the cake is a Lie | ナノ
20. 同士

松田さんたちは作戦のため出払い、捜査室には竜崎と月くん、ミサと私の四人しか残っていない。
計画通りさくらテレビでの放送が始まり、目隠し越しにキラについてを語り始める松田さん。
その勇敢なシルエットを、私は捜査室のモニターと向かい合いながら固唾を飲んで見守り続けた。
奈南川への根回しを行い、彼から火口にさくらテレビを見るように連絡をとって貰えば、間もなくミサの携帯が鳴る。
それを無視し続けていれば彼は次に事務所社長へと電話を掛けたようで、火口と社長の会話を中継した音声がスピーカーから鳴り響いた。
焦ったような乱暴な口調で私の連絡先やミサの所在、そして松井太郎の本名を聞き出そうとしてくる。
社長はあらかじめ指示していたとおりに火口に応対し、事務所に来るよう誘導することに成功した。
ウエディから火口が車で出掛けたという報告を聞き、私は緊張に固唾をのんだ。

竜崎と月くんそしてミサと共に、火口の車内での謎の独り言に困惑しつつその様子を見守り続ける。
火口はこちらの計画通りに事務所までやってきて、そして「山下太一郎」と適当な名の書かれた松井太郎の履歴書を確認した。

さあ、これで何らかの手段で殺しを行うはず──と眉根を寄せながら監視カメラの映像を凝視し続ける。
──しかし、火口はノートに名前をメモしただけで事務所を去ってしまった。

「一秒でも早く松田さんを殺したいはずなのに、冷静だな火口は…」
「そうですね…。名前が必要なら履歴書ごと持って出ればいいものを履歴書を引き出しに戻した…」

全て順調にことが運んでいた末のこの予想外の展開に、さすがの月くんと竜崎も動揺を隠せないようだった。
車内に戻り、放送を確認した後なぜか「死なない!」と怒り叫ぶその姿。
慌てて車を走らせたかと思えば、レムだの取引だのまた独り言で謎の言葉を連発する不可解な様に、私たちは全く訳が分からずに困惑するしか無い。

その後、火口のスピード違反を白バイの警察官が咎めると、火口はそれを振り切って逃走。直後に白バイがトラックに突っ込み事故を起こした。
私とミサが白バイ隊員の突然の死に竦み上がっているうちに、竜崎は火口が第二のキラ同様顔だけで殺せる能力を得たと判断し、これ以上の追跡の危険を考慮して、今すぐ火口を確保する命令を皆に下したのだった。

それから手早く警察庁長官や局長たちに指示を出した後、竜崎と月くんが機敏に立ち上がった。


「では夜神くん、私たちも行きますか」
「ああ」

火口を確保するため、そして確実にキラとして証拠を得るために二人も現場に直接向かうらしい。
計画から外れた事態が起こり、より柔軟にこれからの火口の動きに対応するためだと分かっている。
それでも、顔だけで顔が殺せるようになってしまった火口の元へ月くんを、そして竜崎を送り出さなければならないというは、私にとって辛く恐ろしいものだった。
もしも何か不測の事態で竜崎の顔が火口の前に晒されてしまったら──身も竦むような焦燥感に指を震わせて耐えていると、ぴょんと椅子から飛び降りた竜崎が私たちの元へやってくる。

「あらかじめ説明した通り、二人にはここで待機してもらいます。お互いの身に何かあったらすぐに連絡をしてください。まあ、ミサさんは第二のキラとして利用価値がまだあるので今は殺されないでしょうが、問題は香澄さんです。香澄さんも火口に顔を知られています。今松田さんが殺されていないことから大丈夫だとは思いますが、この大事なときに連絡が取れず全く役立たなかった怒りに、松田さんを殺めた次に香澄さんを殺す可能性もゼロではありません。ミサさん、そうなった時、一人で対処するのは大変でしょうがよろしくおねがいします」

