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体のバランスが崩れた。足元に無数に散らばっているおもちゃ。それを踏んでしまったのだと理解した時にはもう致命的な状況で、目の前に迫っている鉤爪を到底避けることはできないとやけに冷静になった頭で考えはじめた。

斎の背中に壁が当たった。倍の背丈はある怪物が彼女に覆いかぶさるように目の前に迫っている。全てがスローで再生され、今なら空飛ぶ蝶のマダラ模様さえも数えられそうな気がした。この後どうなるか、フワフワとした頭で斎は考える。自分を今殺そうとしている目の前の怪物は、ひとおもいに楽に殺してくれるだろうか。それともやはり苦しむのだろうか。

死んだ人間でないと分からない事だらけだ。けれど自分がこれから死ぬというのは間違いないだろうと確信している。ドラマティックでも華やかでもないが、これが、今この時が自分の人生の終幕なんだ、と、斎は一抹の寂しさを覚えた。
死を目の前にしたらもう少し生きていたかったかもしれない、と。普段ではあまり考えないことも脳裏を掠める。最後の時になって考えるということは、もしかしたらこれが彼女の本音なのかもしれない。自分でも知りえなかったことだった。その一方で彼女は安堵した。自分にしてはマシな死に方だと思っている。なぜなら彼女は絶望していなかった。

爪が届く。あともう少しで。

斎は目を瞑った。すぐだ。すぐにその時は来る、と。1秒1秒がゆっくりと、けれど着実に流れていく。

閉じた感覚の中で唯一正常に稼働しているのは耳だった。けれど、その耳で聞いたのは、自分の肉を割く音でも骨を砕く音でもなく、音楽だった。人を小馬鹿にしたような、狩りの終わりを告げる音に目を開ける。

斎に普通の世界が戻ってくる。動かし続けていた両足は疲れに悲鳴をあげ始め、心臓は暴れだし、汗が吹き出してきた。斎のすぐ目の前にいる怪物の爪は彼女の首を捉えていた。けれど首は飛んでいない。斎はゆっくり視線を上げる。仮面の中の目と視線があった。

「続きはまた今度だね」

一瞬の間。レウウィスは触れているだけだった爪をゆっくりと離した。まるで、時間切れで仕留め損ねた、と。暗にそう言いた気に。斎は疑念を抱いた。そしていい現せない焦燥。彼の言わんとしていることは事実とは違う。彼なら音楽が時を告げる前に自分を殺せた。殺すことができた。なのに殺さなかったんだ、と。それが真実だと斎は根拠も証拠も無いのに確信した。

離れる影に斎は咄嗟に手を伸ばした。

「レウウィス」

立ち上がりその名を呼んだ。

このままじゃいけない。心の中に燻るわだかまりが叫ぶ衝動のまま、レウウィスに抱きついた。傾きはじめた陽がさしている。

「レウウィス、待ってよ」

斎に食い下がるつもりは毛頭無い。レウウィスは斎を突き放すことは無く、けれど何かしらのアクションをする様子もなく、静かに彼女の言葉に耳を傾けているようだった。

「あなたが私を殺さないなら、誰が私を殺すの?3日後にはノウスとノウマに殺されるかもしれない。バイヨンに殺されるかもしれない。ルーチェに殺される可能性だって」

全てを言葉にするのは難しい。ここでレウウィスに殺してもらわないと困る。自分の描いた幸せを逃してしまうかもしれないからだ。つまり、この選択肢の少ない世界で斎は自分が好いた相手に殺して欲しかった。もしかしたらレウウィスのことが好きというのも、もしかしたら自分に都合がいい相手で、好きだと、ただ思い込んでいるだけなのかもしれない。けれど、見ず知らずの他人に殺されるよりも、思っている相手に、相手のために死ぬほうがきっと美しい。愛した人間の男のために胸を貫いたナイチンゲールも、結末は死でもきっと幸せだったはずだから。

