五話


 最後の客も帰って一人になったテッセンのなか、閉店準備をしていると近くでバイクの走行音がした。
 珍しいことではない。
 ないけれど、静馬は作業の手を止めてドアを見つめる。
 近づいてくるばたばたとした足音。
 ドアベルががらんがらんとけたたましく鳴るほど乱暴に開けられたドア、その向こうに見えるのは。

「遅えぞ、ばあか」

 ぜえぜえと息を切らせて、汗もびっしょりとかいた青年の髪は初めて出会った頃は金髪であった。
 体を引きずるように青年が、光也が静馬へ近づいてくる。

「シズさ……っ」
「おう」

 一際大きく深呼吸、散々注意した猫背を真っ直ぐに伸ばし、静馬を真っ向から見つめる光也の目には強い緊張と覚悟がある。
 大人になったなあ、と静馬は老いたような気持ちで思う。
 出会った頃はまるきりこどもであったのに、こんな目をするようになったのだ。
 恋をする男の目をして、誰かの、自分の前に立っているのだ。
 静馬は苦笑を堪える。
 どうして、なんて唱えるのは無粋だ。
 恋にどうしてなんて、そんなものはナンセンスの極みなのだ。
 恋はどうしても、なのだから。
 どうしても好きなんだろう。
 どうしてもその相手でなければだめなんだろう。
 それが恋というものだから。

「えと……まずは、長いこと無断欠勤してすんませんでした」
「おう、最初にそれが出てくるたあ成長したじゃねえか。上出来だ。給料は下げないでおいてやる」

 へにゃり、と光也は薄い眉を下げて笑った。
 それから数度俯きそうになっては顔を上げてを繰り返し、ごくりと喉を鳴らして両の拳を握りしめた。

「シズさん」
「ん」
「俺、シズさんのことが好きです──恋人になってください」

 言い切っても目を逸らさない。
 真っ直ぐに静馬を見つめ続ける光也の強い眼差し。まるできらきら光る星のようにまたたく輝き。
 この眼差しから目を逸らしてはいけない。それは卑怯者のすることだ。
 光也がいなくなってから、静馬もずっと考えていた。
 もう、光也がいない日々は日常とは呼べなくて、だからといってそれを理由に光也に傍へいてほしいかと言われるとそうではなくて、答えはいつだって単純だ。
 ──好きだから傍にいてほしい。
 傍にいてほしい理由はそんなものだ。簡単だ。簡単で、深い。どうしようもないくらい。
 なんていったって、恋はどうしても、なもので。



「光也てめえええええ!! 俺は胡桃買ってこいって言ったんだよ! なんでピーカンナッツ買ってきてんだっ」
「うひぃっ、サーセン!!」

 自宅に響く静馬の怒声に光也は飛び上がった。

「お前がねだるからこっちは面倒くせえ菓子作りするんだぞ、この野郎」
「だってめっちゃ似てるじゃないっすかぁ……」
「あ゛ぁっ?」
「なんでもないっす!」

 静馬は光也をひと睨みしてからため息を吐いて苦笑いを浮かべる。

「買いに行くぞ」
「うぃっす!」

 季節は初春を過ぎた頃の夕方、静馬はコートとマフラーをまとって先に玄関を出ている光也を追い、鍵をかける。
 光也を先頭に階段を下りて、数歩歩いたところで光也が立ち止まった。

「どうした?」

 光也の視線はテッセンの看板に向けられている。

「いや、モチーフとかはないんだなあって思って」
「モチーフ?」
「ほら、花の。テッセンって花っすよね?」

 静馬はははあ、と感心した。
 まさか、光也が花の名前を知っているとは思わなかったのだ。知っていたとしてもひまわり、朝顔、チューリップ辺りだと思っていた。
 感心する静馬に唇を尖らせて「俺だってちょっとは分かるんすよ。ちょっとは!」と光也は主張する。

