the cake is a Lie | ナノ
7. 惧れ

ホテルの高層階の窓から眺める景色ではよくわからないが、真冬に比べると街の色が鮮やかになってきたように感じる。
もう3月も下旬という頃、春の気配を窓から探そうと目を凝らしてみる。

日本に来てかなりの時間が経過したとは感じていたが、ついに季節も変わり目を迎えようとしている。
キラ事件の捜査に進展はない。
毎日毎日徒労に終わる捜査を続けながらも事件解決のため何とか頑張っているが、終わりのない捜査に飽き飽きとしてしまう気持ちも胸のうちには芽生えていた。

いつまで日本にいることになるんだろう。
休職の手続きをしてあるとは言え、あまり長く消息を絶っていたらさすがにICPOをクビになってしまうのではないだろうか。
イギリスやフランスの友人たちは、いきなり連絡がとれなくなった私とまたいつか仲良くしてくれるだろうか。

窓に手を付きながらぼんやりと自分の行く末を考えていると、相澤さんが両手にコーヒーを持ってやってきた。

「飲むか、香澄」
「はい、ありがとうございます」

相澤さんからコーヒーを受け取りその匂いをかげば、どこか心落ち着くような気分だ。
一口飲んでみると変わり映えのないいつもの味だが、人に入れてもらったからか普段よりも美味しい気がする。

「外に何か見えたか?」
「いえ、何もないんですけど…もうすぐ春だから、春っぽいものがないか探してたんです」
「ああなるほど…でも、ここからじゃよく見えないだろう?」
「そうなんです。街の人達の服装も良くわからないし…。でも、何だか色味が明るくなりましたよね。服の色とか、花壇の草花の色とかかな…」

コーヒーの温もりを両手に受けながらもぽつりぽつりと話す。
こうして長く捜査を共にしているおかげで、いつの間にか日本警察の皆ととても親しくなった。
相澤さんはとても真面目で怠惰なことを嫌う人だが、休憩中にはこうして談笑に付き合ってくれる。
もちろん彼だけではなく、皆と分け隔てなく仲良くすることが出来ている。
松田さんなんかは同い年で彼自身も人懐っこい性格のため、特に親しい。


私は日本人とは言え、両親の転勤で七歳で日本から離れずっと欧州にいた身だ。
まさか今こうして、日本で人と深く関わる機会に恵まれるとは思わなかった。
捜査は進まないが、日本の皆と関係を深められるのは純粋に嬉しい。
まして広い年代の異性と仲良く談笑する機会なんてなかなかない。
こうしてとりとめもない話をしている中にも結構興味深いものがあったりするものだ。

なかなかに有意義な時間に小さな幸せが垣間見える。
私は温かなコーヒーをゆっくりとお腹に流し込み、口に弧を描いた。

「外はやっぱり暖かくなってきました?」
「そうだなー。日中は日差しが熱いくらいだが、でも朝晩は結構冷えるぞ。寒暖の差が激しいから、家の上の子が風邪引いてなあ」
「あら…大変ですね。奥様、一人で看病されて大変でしょうに」
「全部妻に任せっきりだ。俺はいつも仕事仕事で娘が病気しても家をあけてばかり。こんな夫でも愛想尽かさないでいてくれる妻にはいつも感謝してるよ」

そう言って苦笑いする相澤さんの姿を眺めて、きっと家に帰ればよき父として頑張っているだろうことを確信し尊敬の眼差しを向けていると、松田さんがどこからともなく呑気にやってきて会話に割り込んできた。

「香澄さんも大変ですね。外が暖かいのかも分からないくらいずーっとホテルに缶詰め状態で」

突然同情されてしまってどう反応していいか分からず、適当に肩を竦めて苦笑する。

無意味に外出することで竜崎の正体や所在地がバレることに繋がるのが怖くて、ろくにホテルから出ない日々が続いていた。
常にエアコンによって温度が管理されているホテル内では、外の寒暖を全く感じることができない。
唯一外に出るときと言えば数日おきに違うホテルへ移るときだが、それもホテルの正面からではなく、大抵地下や車を直ぐ側に横付けできるVIP用の出入り口からワタリの車に乗ってしまうので、ほぼ外気に晒されることがない。

