the cake is a Lie | ナノ
15. 目配せ

海砂の映画の撮影に忙殺される日々を送るうちに、いつの間にか残暑を終えた。
屋外の撮影を見守る中どこからか香る金木犀の匂いに、懐かしい日本の秋の訪れを感じる。

あっという間に日本に来て十ヶ月以上経過したが、未だ捜査に進展は無いようだ。
映画の撮影が始まってからマネージャー業が忙しく、ノートパソコンでの仕事の手伝いすらも出来ない日々が続いていた。
昨日なんて朝から夜遅くまで撮影で、竜崎や月くんと顔を合わせていすらいない。
もうほとんどマネージャー業が本職となりかけている。
去年の今頃はICPO職員として働いていたはずなのに、一年後には巡り巡ってこうして日本の芸能界に携わることになるなんて。
なんとも奇妙な己の今を思うと焦りは感じるが、やはりどうしようもない。
海砂の監視にも気を配っているが、彼女はいつだって明るく能天気だ。
拘束中に見せたあの悲痛な、第二のキラであっただろう姿の面影は微塵もないし、不審な行動だって全く無い。
彼女からキラ事件の手がかりなんて全く掴めそうになかった。

(このままミサのマネージャーとして一生を終えることになったりして…)

車を運転しながらうんざりとあれこれ考えているうちに、海砂と共に拠点ビルへ到着した。
面倒なロックを全部解除し終えて捜査室へと顔を出せば、ソファで皆が集まって何かを話し合っているようだった。
海砂が飛ぶように月くんの元へ駆けていく。
今はまだ帰宅したばかりで手錠はしていないものの、普段の癖で海砂と距離があかないようすぐ後ろをついていけば、自ずと竜崎の姿が視界に飛び込む。
何かの資料をつまみ上げるように眺めるその様に、私は今までと様子が違うことにすぐさま気づいた。

「竜崎…何だか今日は機嫌がいいんですね」
「月くんが昨日ね、大企業の心臓麻痺者と株価からヨツバが怪しいことに気づいたんだよ。もしかしたらヨツバ関係者にキラがいるかもって」

向かいのソファに座っていた松田さんにそう説明されて目を見開く。
私が捜査本部から離れているうちに月くんはしっかりキラ事件の捜査を続け、そしてついに手がかりを得ることに成功したらしい。
やる気がないとは言え竜崎ですら見つけられなかった手がかりを月くん探しだしたという事実。
驚きと尊敬を覚えて彼のほうを見た。
海砂を適当に相手しながら、竜崎の持つ資料を覗き込んでこの件について色々議論をしているようだ。
それに応える竜崎が今までと全く違う、目に生気を取り戻した精悍な顔つきに戻っているのを目で認めた瞬間、私は何故か胸が締め付けられるような心地を覚えてしまった。

竜崎が立ち直れて良かったという思いは確かにある。
あるはずなのに、どうして心の底から喜ぶことが出来ないのか。

孤児院時代を含めると、私はこの場にいる誰よりも竜崎と長い月日を共にしたし、彼のことをよく知っている。
ワタリを除けば私が一番彼を理解しているのだという自負があった。

だが私はどんなに彼を励まそうと思っても元気づけることができなかった。
こうして月くんの活躍によってあっさりと元気を取り戻した竜崎を目の前にしてしまうと、私はやはり力不足なのだと思い知る。
私も月くんのように優秀だったら、キラへの手がかりを見つけて竜崎を喜ばせることができたのだろうか。
もっと彼の部下として役立つことが出来ただろうか。
月くんと竜崎が語り合うその毅然とした様に、私では決して間に入ることが出来ないような優秀な人間同士の崇高な雰囲気が漂っている。

私と話しているときよりも遥かに生き生きとして饒舌な竜崎。
どこか楽しげな気持ちでさえも滲んでいるようなその面持ち。

私は月くんへと感じてしまうあまりにも醜い見当違いな嫉妬と遣る瀬無さに、ひとりこっそりと胸を痛めるしかなかったのだった。






──そんな私の複雑な心情はさておき、我々捜査員たちはキラ逮捕への新たな一歩をついに踏みしめた。

これでまた少しは竜崎の役に立てる──漠然とそう思っていた私だったが、マネージャー業の多忙さにほぼ捜査本部を留守にしていて月くん達と関わることが出来ない。
作業の手伝いが出来ないどころか、今捜査本部で何が起きているのかすら把握することができなかった。

