせて延焼を防ぐ。逃げていたエルフたちが私を見上げていた。先頭を走っていたロイドたちのことはとっくに追い越していて、私の前に立つ人は誰もいない。激しいマナの消費に息を切らしながら里の真ん中に飛び降りた。
「……はやく、ここから、逃げなさい!」
「何のつもりだ、ハーフエルフ」
雨で濡れる髪がうっとおしい。杖を持っていないほうの手でかきあげて言葉を発したエルフを睨む。
「触媒もない結界が長く持つわけないでしょう。くたばるのならここ以外で勝手に死んで」
「恩でも売るつもりか?」
「感謝なんかされたくない。同じ愚か者に成り下がるのが嫌だっただけです」
そう言っている間に追いついたロイドたちが名前を呼んでくる。私は逃げようとしないひとたちを無視して彼らに駆け寄った。
「倒壊している家屋があります。飛びながら指示するので手分けして救護してください」
「わかった。……大丈夫か?レティシアさん」
「いいの。ここは無茶をするところなんですから」
ロイドが何か言う前に私は飛び上がった。空からのほうが全体が見やすい。真っ先に目につくのは瓦礫が直撃したらしい族長の家だ。
湧き上がる感情を押し込めて、私は下にいるロイドたちに声をかけたのだった。


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