「まあ、大変と言ったら大変ですけど…。でもそれは竜崎も一緒ですし、私だけ音を上げるわけにはいきませんからね…」

正直今の状態は退屈かつ窮屈でしかないが、それでも竜崎に期待されてスカウトされ共に仕事をしている以上文句は言いたくなかった。
松田さんは「外でショッピングとかしたくならないの!?」「男の人とデートとかは!?」などと忙しなく質問をぶつけてくるが、首を振るほかない。

やがて呑気に談笑していた私達は、向こうで今後について話し合っていた夜神局長と竜崎に呼ばれ、コーヒー休憩を早々に切り上げて仕事へ戻ったのだった。







その日の夜のこと。
お風呂を終えて、少しストレッチでもしてから寝ようかと考えつつ髪の毛を乾かしきったところで突然携帯がなった。
小さな画面に表示される竜崎を示す文字に、私は急いで携帯を開いて通話ボタンを押した。

「もしもし」
「香澄さん、まだ起きてますか」

すっかり聞き慣れた竜崎の声。
私は片手でドライヤーをしまいながら電話越しに応える。

「はい、起きてます。何か用ですか?」
「香澄さんに頼みたい仕事があります。今からこちらの部屋に来てください」

突然だなと思いはするが、竜崎の行動が唐突なのは別に今に始まったことではない。
日本警察の皆が帰ってから話がしたいというのは、夜神局長たちに知られたくない用件なのだろう。
今の私の上司である竜崎に来いと呼ばれれば、断る理由はない。

私は「わかりました。今すぐ伺います」と簡潔に返事をして電話を切った。
普段ならばこのまますぐに部屋を飛び出していくところなのだが、一つ問題があることにはたと気づく。

お風呂を終えて、ノーメイクのゆったりとした部屋着姿になってしまった今。
一応ここは高級ホテルなので、このまま部屋の外に出るというのはまずい。
服はいますぐ着替えるとして、髪とメイクはどうしたものか。
しっかり身なりを整えてから廊下に出たいが、竜崎に「今すぐ来い」と言われている以上待たせるのも悪い。
最近だって寝る間も惜しんでFBI捜査官たちが映った監視カメラの映像を何度も見返している竜崎を思えば、彼の時間を無駄にはしたくなかった。
結局私は大急ぎで服を着替えた後、髪を適当に整え、顔にはファンデーションだけまとってから部屋を飛び出した。



エレベーターで階を上がって本部として使われている部屋に着く。
静かにドアを開けて置くまで進めば、竜崎は普段どおりにソファに座り、口いっぱいにシフォンケーキを頬張っていた。

「香澄さんも食べますか、生クリームたっぷりシフォンケーキ」
「いえ…大丈夫です」
「美味しいですよ?」
「…さすがにこの時間に食べると太っちゃうんで…」

相変わらずの竜崎の様子に苦笑いしながら対面に座る。
竜崎は私が来るまで監視カメラの映像を見返していたのだろう、三台置かれたモニターはどれも行き交う人々の映像が一時停止されていた。
モニターを見やすくするためか部屋の照明は控えめで、窓から東京の夜景が美しく瞬いて見えた。

「あれ、ワタリは…?」
「今日本武道館の警備室の調査に向かわせています。入学式の日に出入りする私の姿が監視カメラに映らないよう、細工をしなくてはならないので」
「ああ…そういえばもうすぐですもんね。入学式」

春ということはいよいよ竜崎が東応大学への潜入捜査を本格的に始めるということだ。
私はいまいち季節感を失ってしまった脳を回転させ、竜崎が試験を受けていたことを思い出していた。

「…それで、やっぱりさすがに竜崎もスーツとか着るんですか」

ずっと気になっていたことを思いきって聞いてみると、竜崎はフォークを咥えたままあからさまに嫌そうに顔を歪めた。

「私が本当に大人しくスーツを着るような人間に思えます?」
「いいえ、全然」
「嫌ですよ私、あんな窮屈そうなもの着るの」

「ですよね」と思わず笑ってしまう。
竜崎は呆れたようにため息をついて勢いよく紅茶を飲み干した。
ここで「スーツを着るつもりです」なんて言われたら、私の中で十数年かけて構築された竜崎像が壊れてしまって捜査どころではなくなってしまうかもしれない。
細身で足もすらっと長いし案外スーツも似合いそうだが、いつもどおりの竜崎のままいてくれるようで安心だ。

