短編集 | ナノ
恐怖

 静寂に程遠い明るい空を見上げ、男は規則正しく点滅し続けるライトに向って、降下をし始める。
 いつからしじまというものがなくなってしまったのだろう。
 男の靴音が街の雑音に吸い込まれて行く。
 地下道に続く階段を、男は軽快な足取りで歩を運ぶ。
 ぎらぎらとした目つきの少年が二人は、舌なめずりをしてその靴音に耳をそば立てる。
 「あなた方は?」
 目の前に現れた少年に、目を細め紳士的に聞く男を見て、二人は不気味な笑みを浮かべる。
 「ほほほ。これはこれは」
 振りかざした鉄パイプを見て、男は愉快そうに声を立てて笑い始める。

 「何がおかしい?」
 「おかしくなんかありませんよ。恐怖で震えているんです」
 「このおっさん、イカれているんじゃないのか?」
 太った方の少年が言うと、もう一人の少年が唸り声をあげ鉄パイプを振り下ろす。
 鈍い手ごたえが伝わってくる。
 この感触は何度味わってもスカッとする。
 自然と笑みがこぼれ、相棒へと目をやる。

 真っ暗闇に包まれている自分に気が付いた少年は、その闇から逃れようと見えない道を急ぐ。

 わずかな光が見え、少年はいっそう足を速める。

 道が開け、そこが地下鉄のホームだと気が付き、少年は辺りを見回す。相棒の姿はなく、手にはべっとりした血がこびりついていた。
 誰にも見られないように少年は手をポケットに突っ込む。

 チカチカと蛍光灯が点滅をし出し、少年は顔を顰める。

 人気がないホーム。
 ベンチに人影を見つけ、少年は身構える。

 なるべく姿を見らえたくないと思う半面、そこに誰がいるのか知りたいという衝動に、少年は苛まれる。
 ついに一歩二歩と歩を進め、そこに座っているのが男だと分かる。
 黒いコートを着た男は優雅に足を組み、何かを楽しんでいるように見えた。
 距離をじりじりと縮め、素知らぬふりで少年はその男の横へ座る。
 男は少年と目が合うと、優しい微笑みを向けた。

 ゴーというけたたましい音を立て、電車が入って来るのが見え、少年は立ち上がった。
 一、二歩前へ出てから、少年は一向に立ち上がろうとしない男をチラリとみる。

 男は俯いたままじっとしていた。

 電車の扉が開き、がらがらの車両に身を置き、少年は遠ざかるホームへ目を凝らす。

 ポケットに手を突っ込んだままの自分が、うな垂れたままそこに映っていた。

 不満は山ほどあった。
 むしゃくしゃして、その腹いせで何人もこの手で傷付けて来た。
 あの感触が堪らなく快感だった。

 「あなたはどうも、闇がお好きのようだ」
 男が立つ間際、そんな事を呟いた気がする。

 サイレンがけたたましいく鳴り響き、鈍い痛みが全身を覆って行く。
 
 「こいつがいけないんだ。俺を裏切ろうとするから」
 鉄パイプを握った太った少年が見下ろし、へらへらと笑う。
 「止せ」
 細い地下道を走り、やっと開けた場所に辿り着いた少年は助かったと思った次の瞬間、身体が宙を舞う。
 ハンドルを切り損ねたダンプカーが、もう一人の少年を押し潰す。

 「ほほほ。私は命は奪わない。じっくりじっくりその命をすり減らしなさい」

 両手を失った少年の目から、血の涙が流れる。
 はらわたを抉られて少年が、鈍い呻き声を上げ、助けを求める。

 この電車に乗れる者は限られた人間だけ。

 ハッとして目覚める。

 夢か……。

 目を覚ましたはずの少年に、光はもうさし込まない。

 闇を裂くように走り去って行く電車の中、座った男の後姿は、タクトを振る仕草を見せていた。

 「私のプレゼントは、気に入ってくれましたかな?」

 光が消滅し、少年に残されたのは始終襲ってくる鈍い痛みと、闇だった。

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