リピカの箱庭
09

私が連れてこられたのは執務室のような場所だった。そこにいた人に思わず目を見開いてしまう。
「バルフォア博士!」
「やれやれ、子供一人に騒がしいことだ」
長い髪が揺れて、振り返ったその人の赤い瞳が私を見る。冷たい視線に思わずたじろぎそうになったが、ぐっと踏みとどまった。
――フォミクリーの生みの親。そうか、考えてみればフォミクリー研究をしているホドにいるのは当たり前だった。指揮をとっていたとかいう話だった気がするし。
「被験体の証言によると、どうやら伯爵家の娘のようですが」
「ガルディオス家の?なら伯爵に連絡を取ればいいでしょう。私は忙しいんです。邪魔をしないでいただきたい」
「……あなたがジェイド・カーティスですか」
声をかけると博士と呼ばれた人は――まだ青年と言っていい若さのその人はもう一度私を見た。「そうですよ、お嬢さん」と冷たい声が応える。
「おろかなことを。あなたはこうかいします」
「後悔?何の話でしょう」
「フォミクリーぎじゅつはわざわいをもたらします。すくなくとも、いまのあなたでは」
眼鏡の向こうの瞳が瞬く。驚いたとしても、それは私のような子どもがフォミクリー技術の話をしたからであって、内容ではないのかもしれない。
「おやおや、賢いお嬢さんですね。ですが戦争とは人が死ぬもの。我々の技術で最小限にとどめられるのならそれが最善というものではないでしょうか」
彼が言うのは兵器としての超振動の話だろう。いいや、ジェイド・カーティスの目的はそれではない。
「しにんはいきかえらないのです。うしなったものはとりもどせない。わからないままならば、あなたはまたこうかいする」
「……」
「ここからひきあげなさい。ジェイド・カーティス。ホドをほろぼすことはゆるしません」
ホドが消滅させられたのは研究成果をキムラスカに渡さないためでもあった。ならば、今引き上げてくれるのならばヴァンデスデルカがホドを崩落させられるはめにはならないのではないか。半ばあきらめながらも目の前の人に訴える。
私を連れてきた研究員は不気味なほど静かだった。そしてジェイド・カーティスは、私を見てため息をつく。
「気味の悪い娘だ。子供の相手をしている暇はありません。連れて行きなさい」
「っ、ジェイド・カーティス!」
彼は顔を背けた。研究員がぎこちない手で私の手を引っ張る。乱暴に抱え上げられるようなことはなく、むしろ手加減をするくらいの力だったけどそれが悔しかった。私は自分の意志で彼の説得を諦めざるを得なかったから。

私を迎えに来たのはお父さま本人だった。それまで通された応接室でやたらと丁寧な扱いを受けていたのだったが、出されたお茶はほとんど味がなく色のついたお湯のようだった。カップを出されて反射的に口を付けてしまったが、何か薬品が入っていないだろうかと疑ってしまう。
「お、お口に合いましたでしょうか……」
おそるおそるといったふうに研究員が私の顔色を窺ってくる。本当にどうしたのだろう。たとえ私が伯爵家の娘だからだったとしても、急にへりくだられてむしろ警戒してしまう。
カップをソーサーに置いて私は彼を見上げた。
「まずいです」
「すすすす、すみません!」
わたわたと慌てるのがちょっと面白くなってきた。首を傾げて尋ねてみる。
「あなたはどこのしゅっしんですか?」
「は、ははっ!私はグランコクマ出身であります!」
「そうですか……。ぐんじんなのですか?」
「い、一応は。研究職でありますが」
「ごかぞくはいますか?」
「グランコクマに、両親がおります」
緊張した面持ちの研究員に私は同情が込み上げてきた。フォミクリー研究は近いうちに凍結されるだろうから彼は研究対象を変えなければならない。そもそもホドは戦場になるのだから、ここから生きて帰られる保証もないだろう。
「……グランコクマにもどるべきでしょう」
「は、はい?」
「かぞくのもとに、もどったほうがいいです」
研究員は面食らった顔をしたが、彼が口を開こうとしたところでドアが開いた。「レティシア!」と鬼気迫る顔で私の名前を呼ぶのはお父さまだ。
「お前は――」
怒気をはらんだ声が突き刺さる。込み上げてくる苦い気持ちを飲みこんで、私は黙って判決を待った。


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