「私を、他のヤツらに殺させるの……?」

「斎」レウウィスは振り返る。

やにわに斎の背中に圧がかかった。3本の長い指に絡み取られて体が引き寄せられる。いきなりの事に斎の唇から息が漏れ、それを塞ぐように唇の上を舌が這う。眼鏡が仮面とぶつかる音が遠くから聞こえるようで、頭に霞がかかった斎にはすぐには状況を呑み込めない。

「は、ぁ……レ、ウウィ」

思わず身震いする斎にレウウィスは嬉々とした様子で喉を震わせた。その所作がどこかケモノじみていて、斎は背骨を快楽が下っていくのを感じた。レウウィスはゆっくりと斎の首元に顔を埋める。汗と科学化合物の混ざった匂いに気持ちを昂らさせられて、彼女の背中から手を回すとそっと仮面をはずした。されるがままの斎。拒まれたなら止めることもできるのに、これでは歯止めが効かなくなる。心配と安心。相反する気持ちを抱きながら、けれど自分には葛藤は無いことにレウウィスは不思議に思った。

柔らかい首元に牙を立てれば吐息が漏れる。後ろから支える手に頭を預けて警戒心も無く首を晒す斎に、行けるところまでいってしまおうか、と。彼女なら拒まない。そんな確信がある。

「……なんか、変な感じ」

レウウィスの歯の間で細い喉が動く。

「お腹の下が……いや、やっぱり何でも無い」

語尾につれて斎の声は自信が無さそうに小さくなっていく。まだ子供。環境的に性的接触を他人としたことがあるはずも無いし、知識があるのかも怪しい。不安じゃないわけがない。そのことをレウウィスは察すると、ゆっくり牙を肌から離した。

「怖いかい?」

「少し」

「無理強いはしないよ」

どうする?と、目で問うレウウィスに斎は少し迷った。ほんの少し。けれどやっぱり止めたいとは思わなかった。

「ううん、大丈夫」

嫌じゃないという意味で。この行為の本当の意味など斎はまだ到底理解していなかった。

それも承知でレウウィスは斎を抱えると家の中を歩きだす。普通の家なら必ずあるものを探して。最悪ソファーでもいいともレウウィスは考えていたが、やはりと言うべきか目当てのものはすぐに見つかった。寝室に入るとレウウィスは斎をベッドに下ろした。レウウィスには些か大きさが足りないが、ここで贅沢は言えない。

「電気つけないと暗いよ?」

廊下からの光源だけが斎の顔を照らしている。

「趣きがないだろう」

「ふーん」

そういうものか、と斎はとりあえずレウウィスのすることを見ることにした。レウウィスはベッド脇のカーテンを開く。オレンジ色に彩られた光がさしこんだ。

もう夕方か、と斎は窓の外へ視線を向けた。途端に疲労が体にのしかかってくるようだった。後ろで扉の閉まる音が耳には入ってきたが、無意識下のように右から左へと通り過ぎる。

窓の外へ視線をくれる斎を見て、パイヨンの杞憂が的中してしまったな、とレウウィスはいつかのことを思い出していた。けれど後悔は微塵もない。今まで欲望のままに狩りを楽しんで、そして今は欲望のままに関係を持とうとしているだけなのだから。これまでとなんら変わっていない。

レウウィスは斎の前髪を撫でる。自分の方へ向く斎をレウウィスはゆっくりベッドに沈めた。また舌で唇をなぞる。さっきと同じ優しい接触。なすがまま気を許して身を委ねていた斎だったが、やにわに彼女の唇の間から長い舌が侵入した。斎は内心狼狽えて目を開きかけたが、そんな心の機微も一瞬でどうでもよくなる。隙間が無いほど口の中が満たされ、かき混ぜられて背徳感に脳が揺さぶられる。舌の裏から歯茎の奥まで這い回る感覚に意識が飛びそうになり、そんな斎の足首、膝裏、太股へとレウウィスは指の先を這わせる。