なんてくだらないことを考えていると、竜崎は空のカップを置き「それで本題ですが、」と場を仕切り直すように切り出した。
私は浮ついた考えを即座に頭から追い出し、真っ直ぐに彼を見つめる。

「私は早ければ入学式にでも夜神月と接触して、自分がLだと名乗ります」

先刻までくだらない話をしていたとは思えないような、突然の竜崎の告白に息をするのも忘れる。
驚いて声も出せない私とは正反対に、当の宣言した本人は相変わらずひょうひょうとした口ぶりで続けた。

「夜神月に『私達はお前を確実に疑っている』とプレッシャーをかけるのと同時に『今私を殺せば真っ先に夜神月に疑いがかかる』というさらなる心理的負荷を与えます。この状態で、彼がどういう行動に出てどういう風に私と関わろうとするか観察していきます」
「…あまりにも、危険ではないですか」
「言ったでしょう。すぐに私を殺せば疑いがかかるだけ。私の知る用心深いキラならそんな短絡的な行動には出ません。それにキラは人を殺すのに顔と名前が必要なんですから、顔が知られても名前がバレなければ大丈夫です。今のところは、という条件がつきますが」

まるで世間話をしているかのように普段どおりの口ぶりでケーキを食べながら話す竜崎。

竜崎の言っていることが間違っていないことはわかる。
夜神家と北村家の盗撮をしてからというもの、ほぼ捜査に進展がないなかで竜崎が今取るべき手段と考えた最善の策なのだろう。
いつまでもダラダラと捜査をしているわけにはいかない。
心臓麻痺による犠牲者は日々全世界で増えている。
世界中の犯罪が減り、世論はキラを肯定する流れになりつつあり、対してLはあの放送以来全く手柄のない無能の烙印を押されてしまった。
こうなっていては、いつか日本警察からの信頼も失うのも時間の問題だ。
それまでに一日でも早くキラの尻尾をつかまなければならない、それが竜崎の使命なのだ。

──しかし。

「本当にあなたが命をかけなければ駄目なんですか。プレッシャーを与えるだけが目的ならば、L本人が危険を冒さずとも代役をたてて夜神月に接触させるべきなのでは。竜崎が命令するのなら、私がLとして夜神月に接触したって構いません」
「駄目です。夜神月はとても賢い。彼がキラならば、人並み外れた精神力と桁違いの判断力でLと宣言した人間を追い詰めていくはずです。何か一つでも弱みをみせてしまったら、その人間だけでなく捜査本部の全員に危険が及ぶ事態になってしまう。夜神月のあの優秀さに対応できるのは私だけ。香澄さんにこの役目は力不足です」

私が竜崎より遥かに劣る人間なのはとうに理解しているはずなのに、こうしてはっきり本人から言われてしまうとやはり胸が苦しくなる。
私がもっと優秀な脳を持っていたら竜崎が命をかける必要もなかったのかと思うと、莫大な劣等感に苛まれた。

悔しくて唇を噛んで俯く。
しばらく二人の間に沈黙が流れ、広いこの部屋に竜崎がケーキを口にする音だけが響いていた。

「それで、香澄さんに頼みたい仕事なんですが」

そういえば「香澄さんに頼みたい仕事が出来ました」と電話で呼び出されたことを思い出してゆっくりと顔を上げる。
正直今竜崎から告げられたことの衝撃が大きすぎてまだ脳が混乱しているが、彼の台詞を止めるわけにもいかず、私は大人しく耳を傾けた。

「北村家の次女に接近し、私と同じようにLだと名乗ってもらいたい」
「え?」
「彼女もキラ像に合致する箇所が夜神月に次いで多いですから。夜神月ほど疑わしくはないですが、わずかにでも可能性があるのなら念の為、同じようにトラップを仕掛けてみましょう。そのためには彼女と親しくなる機会を探るのに、尾行から始めなければならないのですが…。もし対象がキラだった場合、FBIと同様に殺される危険があります。その可能性を覚悟してこの作戦、やってくれますか」

竜崎はお行儀悪くフォークを咥えながら話しているが、その黒い瞳は真剣にまっすぐ私を見つめている。
その視線のひたむきさに圧倒され、少し視線をそらしてから大きく息を吸った。