可能性としては低くともゼロでは無い以上、ここで私が無念に犬死する事態も想定しなくてはならない。
自分の死の可能性を竜崎の口から改めて伝えられ、多少なりとも恐怖は感じるが──。
ミサが少し切なげに眉根を寄せながらこくりと頷いたのを確認した後、私は居ても立っても居られず竜崎たちへと向かい合った。

「月くんも竜崎も、どうかご無事で」

竜崎の命が火口によって奪われることなどないように。
これが最後の会話にならないように。

そう精一杯に祈りを込めて竜崎を見つめれば、彼はまん丸の目でじっと私を見つめた後、人差し指を咥えて「はい」と素っ頓狂な声で頷いてくれた。
こんなときでも普段どおりな竜崎の風変わりさに胸を撫で下ろし、彼にひとり寂しく微笑んだ。

月くんとミサの挨拶が済んだ後、彼らは屋上のヘリポートへと向かうため足早に退室していった。
白い背中が扉の向こうに消え行くのを最後まで見届けた後、私はミサと静かな捜査室で二人っきりになる。

命じられているのは待機だけだが、ここで何もせずおとなしく待っているのは退屈である。
私はどうしたものかと少し考えた後、再度デスクへと向かった。
火口の車の発信機から得られる移動経路。
退屈なのでとりあえずその記録を取っていれば、火口がさくらTVではなくヨツバ本社に向かっていることを気づく。
ヨツバ本社に予め仕掛けられている監視カメラの映像を壁のモニターにすべて写し、映像と音声がちゃんと記録できているか確認の作業をしていると、いつの間にか隣の椅子に座っていたミサが私の名を呼んだ。

「大変だね、竜崎さんたちが居なくなった後もこうやってお仕事して…」
「…暇だから適当にそれっぽい仕事みつけてやってるだけ。ぼーっと待ってると、何だかそわそわしちゃって辛いから…」

ミサの視線を感じながらも監視カメラの映像を忙しなく確認し続け、私はおどけたように笑った。
彼女も退屈なのだろう、手持ち無沙汰に私の作業をじっと観察し続けているようだ。
そんな彼女の様子を察しながらも全て映像を見終え、竜崎たちのヘリコプターがヨツバ本社の方面へ向かっているのを確認した後、ふうと息を吐き出す。
いよいよやることもなくなってしまい、ひとつ伸びをした後飲みかけのマグカップへと手をのばした。
もうとっくにぬるくなってしまったコーヒーの香りを胸に満たしていると、静寂の中ふいにミサと視線がかち合ってしまい、私は思わず微笑む。

「こうやって捜査室の中でミサと二人っきりになるなんて、初めてね」
「いっつもライトたちがいたもんねえ…。捜査室どころか、このビル今ミサと香澄ちゃん以外誰も居ないんだよ?人数少ない割に賑やかだったじゃん?なんか変な気分」

そう言って呑気に笑うミサに釣られて私も笑ってしまう。
確かにこのご立派なビルは十人足らずしか滞在していなかったというのに、なんだかんだ賑やかだった。
大体松田さんが落ち着きなく他の人に絡みに行ったり、何か失敗をして騒いでいたりしただけだが、それを嗜める局長の声も、呑気にお菓子のおかわりを求める竜崎の台詞も、その食生活を咎める月くんの説教も、聞いているだけで微笑ましい気分になれて好きだった。
模木さんだって必要以外のことは滅多に喋らないが、私が料理のことを聞けば堅実に教えてくれるその声はとても穏やかだ。
退屈しない日々を送れたこの三ヶ月間を思い、感慨にふけて冷めたコーヒーを飲む。

「今日無事に火口を捕らえて重要な証拠を得ることができたら…もしかしたらミサちゃんと月くんのことを開放できるかもしれない」
「…」
「ミサちゃんがやっと自由になれるのは嬉しい。けどね、ちょっとだけ寂しくなっちゃうな…」

何だか無性に切ない気持ちになって、悲しげに笑みを浮かべてしまう。
月くんとミサの監禁を解いてしばらくは全くキラへの手がかりを掴むことができず焦ったし、ヨツバキラの存在に気づいてからも早くその正体を掴んで捕らえたいとばかり思っていた。
それなのに、いざその瞬間が間近に迫っているのだと思うと切なさを覚えてしまう。
私は神妙な気持ちでマグカップを置いて彼女と向かい合った。
この三ヶ月間ずっとミサと私を繋ぎ続けた鎖が、じゃらと小さく鳴る。

