四話
あやめが織部の令嬢と約束を取り付けたと知った実父は腹違いの弟も同席できるように画策したが、それは正面から織部によって断られる結果に終わる。
「お知り合いになったのはあやめさんのほうですから」
取り繕いもしない言に実父は絶句した後、しどろもどろに通話を終えてひどく忌々しそうな顔であやめを呼んだ。
言い含められたのは弟、初太郎を織部に売り込むこと。
はっきりと断られても、あやめを介せばまだ機会はあると思っているらしい。
今まで散々あやめを排斥してきたくせに、こんなときばかり利用しようとする実父にあやめは幼心にうんざりしたし、初太郎と織部を結びつけようなどという気は一切しなかった。
第一、齢一桁の「こども」になにを期待しているのか。
あやめは敢えて「よく分かんない」という顔をして実父を苛立たせてから離れへと戻った。
上手く立ち回らなければ、自分の足で立てるほどに強くならなければ、あやめが得たものはそっくりそのまま初太郎に奪われる日が来るだろう。
実父はあやめを初太郎のスペアとも思っていない。
だが、それが油断なのだと思い知らせてやる。
固く決意をするあやめはしかし、暦を見てふにゃりと眉を下げる。
ほんとうは、こんなことどうでもいいと言ってしまいたい。
ただ純粋に美由と会えることを喜んで、楽しみに待ちたい。
それだけなのに、あやめの生きる環境はそれを許してくれなくて、美由と交わす言葉一つさえ心のままに差し出すことができない。
計算するこどもは嫌われるだろうか。けれど、それができなければあやめの足元は崩れ去るのだ。
あやめは初めて私情として初太郎を、無邪気なこどものままでいられる弟を憎んだ。
待ち合わせ場所には既にあやめが先日も共にいた男と待っていた。美由の姿を確認するなり男は僅かに傍を離れ、あくまで今日はあやめとふたりという体なのだと美由は納得した。
先日、白雪家……あやめの実父から次男も一緒にどうかと連絡があったけれど、美由はあやめより幼いこどもを子守する気もなく、また見知らぬこどもの相手をする必要性も感じなかったために断った。
あやめの置かれている状況は複雑らしいが、とうのあやめは美由を見上げて頬を染めながら嬉しそうに微笑むばかり。
「こんにちは、美由さん」
「こんにちは。お招きありがとう」
行きましょうか、と歩きだそうとして、美由はふとあやめがこどもであることを思い出す。
今日のように招待された場の相手は同年代、あるいはもっと年嵩の人間が常で、あやめのような「こども」は初めてだ。
大人びた振る舞いをしていても、決して大人と同等に扱っていいことには、大人として見て良いことにはならない。
それはあやめを軽視しているのではなくて、大人ができることだからとこどもにも同じものを要求しないという極当たり前の考えだ。
美由は歩を止めた自身を不思議そうに見上げるあやめの小さな手を取って、軽く握り込んだ。
「ひゃっ」
「手、繋ぎましょう」
あやめは目を白黒させて美由を見上げたあと、ぱっと顔を赤くして俯きながら小さく美由の手を握り返した。
美由の手でも包めてしまうような手であった。
美由はあやめが幼いこどもなのだと実感し、歩幅にも気をつけて歩きだした。
──美術展は西洋絵画からアンティークアクセサリーまで扱っており、今日は招待客のみだが一般開放されればそれなりに盛況になることだろうことが予測された。
あやめに気に入ったものはあるかと訊ねられ、美由は考えて一枚の絵画を挙げた。
少女が揺り椅子に腰掛けているが、その少女がほんとうに人間なのか人形なのか絶妙に分からない、考えさせられる一枚だ。
「少し美由さんに似てます」
「そうかしら」
「でも、美由さんのほうが美人です」
あやめを見下ろせば、一瞬視線の合った彼はぱっと俯いてしまう。
「……顔は上げていなさいな」
あやめの肩が揺れ、ゆっくりとその顔が上げられる。
美由は他者の美醜に頓着しないが、あやめの顔立ちが整っているものだと理解することはできる。
それを誇れというのではないが、俯くばかりでは見えるものも見えはしない。
見るのであれば下ではなく前を。
いまのあやめに伝えるには厳しい言葉を美由は飲み込む。求めはしないが自身の設定する水準が高いことを彼女は自覚していた。
あやめは美由を見つめ、それから「はい」と頷いた。
食事も一緒に摂り、美由を送った帰り道、車内であやめは両腕を顔に押し付ける。
その顔は耳まで赤くなっており、一二が扇子を取り出して扇ぐほど火照っていた。
「うあああ……」
「織部嬢とのデートは如何でした」
「…………デートじゃない。からかうな、一二」
腕の隙間からあやめは一二を睨み、またすぐに腕で顔を覆う。
暫くして腕を下ろしたあやめの頬は上気し、はあ、と吐き出された息は熱くなっていたがどうにか唸るだけの生き物ではなくなった様子であった。
「…………すごく美人だった……」
「ぶっは!」
「うるさい、笑うなっ、事実だろぉが!!」
肩を揺らす一二をべしべし叩き、あやめはむくれるもののすぐに美由のことを思い出して面映そうにする。
だが、段々とまた顔が赤さを増していき、とうとう「あぅ」と声を上げてシートへ伏せてしまった。
「どうしたんですか、若様」
「……身長差が……」
「……ああ、おませさんですねえ」
「うるさい!」
怒鳴るあやめに今度こそ一二は声を上げて笑う。
あやめの目線から美由の顔を見ようとすると、まず胸部が目に入るのだ。豊かな、それはもう豊かな胸部が。
居た堪れなくて、視線を向けてしまいそうな自分が恥ずかしくて俯くあやめに美由は顔を上げろというし、あやめはもう一緒に摂った食事の味だって覚えていない。
「でもいいじゃないですか。次の機会の約束は取り付けられたんですから」
「……うん」
美由を送ったとき、あやめはまた誘ってもいいか、と美由に訊ね、数瞬考えた美由から了承を貰っている。
遠慮なしにすぐ誘うことはしないが、美由の学業の邪魔にならない頃合いを考えてまた誘うことはできる。
「美由さん、肌白いから外よりまた屋内のほうがいいよなぁ」
「水族館にでもしますか?」
「ん……」
「暗くて人がそれなりにいますから、また手が繋げるでしょうね」
車内に「うるさい!!」というあやめの怒声が響いた。
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