「さっき竜崎が『今のところは』と言いましたよね。キラは今のところは顔と名前を知らない限り殺人はでできない。でも、今後キラの力が何らかをきっかけに進化して、名前も必要なくただ『こいつを殺そう』と念じて人を殺せるようになってしまったら…その可能性について、竜崎はどうお考えですか」
「…正直、ゼロではないし十分有りうるとしか言いようがありません。キラの殺人のトリックはあまりにも異質です。超能力的な、人智を超えた力で顔と名前を元に人を殺せるとしか。例えばキラが私達と同じ普通の人間ではなく、突然変異で人を殺せる能力を得た新人類のような存在であるのならば、進化の可能性は未知数です。香澄さんが今指摘したように殺しの条件が変化することもあり得るでしょう」
「そうなったら、尾行したりLとして顔晒したりする私達は、」
「死にますね、あっけなく」

「死」という単語があまりにも簡単に竜崎の口から飛び出したので、私は背筋を凍らせた。

「嫌なら断っても構いません。さすがに危険ですから。他の人に頼みます」

いつのまにかケーキを食べ終えていた竜崎は、じいっと皿を眺めながら名残惜しげに爪を噛んでいる。
いつもは強引に事を決める竜崎が今はいやに優しい物言いをするので、私は慌てて頭を振った。

「…違うんです、命が惜しいわけではないんです。もしも私が失敗したら、最悪の場合竜崎を道連れにしてしまうことが怖いだけで。…でも竜崎からの命令なら責任を持って遂行させて頂きます。私にやらせてください」

怖くないといえば嘘になる。
自分の命が失われることも、それをきっかけに竜崎に迷惑をかけてしまうのではないかということも。
しかし、このキラ事件解決のために命をかけることはとうに決めていた。
私だけではない、日本警察の皆だって命がけの覚悟で捜査を続けているのだ。
私だけ怖気づくわけにはいかない。
そして竜崎に信頼されて任務を言い渡された以上、その期待に応えたかった。
彼の命令を断ってしまったら私は自分の不甲斐なさを一生悔いるに違いない。
私は後悔しないように竜崎の元で働くと決めたのだ。

私は意を決して竜崎へとまっすぐな視線を向けた。
覚悟は出来ていることを竜崎に分かってほしくて沈黙のまま彼に眼差しを送り続けていると、竜崎は一瞬だけ私を見てまたすぐに視線を反らす。
シュガーポットに手を伸ばし無造作に何個か掴んだかと思えば、ぽいと自分の口の中に放り投げてしまった。

「香澄さんは献身的ですね」

は?と思っても見なかった竜崎の言葉に私の口から間抜けな声が漏れる。
献身的。どちらかと言えばポジティブな意味合いを持つ言葉のはずだが、私に向けてその言葉を放った竜崎の表情は、怪訝そうに歪められている。
彼の真意がわからずに私は眉根を寄せた。

「…どういうことですか」
「私が唐突にスカウトして日本で潜入調査をしろと命令すれば大人しく従い、手作りお菓子が食べたいと言えばちゃんと作って、命をかけてキラ容疑者に顔を晒せと言われれば臆さず頷く。何故そんなに献身的なんですか」

竜崎の口からボリボリと角砂糖を噛み砕く音が聞こえる。
彼は口いっぱいに角砂糖を咀嚼しながらもまだ口さみしいのか、ポットから新しいものを掴み上げて指で転がし遊んでいた。

「何故と言われても…。最後の切り札とまで言われる偉大な探偵に期待されているのだから、それに応えたい。ワタリに恩返しがしたい。それだけです。それ以上の理由はありません」

違う。嘘だ。

それ以上の理由が存在する。
かつて好意を抱いていた竜崎の、エルの力になりたいと思っているからだ。
たとえ今は恋心を精算したとしても、やはり竜崎に対して上司以上の個人的な情は抱き続けている。
昔から仲良しだった幼馴染の役に立ちたい。あわよくば、認められたい。
キラ事件に命をかける覚悟は嘘ではないが、そこには私情というものが間違いなく混在していた。

しかしこんな気持ちは竜崎に知られたくない。
いや、知らせる必要がない。
あくまでも私の中の勝手な事情であり、それで竜崎に迷惑をかけているわけではないのだ。
竜崎は忠実に命令に従う部下がいればそれでいいはず。
私はこの胸の中で確かに息づく、竜崎に対する上司以上の情を悟られたくはなかった。