「三ヶ月間の手錠生活、トイレとかはまあ…大変だったけど、でもミサちゃんといっぱいお喋りできたの、私すごく楽しかった」
「ミサも楽しかったよ!香澄ちゃんといっぱいドラマとか映画見て、あーでもないこーでもないって感想言い合うの楽しかった。一緒に筋トレして競い合ったりしたのも楽しかったし、モッチーと一緒にやった料理教室だって面白かった!お仕事にいく車の中で、好きなCD流してお気に入りの曲を紹介し合うのだって、すごくすごく楽しかった…!」

ミサの声を聞けば聞くほどに、温かくも切ない思いが胸に溢れる。
思い返せばこの手錠生活において、私はミサと共に色々なことを経験したものだ。
彼女の好きな映画や音楽を楽しんだり、普段なら絶対買わないような服を着せられたり──ミサとでなければ経験できなかったであろう貴重な経験ばかり。
彼女の台詞に三ヶ月間の思い出を一つ一つ思い返しながら、私は同意の意を込めて満面の笑みで頷く。

「私、ずっと欧州の方で暮らしてたから…まさかこうして日本人の子と仲良くできるなんて思いもしなかった」
「不思議だよねえ。『あなたはまだ容疑者なので、監視のため女性捜査員と24時間手錠をつないでもらいます』って聞いたときはうんざりしたけどさー。これも運命ってやつよね」
「まあ容疑者と言っても、ミサちゃんは真キラに操られていただけで今はその記憶もない普通の女の子だし」
「…」
「それでも、私はやっぱりミサちゃんと友達になれたのがすごく嬉しい。ありがとうミサちゃん、私と友達になってくれて」

照れくさい台詞に恥じらいで肩をすくめながらも、柔らかにはにかむ。
愛嬌に満ちたミサのことだから、きっと「私も香澄ちゃんと友達になれてよかったよ!」などと明るい声音で返してくれるのだろうと思い、彼女の顔を見上げる──が、その顔はどこか暗い。
影がさしたような目つきでふいに私から視線を逸らしたその様子。

全く予想していなかったミサの反応に戸惑う。
この三ヶ月間を仲睦まじく過ごした仲とは言え、「私と友達になってくれてありがとう」だなんていくらなんでも重すぎる台詞だっただろうか──。
唐突に不安にかられてしまい、変なことを言ってしまったことを謝ろうと口を開きかけたところで、ミサと視線が絡み合う。
暗く物憂げだった瞳は、私の戸惑う様を認めた瞬間にハッと驚きに見開かれた。

「あ、ちがうの。香澄ちゃんの言ったことに引いてるわけじゃないよ。ただ何だか、急にすごく寂しくなっちゃって…それだけ」

しどろもどろに苦笑いでそう弁解するミサ。
寂しくなってしまったと答えたその姿にどこか引っかかりを覚えた。
何か不快感を覚えれば隠そうとせずはっきりと物を言う子だ。
私の台詞に引いたわけではないというのは本当なのだろうが、しかしどうも不可解なタイミングで顔を曇らせたことが釈然としない。
何か、言いづらい悩みや隠し事でもあるのだろうか。
ミサと二人っきりで語れる時間はきっともう長くは残されていないだろうし、聞いてみるなら今だろう。
そう思い、ミサに声をかけようとしたその瞬間──彼女がおずおずと私の表情を窺いながら言葉を紡ぎ出した。


「香澄ちゃんにどうしても聞きたかったことなんだけど…」
「うん…?」
「火口と接触する役をミサの代わりに引き受けてくれたのは、なんで…?」

いつも明るく強引な彼女にしては珍しい、遠慮がちな物言い。
普段と違う様子でそう尋ねてくるミサに、私はきょとんと瞬きを繰り返す。

「私はこの事件の捜査員だもの。ヨツバと接触するためにミサちゃんの力を借りることにはなっちゃったけど、でも、私でも出来ることなら捜査員の私が仕事を引き受けるべきでしょう。キラの可能性が高い人物に色仕掛けを仕掛けるなんて危険な任務なら、なおさら」