小さい体に小さい四肢。そして小さい口。スケールの違いは明白で、それにも関わらず斎は甲斐甲斐しく行為に応えようとする。口の中からゆっくり舌が抜かれた。絡み合った液体が斎の唇を湿らせている。

狩場に支給されているなんの変哲もない質素な衣服。それが乱れて隠れていた肌が露わになる。それに気づいて気恥ずかしそうにする斎にまたどうしようもなく衝動が込み上げてくるのを感じてどうしようもないな、などと思いつつレウウィスは斎の太ももを持ち上げた。いつのまにか足首に引っかかっていた下着がベッドの下に落ちた。

「あ、待って!流石にそれは恥ずかしすぎる……」

斎はそう言うがレウウィスは止めるつもりもなく、覆いかぶさっていた体をさらに斎に寄せた。頬をひと撫でして、余っている方の手を斎の頭の下に滑り込ませる。

「大丈夫さ。暗くて何も見えない」

「嘘だ!絶対夜目がきくでしょ、ん、ぁっや」

指が敏感な場所に触れて斎は意味もわからないうちに丸め込まれてしまう。レウウィスは腕の中で嫌だ嫌だと首を横に降る斎をあやすように頭に口を寄せてシーと繰り返した。けれども行為の手は止まらず、具合を確かめるように窮屈な隙間に指の先を抜き差しする。その上の突起に触れると今度は堪えるように斎はレウウィスの衣服を掴んだ。

「は、ぁっ……い、やぁ……いやっ、て」

肺で息を繰り返す斎。

本能とは悲しいもので、そう拒絶したところで触れられているところからは甘い液体が流れていた。熱と湿りが斎の思考を鈍らせる。斎の口から溢れる音が熱を帯びるのを見計らってレウウィスは自分の怒張ものをやおら取り出すと、斎に押し当てた。ゆっくり腰を動かすと滑りから摩擦も少なく斎の突起を刺激し続ける。粘着質な水音が部屋の中に響く。

「レ、ウウィス、っ……」

縋るようにそう繰り返す斎にレウウィスのそれはますます硬さを増し、全ては無理だと分かってはいるがどうしようもない衝動にレウウィスは斎の中に先端を差し込んだ。悩ましげに眉を寄せる斎。熱いなにかが自分の中で脈動している。それが怖くもあって、快感ももたらして、気持ちが螺旋しているように移り変わっていってただ手につかんでいる黒い布を口元に持っていった。

少し奥へ入れようとすれば強く押し返される。その抵抗に締め付けられて思わずレウウィスは呻いた。

「斎、達してくれ」

斎の耳元でそう囁くと、レウウィスは浅く斎の体を突きながらも、指で長時間刺激を与えられて膨らんだ突起を擦りだした。すでに満身創痍だった斎だったが更に強烈な快感に揺さぶられて喉を震わせた。

登り詰めて登り詰めて体を襲った緊張と快楽と熱。

斎の頬を撫でながら、レウウィスは抜き差しを繰り返し最後の最後まで注ぎ込む。弛緩して急に体に力が入らなくなった斎は四肢を投げ出して動かなくなった。瞑った目の端から生理的に浮いた涙が流れた。

栓が抜かれてドロっとした液体が斎の切れ目を伝った。

斎の横に窮屈ながらレウウィスも横になった。後片付けはしなくてはいけないが、今はどうにもその気になれなかった。夕陽は完璧に峰の向こうに傾き部屋の中は暗い。レウウィスから斎の顔は見えるが、斎からレウウィスのことは見えない。

レウウィスは黙ったまま斎の顔を触る。意識を失ったように見えた斎だったが、ふいに話しだした。

「私、自分が人魚姫とかナイチンゲールになれない訳が分かった気がする」

それは、ほとんどレウウィスには意味を持った言葉として伝わらなかった。

「寝言かね」

斎は控えめに含み笑いをした。

「今度読ませてあげる。人魚姫とナイチンゲールの本ね」

そう言って斎は今度こそ眠りについた。


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