「警察がキラに屈して、父さんたちが警察をやめることになったんだ。松田さんと模木さんも父さんと同じように辞表を出したみたいだけど…相沢さんは家族のこともあって捜査本部から去ってしまった」

海砂と帰宅した後に月くんからそう語られ、悲しみに暮れる。
警察がついにキラに屈し我々に圧力をかけてきたというのも悲しいし、この十ヶ月間共に戦ってきた仲間に最後の挨拶すらも出来なかったことが辛い。
竜崎の態度に激昂した結果相沢さんは出ていってしまったらしいが、皆口を濁すのでそれ以上詳しいことを知ることは出来なかった。

相沢さんという有能な捜査員を一人失ったことで、ただでさえ人員の足りなかった捜査本部はさらに人手不足になってしまった。
いくら竜崎と月くんが優秀とは言え、彼らだけでは出来ないこともあるしやはり協力者は多いほうがいい。

竜崎も同じように人手不足を痛感していたのだろう、彼はその伝手から捜査本部に協力者を招いた。
竜崎がワタリに手配を頼んで三日後に捜査本部にやってきた、アイバーとウエディ。
竜崎と過去に深く関わった非常に優秀な詐欺師と泥棒らしい。
今まで素性を全く明かさなかったが竜崎がわざわざリスクを承知で顔を晒したくらいなのだから、二人の腕前には一目置いているのだろう。
まさか犯罪者と共に仕事をすることになるとは思わなかったが、それでも優秀な仲間が増えたというのは喜ばしくもある。
しかしそんな期待の陰に、私の心では尚一層焦燥が膨らんでいた。

これまでただ一人の女性捜査員として色々な仕事を任されていた私だったが、ウエディの参入によって唯一ではなくなってしまった。
どんな厳重なセキュリティでも破ることのできる優れた技能や知識、器用さを持つ彼女。
一方で私は事務処理くらいしか出来ない、凡庸な人間である。
私という存在の完全な上位互換であるウェディのことを鑑みると、己の無力さを更に痛感してしまうのだ。

竜崎の役に立ちたいという気持ちは膨らみ続ける一方なのに、自分の能力が全く追いつかない。
海砂を監視することだって重要な仕事だとわかっているが、本部から離れてマネージャーの仕事ばかりしていると自分が全く捜査に役に立っていないような気がして怖いのだ。





──そんな浮かない気分の中、今日も映画の撮影に赴くためミサと身支度を整える。
二人で準備を終えた後に手錠を外してから部屋を出て、捜査室へと向かった。

「では撮影に行ってきます」
「ああ、今日は冷えるから二人共風邪をひかないようにな」

夜神局長の心遣いに感謝の言葉を返して軽く頭を下げる。
月くんに「お仕事頑張ってくるね」と元気そうに抱きついている海砂と、困惑気味にもそれに応える月くん、そして興味なさげにケーキを食べている竜崎。
普段どおりの彼らを横目に見ながら、私は目的の人物の方へと身体を向けた。

「松田さん、では運転お願いしていいですか」
「え、ああ!任せて!じゃあ行こうか」
「すみません、お忙しいのに車出してもらっちゃって…」
「いいのいいの!車運転するくらいだったら僕もお役に立てるから!」

普段は私が車を運転して現場へと向かうのだが、今日の撮影場所は近くに駐車場が無いためあらかじめ松田さんに送迎をお願いしていた。
基本的に仕事中でも極力海砂から目を離さないようにしているので、撮影で疲れ切っている彼女を連れて遠くのコインパーキングまで歩くというのも可愛そうだし、タクシーは捜査本部の所在地と海砂の住まいの漏洩に繋がりかねないので可能な限り使わないように竜崎に指示されている。
そう悩む中松田さんが送迎を名乗り出てくれたので、有り難くお願いしたというわけだ。
体調が戻ったので私が主に海砂に同行しているが、松田さんも一応のマネージャーの一人の体ではあるので適任といえば適任だ。

「帰りの時間は何時だっけ?」
「一応二十二時の予定なんですけど時間通りに終わらないかも知れませんし…目処が立ったらまた改めて連絡します。…海砂ちゃーん、そろそろ行こうか」
「はーい!マッツーよろしくねー!」