竜崎に説明したときと同じようなことを今一度説明して微笑んでみるが、私を見つめるミサの目は未だ仄暗い。
依然として納得できていないようなその様子。
彼女がその持ち前の聡さで私の行動にひっかかりを覚えてしまったことを悟り、そして戸惑う。
真実を求めるミサの姿勢に、嘘をつき続けるわけにもいかない。
私はこの胸中をどのように彼女に伝えれば良いのかと思い悩んだ。

実のところ、自分自身どうしてミサにこんなに入れ込んでしまうのか疑問だった。
物理的に繋がれて四六時中一緒だから情が湧いてしまった──それは確かだし、ミサ自身の健気さや人懐っこさに惹かれたのも間違いない。
彼女が苦しい思いをせず幸せに生きていてくれることを願う気持ちは、紛うことなく本物なのだ。

──だが本当にそれだけだろうか?
それだけで私は火口に手篭めにされるリスクを厭わず己を犠牲にする覚悟を決めたのだろうか?

月くんとミサが仲睦まじくしているとき、心のなかで少しだけ顔を覗かせるあの仄暗い感情。
容易く竜崎と距離を詰めることができるミサの姿に覚えてしまった劣等感。

ミサに抱く感情はあまりにも複雑で、自分でもその全貌を把握することが出来ない。
しかし今こうしてミサに、彼女に代わり危険な任務を引き受けた理由をひたむきに問われた。
いつもと違う真剣な態度で眉尻を下げている彼女を前にしてしまうと、もう逃れることはできない。
こうして本人を目の前に逃げられない状況になってしまえば、この絡み合った感情をようやく整理できるのではないか──そうとすら思えてしまって。

私はひとしきり思い悩み、そして少し恥じらい戸惑いながらも、本心をさらけ出す覚悟を決めた。

「ミサちゃんのことだ大好きだから、ミサちゃんに幸せになってほしくて、苦しい思いをしてほしくなくて、私が代わりにがんばろうって思った」
「…」
「……なんてね。自分でもそう思ってたんだけど腑に落ちなくて…多分本心は違う」
「え…?」

ミサの瞳が怪訝に揺れて、私を捉え続けている。

「ミサちゃんのことが大好きなのは本当。幸せになって欲しいのも本当。でもね、ミサちゃんに幸せになってほしいのは私のワガママで偽善なんだと思う」
「わがまま…?」
「ミサちゃんが月くんのために一生懸命尽くす姿を見てると放っておけなかった。私も恋愛すると盲目的になってひたすら尽くしちゃうタイプで…ミサちゃんとそっくり同じなの。自分の姿を見てるような気がして」
「…じゃあ、似たもの同士だから、同情してくれたってこと…?」
「…多分、違う。ミサちゃんに幸せになってもらって、好きな人に献身的に尽くすことは間違ってないんだって納得したかった。私、昔好きな人に尽くしすぎてフラれちゃったことがあってね、ずっと後悔してたんだけど…でも、ミサちゃんが幸せになれれば、昔の私は間違ってなかったって認められる。安心できる。きっとミサちゃんの幸せに私自身の幸せを投影して自己満足したいだけ」

もっとたどたどしい語りになるかと思いきや、するりと口から紡がれていく言葉に自分でも驚く。
私は最後に自嘲の笑みで口に弧を描きながらも、己の偽善的で独りよがりな心情を吐き出すことができて、意外にも胸は清々しい思いだった。

ミサの人間としての魅力に惹かれながらも嫉妬を抱き、劣等感を抱き──そんな複雑な友情を携えながらも彼女をかばって危険な任務を引き受けた。
その理由をこうして本人を前に語ることが出来て、自分でも改めて納得することで出来たと思う。