「ふーん、他に知ってる花は?」
「ええと……ひまわりと朝顔と……チューリップと…………」

 そこで止まる光也に静馬は吹き出しそうになる。やはり、テッセンだけが例外だったようだ。
 ひょっとしたら店名の由来でも調べたのか、と訊ねると、光也はばつが悪そうな顔で実は、と話しだす。

「──ほう、なるほど。長年の謎が解けたわ。祖父さん、やるな」
「へ?」
「いいや、なんでもない。そのお婆さんには感謝だな」

 通りすがりのお婆さんとの出会いがなければ、彼女が「テッセン」を持っていなければ、光也はひょっとしたら途中で立ち止まっていたかもしれない。立ち止まり、またテッセンではない何処かへ走り出してしまっていたかもしれない。
 いま、静馬の隣に光也の姿はなかったかもしれないのだ。

「よかった……よかったよ」
「シズさん……」

 笑い、静馬は歩きだす。
 軽く振り向き「行くぞ」と言いながら伸ばした片手、光也が照れたような顔をしながら掴み、絡めた指。
 とん、と肩がぶつかるような距離で並び、互いの片手は静馬のコートのポケットへ。

「ねえねえ、シズさん。チョコレートなに作ってくれるんすか」
「んー、ブラウニー」
「どういうのっすか」
「食べてからのお楽しみじゃね?」

 そっかぁ、と頷く光也はとても楽しみにしているようで、これは期待を裏切れないなあ、と静馬は苦笑いを浮かべる。男に作業工程の複雑さなどろくに伝わらないのだ。見かけが全てだと静馬自身理解してい。

「やっぱフォンダンショコラにする」
「えっ、あのチョコがとろけてくるやつっすか! あれ手作りできんのっ?」
「できるよ」

 きらきらと目を輝かせる光也に「やっぱり分かりやすいほうがいいか」と静馬は予定変更してよかったと思う。

「あ、雪。晴れてんのに」
「あ? 風花だな」

 光也の言葉と同時、静馬の鼻先にも冷いものが掠めた。
 ふへ、と光也が笑う。

「なんだよ」
「だって、寒けりゃくっついててもおかしくないじゃないっすか」
「……そうだな」

 もう一度だけ「そうだな」と繰り返し、静馬はポケットのなかで光也の手を握りしめる。
 ちらほらと舞う雪のなか、一回りは大きな手が自身の手を握り返してくるのを感じながら静馬は光也と並んで歩き、冷たい風が首筋を撫でては大げさに寒がって肩をぶつけ合った。
 はしゃいだように歩くふたりの目はきらきらと輝き、それはまるでまたたく星のようで──

「あ、星っすよ、星! 雪降ってんのに星もあるってすげえ!」

 光也が片手で指差すほうに輝くのは一番星。
 眩しくはないはずの小さなそれが無性に眩く見えて、静馬は目を細めて呟いた。

「そうだな……すごい、贅沢だな」

 きょとんとする光也もいつかこの日々の、時間の尊さを得難さを実感するのだろう。
 そのときも隣に自分がいられればいいと願いながら、静馬は光也に笑いかける。

「行くぞ」
「……うぃっす! 好きっす、シズさん!」
「ばっ、なんだよ!」
「言わなきゃいけない気がしたんすもん」

 シズさんは? と問われ、ぐ、と詰まった静馬はそれから仕方なさそうに肩の力を抜く。

「テッセンの鉢植え贈ってやるよ」
「……枯らす自信しかないっすね」
「お前はー、そういうところだぞー」

 盛大にため息を吐き、静馬は光也の手を解いて屈辱的なことに背伸びをして光也の耳元へ唇を寄せる。
 ぱ、と赤くなった光也の顔。ずんずん歩きだす静馬。
 追いかける光也はまた静馬の手をとってポケットにしまい、先程以上に肩をぐいぐいぶつけてくる。なので、静馬ぐりぐりとぶつけ返す。
 いつの間にか風花は止んでいた。
 空には星が指針のようにきらきらと輝くばかりであった。

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