まだ月くんにべったりしていたミサを呼んで、ようやく三人で捜査室から出る。
地下の駐車場へと向かう最中、撮影現場についてからの段取りをあれこれ考えながらも、ミサと松田さんのにぎやかな会話を聞いていれば、彼の様子がどうもぎこちないことに気づいた。
いつも底抜けに明るいその笑顔がどうも引きつっているような気がする。
もしや具合でも悪いのではないか、と心配する気持ちもあるが、彼はそういう時には聞かれずとも自分から申告するタイプの人間だ。
杞憂の可能性もあるし無意味に突っ込むのも野暮かもしれない、そう思い私は開きかけた口を閉じて、おとなしく助手席へと乗り込んだのだった。






その後、ミサの唐突なワガママに頭を悩ませつつも撮影を見守り続け、辺りがすっかり暗くなった頃。
唐突にポケットの中の携帯電話が静かに震えだした。
マネージャー業務用の携帯ではなく、香澄個人の携帯にかかってきたということは捜査本部の誰かからだろう。
仕事中に電話なんて滅多にないのだから、きっと何か大事な用件だ。
ディスプレイに表示された「竜崎」の文字に尚一層嫌な予感を膨らませながらも携帯電話を開き、通話ボタンを押した。

「もしもし」
「香澄さん、早速ですが松田の現状について何か知っていますか」
「…送ってもらってから別れてそれっきりですけど…何かあったんですか?」

まさかキラの魔の手が及んでしまったのだろうかと恐怖に竦みかけるが、竜崎の不機嫌そうな声音を鑑みるとその手の悲報ではなさそうだ。
普通に私達を送って車で帰っていった松田さんの身に何があったというのか。
私は心配に眉根を寄せて携帯を握りしめた。

「…単刀直入に言いますと、ヨツバ本社でやらかしてピンチなようです」
「え!?」
「香澄さんと一緒に出発してから松田、こちらに帰ってきてないんですよ。二人の仕事に同行しているのかと思って気に留めていなかったのですが、いつの間にかヨツバ本社に潜り込んで捕まったようで、先程緊急サインが送られてきました」

ヨツバで捕らえられて危機的状況にあるという松田さんの現状を知り、酷く動揺する。
一体何を思って松田さんがヨツバに潜り込もうと思ったのかは知らないが、おそらくキラがいるであろう組織をこそこそ嗅ぎ回っていたのがバレてしまったというのは、相当危険な状態だろう。
竜崎の苛立ちの理由を理解しつつも松田さんの身を案じて、私はじっとりと嫌な汗を滲ませた。

「一応今はまだ殺されていないようです。電話をかけてみたら松田本人が出てうまく現状を語ってくれたので、今すぐに殺されそうな状況ではなさそうかと」
「…どうするんですか?助けに行くんですよね…?」
「彼が死ねばヨツバ=キラが確定的になりますが…見捨てるわけにもいきません。しかし、今不用意には動けませんからね…。下手をすれば私達全員の命が奪われかねない。少し様子を見ますので、撮影が終わったら連絡をください」
「……わかりました」

そうして通話が終わり、汗ばんだ手で携帯電話を畳む。
「松田」と雑に呼び捨てる辺り、竜崎も相当困惑しているようだが、現状成す術がないらしい。
ここ撮影現場から目視できる程すぐ近くにあるヨツバ本社ビル。
今あの建物の中で松田さんの身に危険がせまっていると思うと無性に胸が苦しくなるが、竜崎の言う通り今は待機するしかない。
私は真っ黒な夜空の中未だ輝いてるヨツバビルの上層階を見つめ、震える手で強く拳を握った。









夜十時ごろ、ようやく長かった今日の撮影を終えた。
僅かな休憩時間中も人目が多く、未だミサには松田さんのことを伝えられていない。
後片付けを終え、やっと帰宅できる状態になってからすぐひとけのない場所に移動し、竜崎へと電話をかける。

「どうしたの香澄ちゃん、慌てて電話かけたりして…。ていうかマッツーは?まだ来てないの?」
「それが彼のことなんだけどね…あ、もしもし」

竜崎と電話が繋がった。
ミサとの会話を一時中断し、撮影が終わった旨を報告している途中──突然ミサのカバンから着信音が鳴り響く。

「マッツーから電話だ」
「っ!」
「…はい、もしもーし」

何も知らないミサが普段どおりの呑気な声音で松田さんからの電話に応えた。
特に変な表情をするでもなく、普通に向こうの話に耳を澄ませている様子を見るに、松田さん本人からの電話で間違いなさそうだ。
まだ松田さんが死んでいないことに安堵を感じつつ、私は少し彼女と距離を置き、秘めやかな声で今一度自分の携帯に向かう。