こんな自分勝手な思いで善人面をしていたと知って、ミサは私を軽蔑するだろうか。
そんな漠然とした不安を覚えつつも、私はこの胸の内をさらけ出さずには居られなかった。
今日無事火口を捕らえれば、ミサとこうして二人っきりで語り合う機会もなくなってしまうだろう。
せめて最後に、私の本当の思いをミサに知っていてほしかったのだ。
これで軽蔑されたとしても、この手錠生活が終わればミサと顔を合わせる機会も減るだろう。
嫌われたって良かった。

「火口なんかに手篭めにされて、それがきっかけでミサちゃんと月くんの関係が壊れちゃったりしたら…。ミサちゃんの愛が報われずに終わっていく瞬間を見るのが怖い。ミサちゃんの献身的な愛情が否定されたら、私、もっと昔の自分を責めちゃいそうで…。だからミサちゃんに幸せになってもらうために、私が代わりに任務を引き継いだの。自分本位な理由で勝手に行動して、ミサちゃんの手柄を横取りしたことになっちゃったのも理解してる。ごめん」

嫌われてもいいと覚悟していても、それでも不安は潰えずに自ずと語尾が小さくなっていく。
私はミサのほうを見るのすら怖くなってしまい、モニターに映る運転中の火口を監視するふりをし続けた。
火口がヨツバ本社を後にして首都高速に乗った旨の無線──ノイズ混じりのその音声をどこか遠くで聞く。
彼女が今どんな顔をしているのか気になるが、それを確かめる勇気ももはやない。

そんな漠然とした諦めの気持ちを感じながらも、ただただ沈黙のままモニターを眺め続けていると──ミサがころころと椅子のキャスターを引いて私との距離をつめてきた。



「ミサ、嬉しいよ。どんな理由があろうとも、香澄ちゃんがこんなにもミサの幸せが考えてくれて」


ああ──。
やはり彼女は優しい子だ──。

私を否定せず優しい言葉を掛けてくれたミサのほうへと、弾かれたように振り向く。
ミサは切なげに眉尻を下げながら、まっすぐに私を覗き込むように見つめていた。

「ありがとう香澄ちゃん、友達になってくれて…。ミサも、こんなにミサのことを親身に思ってくれる子と出会って、友達になれて、すごくすごく嬉しいよ!」

そうして金色にきらめく髪を揺らして、にっこりと微笑むミサ。
その笑顔の可憐さに、そして私と友達になってくれたことを喜んでくれた姿に────胸にこみ上げる切ない喜びに飲み込まれぬよう何とか耐え、私もゆっくりと彼女にほほえみ返した。

私たちは生まれた場所も育った場所も違うし、性格も好きなファッションも職業も、何もかもが違う。
それでも、例え身を危険に晒しても好きな人に従順に尽くしていきたい、その気持ちだけは痛いほど分かってしまうのだ。
盲目的に月くんを愛する彼女の姿に狂おしいほど私は共鳴してしまった。
容疑者相手にこんなに情が湧いてしまうなんて許されないことだとは分かっている。
それでも私は、ミサとこうして知り合えて友情を育むことが出来て良かったと心の底から思う。

この手錠が外れたらきっとしばらくは会うことも叶わないだろうう。
しかしいつかキラ事件を解決して再び会えた時には、「香澄」なんて偽名ではなく「香乃子」として語り合えたら良い。
そんな温かな希望が胸の奥で芽生え、私は切なさに目を伏せた。



──すると、一人感慨にふけっているところに突然「香澄ちゃん」と名を呼ばれた。
私が顔を上げて小首をかしげると、こちらを見つめるミサの瞳の奥で遠慮がちに、しかし隠しきれないように好奇心の色が揺れている。


「あのさ、今香澄ちゃんが言った『尽くしすぎてフラれちゃった昔の恋愛』、すごく気になるんだけど…。ほら!恋バナするときはいつもミサの元カレの話とか初恋の話ばっかりだったじゃん?香澄ちゃんの過去の恋愛の話あんまり聞いたことないし、せっかくの機会だし…聞いても良い?」