適当に耳あたりの良い理由を並べて竜崎を見つめ続けるが、彼は依然として顔をしかめたままであった。
もしや私の心情なんてお見通しなのでは──そう思えてしまう。
やはり竜崎に隠し事なんて不可能なのだろうか。
わかりきった嘘をつかれていることがそんなに腹立たしいのだろうか。
竜崎が不快そうな表情を浮かべ続けている理由がさっぱり分からず、固唾を飲んで彼の様子を窺い続ける。

すると竜崎はそらしたままだった視線を素早く私へ向ける。
その瞳の奥の様子が、先刻までと何か違うことに気づいて私は息を飲んだ。

「じゃあ、着替えを手伝ってください」

それは私を試しているかのような、とらえどころのない物言いだった。

「…正気ですか」
「はい、正気です。今日はワタリが一日中忙しくしていたので、朝着替えたっきりずっとこの服を着てるんです。そろそろ新しいものに着替えたい。私が自分で着替えないことは香澄さんもよく知っているでしょう。献身的な香澄さんに私からのお願いです」

漆黒の瞳にまじまじと見つめられ、思わずスカートを固く握った。
その明らかにおどけるような喋り方に竜崎の私を試したいという意図が見え隠れしていた。
部下として従順に竜崎に従うことの何がそんなに気に食わないのかさっぱり検討もつかず、冷や汗を流しながら返事に悩む。

竜崎が普段から着替えをワタリに任せていることは十分に知っている。
幼いときからずっとそうだった。
理由はわからないが私を試してみたくてたまらない竜崎は、その仕事を私に命令してどういう行動に出るか確かめたいのだろう。
いくら上司からの命令と言えども、成人男性の着替えを異性が手伝うわけにはいかないと断るのか。
あるいは──。

「わかりました。じゃあ、新しいシャツとジーンズを持ってくるので、待っててください」

ただ竜崎の役に立ちたくて自分の命を危険にさらす覚悟までして尽くしてきたと言うのに、その善意を訳も分からず試そうとしてくる竜崎に無性に腹がたった。
私がどんな思いで十年間悲しみに暮れ、どんな思いで恋心にけじめをつけたのか。
理解してくれとは言わないが、しかし試される言われもない。

私は腹の奥でふつふつと煮えたぎるような怒りを携えながらソファを立ち上がった。
ワタリが竜崎の服を収納している場所は知っている。
このスイートルームの一番奥の部屋、まったく使われていないベッドの側にあるクローゼットへと向かい、勢いよくドアを開けてお目当てのものを掴んだ。
さあ戻ろうと振り返ってみれば、私についてきていたのか、竜崎がベッドルームの入り口で佇んでこちらを観察している。

「ここに座って、両手をあげてくださいますか」

ついてきてしまったのなら仕方がない、ここで着替えさせればいいだろう。
そう判断し、ベッドの側にあった一人がけソファに目配せしながら声をかければ、竜崎はぺたぺたとのんびり歩いてソファに飛び乗った。
立ったままでは身長差で着替えさせることができないので、竜崎が大人しく従ってくれたことにひとまず安堵しつつ、私は早々にその体へ手を伸ばした。

白いシャツの裾を遠慮なく掴んで見れば、指先が竜崎の脇腹に触れる。
その温い感触に一瞬どきりとするが、躊躇していても仕方がない。
私は覚悟を決め、思いっきりシャツを上へと引っ張った。

あっさりと脱げてしまって、その細い上半身を晒している竜崎。
別に恥ずかしがるわけでもなくいつも通りの無表情な様子で佇みながらも、やはり私のことをじいと観察している。
上半身裸の成人男性に見つめられる居心地の悪さに内心戸惑いながらも、ベッドに置いていた新しいシャツへ手を伸ばすため彼に背を向けた。



────その刹那。






「無防備過ぎますよ、香澄さん」

突然バランスが崩れる体。
ベッドに受け止められる感覚。

気づいた時には、フロアライトのぼんやりとした温かい光を遮るように、竜崎の体が私にかぶさっていた。
私は己の迂闊さを心の底から呪いながらも、ただただ困惑するしかなかった。