「ミサの携帯に松田さん本人からの電話です。スピーカーの音を拾えるように携帯のマイクを近づけますね」

そしてミサの携帯電話に私の携帯電話のマイク部分を寄せる。
突然の私の行動を少し奇妙に思っているミサへアイコンタクトを送り、会話を普通に続けるように促す。
そんな私の意を察してくれたのか、彼女は怪訝な顔つきながらも何事もなかったかのように会話を続けてくれた。

ミサの携帯から漏れ聞こえる声と彼女の返事から、松田さんはCM起用に向けた宣伝のため今から彼女を本社に来させたいようだ。
彼も一応ミサのマネージャーの一人として、確か「松井太郎」の名刺を携帯していたはず。
それを上手く使い、タレントの営業をするマネージャーとしてこの危機を脱しようとしてるのかもしれない。

「……わかった!ミサ気合い入れて行くね!じゃねー」

やがて話を終え、ミサが通話終了ボタンを押したのと同時に自分の携帯電話を耳元に戻す。
状況を把握しきれていないミサは、きょとんと小首を傾げながら私を見上げた。

「香澄ちゃん、ヨツバのCMに出られるかもしれないから今から本社に来てくれってマッツー言ってたんだけど」
「…だそうですが、どうしましょう竜崎」

当然私が決めるわけにはいかないのですぐさま竜崎の判断を仰いでみると、彼は電話の向こうで月くんと相談を始めた。
携帯電話を耳元から離しているのか、はっきりとその相談内容を把握することはできない。
何とか聞こえる単語から考えるのに、ミサの身を案じて行かないほうが良いと主張している月くんを竜崎が説得しているようだった。
ミサは以前月くんに「一方的に押しかけてきただけ」と言われていたが、それでもこうして危険から遠ざけようと心配してくれる優しい彼氏がいるというのは羨ましい。
身体の関係をもっても従順な駒として竜崎に命がけの仕事を任せられ続ける我が身と対比してしまい、心のなかで汚らわしい感情が僅かに生まれる。
しかし、未だきょとんと私を見つめ続けているミサのその純真な瞳。
こんなどす黒い見当違いな感情なんて抱えている場合ではない。
そう慌てて我に返り、ミサにもう少し待つように声をかけた。

「プロダクションの女性を集めて」「マンションの一室を準備」「ヨツバの人間を接待」「松田さんの死を偽装」

不鮮明ながらもスピーカーから僅かに聞こえる竜崎と月くんの会話に、彼らが何を計画しているのか察することができた。
松田さんを救うためとは言え、これはかなり難しい計画になるのではないか。
特に接待の主役として臨機応変に振る舞わなくてはいけないミサの負担は大きすぎるのではないか。

そんな困惑に苛まれながらも向こうの相談が終わり、電話の向こうで月くんの声が聞こえた。
「ミサに替わってくれませんか」と言われたとおりに彼女に携帯電話を渡せば、彼女は大人しく月くんの話を聞き始めた。

「うん…うん……。わかった!ライト、かわいいって言ってくれてありがとう。ライトの頼みだもん、ちゃんとやる!」

うまくミサを喜ばせて彼女をその気にさせた月くんと、彼のためならどんな危険なことだってやり遂げてみせると言わんばかりのミサの素直さ。
私は彼女がこの作戦に同意してくれたことに安堵を覚えつつも、どこか危うげな雰囲気を感じて一抹の不安に眉尻を下げた。







それからはとにかく慌ただしく、接待の準備に追われることになる。
事務所に連絡をいれ、かなり大きな給料を払うことを条件に何とか参加してくれる女性タレントを複数人手配できた。
その手配の電話の最中、ミサの服やメイクの準備も同時に行い、彼女の携帯電話で竜崎の指示を聞きながらも大慌てでタクシーでヨツバ本社へと向かった。
ミサは遅い時間まで続いた撮影後にも関わらず、「ライトの頼みだもん!」と疲れた気配を全く見せないで明るく元気に重役たちへの挨拶へと向かっている。
彼女の健気さに私も頑張らなくてはと気合を入れ、マネージャーとして重役らの前へと顔を晒した。

会議室に入った途端、視界に入る松田さんの変わりない姿。
彼が無事であることをこの目で確かに確認できてひどく安心しつつ、私は何事もなかったかのようにミサと共に接待の案内をするのだった。