これ以上何を問われるのかと身構えていたところに、なんとも気の抜けた話題だ。
しかし先刻よりも生き生きとした様子で私に問いかけてるミサに、私は少し困って苦笑いを浮かべるほか無い。

女性が集まれば必ず一度は話題に出る恋の話。
当然、この三ヶ月間何度もミサからこの話題を切り出されたわけだが、私はその度に自身の恋に関する疑問をのらりくらりと躱し、彼女の過去の恋話を聞く役に徹した。
Lの素性を隠さなければいけない都合上、まさか彼のことをもう二十年近く想い続けているなんて言えるわけがない。
かと言って不自然に口を噤んでいるとミサが納得してくれないので、勉学に忙しくて大学生の頃に一度恋人を作りすぐ破局しそれっきり恋愛は経験していない、ということを一度話したのみだった。
まあ完全な嘘でもないのだが、一応相手は容疑者なのでそれ以上はプライベートを明かすことが出来ず、ミサもそれを理解しているのかそれ以上しつこく聞き出そうとはしなかった。

そうして秘密主義を貫いていたというのに──ミサとのお別れを間近に感じて最後に私の本心をさらけ出してみたくなり、その流れで過去の恋愛について触れてしまった。
あんな風に思わせぶりに『尽くしすぎてフラれちゃった』ことを聞かされたら、好奇心旺盛なミサでなくとも誰だって詳細を知りたがるのは当然だ。
つまり完全なる私の失態になるのだが、しかし、あれほどまでに秘密を貫き続けていたところにポロッと口から零してしまった事実。
本当は、心のどこかでこの苦しい恋愛体験を誰かに聞いてほしい、共感してほしいと願う気持ちがあったのかもしれない。

興味津々に私を見つめるミサの茶色い瞳。
隠し通すことは出来ないと理解し、私は照れくささに肩を竦めながらモニターの火口を今一度見つめた。
何だか無性に恥ずかしくなってしまい、ミサを直視することができないのだ。

「なんにも面白みはないありきたりな話だから秘密にしようと思ってたけど…ミサに話してみたくなっちゃった、初恋の話。でも恥ずかしいから誰にも秘密ね。もちろん月くんにも」
「秘密にする!ありきたりでも全然良いよ…!聞いたみたい、香澄ちゃんの初恋」

そういうミサがあまりにも嬉しそうに何度も首を縦に振り、瞳をキラキラと輝かせて私を見つめる。
その様子に照れ笑いを浮かべ、そしてぼんやりと火口の監視を続けながら私は言葉を紡ぎ始めた。

「プライマリースクール…小学生の時に、転校してきた男の子を好きになったの。日本語が話せる子でね、母国語でコミュニケーションを取れるのがすごく嬉しくて。何度も何度もお喋りしているうちに、いつの間にか好きになっちゃった」

さすがにありのままを語るわけにはいかないのでフェイクを交えつつも、私は愛おしい幼少期の記憶に思いを馳せる。

「色々彼が欲しがるものをプレゼントして、仲良くなれたと思ったんだ。彼にああして欲しいこうして欲しいって色々頼まれるとね、私必要とされてるんだ!って嬉しくなっちゃって…。…キスもね、その子と経験したわ」
「わあ…!つまり、その男の子はボーイフレンドになったってこと!?」

頬を赤らめながら興奮気味私の話を聞いているミサ。
少し首をかしげて楽しそうに私へそう問いかける彼女の姿を見て、私は少し沈黙したあと切なく口を開いた。

「私はそのつもりだったんだけど…向こうはそうじゃなかったみたいで、」
「は!?なにそれ!他にガールフレンドがいて香澄ちゃんとは遊びだったとか!?キスまでしたのに!?」
「んー…、他にガールフレンドがいた様子はなかったけど、でも私のことをなんとも思ってなかったみたい。なんでも言うこと聞いてくれる女の子だから側に置いてくれたってだけで…。お別れの言葉もなしにいきなり転校しちゃって…それでお終い。さようならも言えないまま失恋しちゃったの」
「なにそれ酷い!」

