始発 深夜零時を回ったプラットホームのベンチで、その男は蹲るように座っている。 まだ終電までにはたっぷりと時間がある。 夏の熱気はこんな時間まで残され、気のせいか空は薄っすらと明るい。 その男ただ一人が電車を待つ。 それでも男はじっと蹲ったままだった。 電車のランプが遠くに見え、次第に近づいて来る。 少しだけ顔を上げるが、目はまだ瞑ったままだ。 滑るように電車がホームに入って来るが、男は立ち上がろうとしなかった。 静かに止まった電車の扉は開き、男は静かに立ち上がり乗り込む。 発車の合図もアナウンスもない。ただ静寂だけがそこにはあった。 電車の中は、座席がまばらに空いているくらいの客が乗り合わせていた。誰もが無口で虚ろな目で前方だけを見ている。 男は柔らかい笑みを浮かべ、いつの間にか赤ん坊を膝の上であやしている。隣に居あわせた老婆が、その赤ん坊に指を掴ませ目を細める。 車内の明かりが点滅を始め、男は外に目をやると、フンと鼻を一回ならす。 シートに赤ん坊が一人、すやすや眠っている。 そこには男の姿はなかった。 高層ビルの屋上。 その男はジッと見下ろしている。 闇が背に絡みつくように、恐ろしいほどの静寂を齎し、男は目を瞑る。 一体この世の中、どうしてしまったんだ? 目の前に現れた時計盤を手で払いのけ、下降しはじる。 死を恐れず、その価値さえ分からなくなってしまったこの世の中。私は罰を与えよう。闇を支配したと思い違いしている者どもに、本当の闇を見せる。それが私の仕事。 男の手にいつの間にか大きな鎌が握られていた。背には真っ黒なマントが翻っている。 目はぎらぎらと研ぎ澄まされた刃物のように光っていた。 一気にその命は奪わない。 死の寸前、私は時間を止める。 この電車には清き命のみ乗せる。 私は死を司る者。闇の支配者。 男が振り降ろした鎌は、闇に浮かんだ時計の文字盤を木端微塵に破壊する。 散り散りになった破片が闇に光を齎しながら消えて行き、男の姿はもうどこにもなかった。 戻る ×
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