つい先刻まで楽しそうにしていた顔をしかめてぷんぷんとミサが怒っている。
忙しなく表情を変えていうく彼女の感情豊かな様に苦笑いしつつも、私はこの心が妙に軽くなっていくのを感じていた。

かなりフェイクを交えた話となったが、それでもミサがこの話を聞いてこうして憤ってくれると──あの日一人残されてしまった私の無念や悲しみを共有できたような、そんな気がする。

思えば、相手があの世界的に有名ながらも素性を隠す名探偵という都合上、私は今まで誰にもこの恋を打ちあけたことがなかった。
誰に相談することも出来ず、孤独の中忘れられない初恋の苦悶に耐えていたし、もはやそれが当たり前になっていた。

しかし、今この瞬間、これまでずっと一人で苦しんでいた胸の痛みが、すっと軽くなっていく。
人に悲恋を打ち明けることがこんなにも苦しみを和らげてくれるだなんて──予想外の結果をもたらした人生初めての経験に、私は驚きのまま自分の胸に手をあてて目を伏せた。

親身に感情豊かに話をきいてくれるミサだからこそ、こうして心が軽くなれたのだと思う。
変な下心や飾りっ気もなしにただ純粋に親身になれる、これもミサの天性の才能だ。

やはり私は、ミサという素晴らしい女性と友達になれて幸せ者だ──今一度そう確信し幸福に口に弧を描く。
まるで自分が失恋したかのように怒りながら切なげな表情をしているミサを見て、恥じらい気味に肩を竦めてみせた。

「初恋の話はこれだけ。もっと面白い話だったらよかったんだけど」

そう言って苦笑いしてみるが、ミサは何も言わない。
何かしらの返事はしてくれるはずなのに、何も言わずにただ目を丸くしてジッと私を見ている。
その様子に私はどうしたのかと小首を傾げる。
ミサは何度かまばたきをしてじっくりと間をためた後に、どこか秘めやかな声音で口を開いた。


「…ねえ。キスまでしといて香澄ちゃん捨てるなんて最悪な男の子だけどさ、でももしも…もしもその初恋の子と再会できたら、香澄ちゃんはどうする?」


核心を突くようなミサの問いかけ。
ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたかのような感覚。


その台詞に私は一瞬にして動揺に飲み込まれ、何の言葉を発することも出来ずに硬直するしかなかった。

ミサを盗み見てみれば、うっすらと優しく口に弧を描いて私のこと見つめている。
その様子から鑑みるに、おそらく何となく興味をいだいてこの質問をしてみただけで、他意はないようだ。
当然だ、あんなに嘘を交えた過去の話から、その初恋の男の子の正体が誰なのかなんて気づくはずがない。
ただ何となく、会話の流れで私に質問をぶつけてみたかっただけなのだろう。


それでもミサのこの問いかけは、私の心を抉るように胸に深く突き刺さって──。


「…どうだろう…。ミサだったらどうする…?何も言わないで音信不通になっちゃった元カレに再会したとしたら…」

動揺のあまりどう答えればいいかさっぱり浮かばず、私は苦し紛れに質問を質問で返す無礼な行動を取るしかなかった。
マグカップを再び手に取り、冷めたコーヒーを口にして何とか平静を装っていると、ミサは少しの間「んー」と真摯に悩み、そしてまるで覚悟を決めたかのようにその形の良い眉を吊り上げた。

「まずは引っ叩いて、あの時本当に好きだったことを改めてちゃんと伝えて、そうしたら清々しい気持ちで『さようなら』って、昔言えなかったお別れの言葉を伝える…かな?」

なんて明るくさっぱりとした、ミサらしい答え。
私は明瞭な彼女の声にやはり何も言えず、遣る瀬無しに口をつぐんだ。
恋愛ごとに関しては似た者同士とも言えど、ミサと私の明確な差を今この瞬間認めてしまい、自ずと劣等感に苛まれてしまう。

分かっている。
きっと普通の子はミサのように学生時代に色々な恋愛を経験して、怒ったり悲しい思いをしながらも、辛い過去の恋愛を乗り越えて大人になっていくのだろう。
それが当たり前だ。
いつまでも昔の恋愛に固執したりせず、さっぱりと終止符を打つことが普通なのだ。

──しかしあまりに女々しい性分故に私はそうすることが出来なかった。
今まで散々分かっていたことだが、改めて今、嫌というほどに自分の未練がましさを思い知らされてしまう。

いつまでも竜崎を追い続け、彼と再会するためだけにICPOへの就職さえも決めてしまった己の、なんと執念深いことか。

そして、そこまでして狂気的に彼を恋い慕い続けたというのに、いざ実際に再会してみれば私は何も出来なかった。
訳もわからないまま竜崎のセーフハウスに連れて行かれたかと思えば協力を求められ、そして日本に派遣されてしまい、彼との再会の喜びに浸る暇もなく、キラ事件捜査に忙殺されていた。

彼と離れ離れだった十年間、竜崎と再会したらやりたいことは沢山思い描いていたはず。
それこそ、ミサと同様に平手打ちをして私を捨てていったことを責めたいと思っていた。
あの日言えなかった「さようなら」をしっかり伝えたいと思っていた、はずなのに──。


(何もできなかった、けど…)


去年の12月のあの日、十数年ぶり再び見えたあの白い背中を、あの時の感動を私は思い返した。
あれから流されるように忙しい日々を送り、気まぐれで私に劣情を向けてくる彼に翻弄され泣きはらしながらも、再会からもうすぐ一年が経とうとしている。

徒労や遠回りを繰り返しながらも、私たちは今、キラ事件捜査の一つの節目を迎えようとしていた。

このまま捜査が順調に進み、真キラを捕まえて事件を解決することが出来たら。
「香澄」としてではなく「香乃子」として竜崎と、いや、エルと向かい合える時が来たら。

私はその時、どうしたいのだろうか────。


「私は、あの人ともう一度面と向かって話せるときが来たら…わたしは────」




『竜崎すいません!火口は拳銃を所持、局長が撃たれました!火口逃走!』



私の拙い台詞を遮るように、突然無線から鳴り響く切迫した模木さんの声。
私は俯かせていた頭をハッとあげて、急いでマグカップをデスクに置いた。
さくらTV内で火口と模木さんたちが接触し、追い詰められた火口は拳銃を使って局長へ発砲したらしい。
局長本人は無線で「肩をかすめただけだから大丈夫だ」と言っているが、その声は痛みでかすかに震えている。

このまま無事火口を捕らえられる──そう思っていたところの突然の反撃による急展開。
ミサとの会話を忘れ、火口の車内カメラの映像に注目していると、竜崎からの無線が入った。


『香澄さん、車内の火口の様子は?』
「切羽詰まったような動揺した様子で運転中です。拳銃は助手席に、すぐ手が届くように置いてあります」
「分かりました、私たちも直接確保に動きますので、香澄さんはそちらで火口の監視をお願いします」
「はい」

そうしてマイクのスイッチを切り、火口の様子を観察し続ける。
その最中チラリと隣を盗み見てみれば、ミサも私と同様これまでの話なんてすっかり忘れて不安げにモニターへと視線を向けていた。
相手は追い詰めれて何を仕出かすかわからない大量殺人犯。
私は高まる緊張感に一つ息を吐き出し、手錠の鎖を鳴らして椅子から立ち上がった。

「月くんも竜崎も、無事でいてくれるように祈るしかないね」
「うん…」

ミサの側に立ち、遣る瀬無くそう声を掛けて、私たちは二人静かにことの成り行きを見守るしかなかった。




──その後、日本警察の助力もあり無事火口を完全に追い詰めることが出来た。
拘束にも成功し、さらには殺しの道具となるノートや死神だとかいう非現実的な存在を把握することも出来た。
これで全てが解決できる──そう安堵したのもつかの間、車に乗せようとしたところで突然火口が倒れ、そのままあっけなく息絶えてしまった。

こうして、数々の新たな証拠を手に入れつつもキラ本人を捕らえることは叶わず、ヨツバキラの捜査は終焉を迎えたのだ。