その後竜崎たちが手配したとある高層マンションへと移動し、その一室で接待が行われた。

容姿端麗な女性たちの開いた胸元に、ミニスカートからのぞく生足。
そしてテーブルの上に並ぶ高級寿司や高そうな酒類。
短時間での準備ながらもなんとか様になってくれた状況の中、私もニコニコと笑顔を崩さずに立ち振る舞う。

「ふーん…君もマネージャーなのか。ミサちゃんには松井さんだけじゃなくて二人マネージャーがついてる訳だと」
「はい。弥海砂は今うちの事務所で一番売り出したいタレントなので、私が現場担当、松井が営業・事務担当に分かれてマネージメントしているんです。ご検討よろしくお願いいたします」
「三堂さん!僕からも、ミサミサのCM起用おねがいします!」

松田さんと共に一人ずつ名刺を渡して丁寧に挨拶をしていく中、周りにばれないようこっそりと彼の袖を引き、部屋の端に置かれたサイドボードへと視線を送る。
その上にあらかじめ置いておいたミサの赤い携帯を松田さんが見たのを確認してアイコンタクトを取った後、また何食わぬ顔をして挨拶を続けた。



挨拶を終えた後は皆に混じって彼らに笑顔で酌をし、いい気分で程よく酔ってくれように努めた。
この中にもしかしたらキラがいるかもしれない。
松田さんを救出することが目的の接待ではあるが、可能ならば出来るだけ彼らと親密になれるようにと竜崎か指示を受けている。
私は命令どおりに彼らと仲良くなろうと、周りの状況を見ながら寿司を取り分けたり会話に興じたり、時には肩に腕を回される過剰なスキンシップに耐えたりと、気の休まらない時間を送った。

一方ミサは持ち前の人懐っこさと明るさで、うまく彼らとコミュニケーションを取っているようだ。
突然の計画に巻き込んでしまったというのに、こうもうまく立ち回っている彼女の臨機応変さに感心する。
やはり彼女は強く聡い子だ。
あんな子がかつて第二のキラだったと言う事実に胸を痛めながらも、ちらりと彼女のほうを見てみれば、隣に座る火口卿介という男に随分粘着されている様子だった。

「携帯番号教えて。ミサちゃん俺のタイプだし、悪いようにはしないからさ」
「えー嬉しい!いいですよー番号交換しましょう!」

言葉ではそう言っているが、内心絶対に不快に思っているはず。
肩に腕を回され、顔を変に近づけて話しているその様に彼の下心が滲み出ていた。
女性が最も嫌うタイプの男性にべったりとくっつかれている彼女に同情してちらちらと見守っていれば、番号交換を終えてコップを置いた火口の手がミサの腿へと伸びた。
これはさすがに駄目だろうと、私は葉鳥との会話をそれとなく終わらせ、二人の元へと向かう。

「火口さん、本物のミサミサいかがですか。お気に召して頂けましたか?」
「あ?…ああマネージャーか…。テレビで見るよりもずっと可愛らしくて気に入ったよ」

さすがに彼も行き過ぎたスキンシップをしている自覚はあったのだろう、私が話しかけるとすぐさまミサの腿を撫でていたいやらしい腕を引っ込めた。
私の意図を察したミサミサが席を立ち、鷹橋の相手をし始めたことを確認してから、火口の横に腰をおろした。

「エイティーン読者投票一位の、若い人たちに大人気のミサミサですから、ヨツバのCMに採用していただけた暁には若年層へのアピールにおいてきっとお役に立てるかと思います。火口さんも是非、ご検討ください!」
「そうだなあ…オレから皆に進言しておくよ」

ミサと話していた先刻までの楽しげな顔つきから、すっかりつまらなそうな面持ちになっている。
そんなあからさまな態度に内心呆れつつも、当たり障りなく微笑みを保ち続ける。
コップの中が空になっていたので新しいお酒をついでいると、向こうで松田さんが「ちょっとトイレ」と呟いてふらふらしながら立ち上がった。
お手洗いに向かう途中こっそりとサイドボード上の携帯電話を掴んでポケットにしまいこんだその様子に、私は松田さんがいよいよ竜崎と連絡を取ろうとしていることを察した。

とは言え、あまりチラチラとお手洗いの方を見ているのも不自然ではあるし、今はトイレに誰も近づけないようにするくらいしか出来ない。
私はミサとアイコンタクトで確認し合った後、今一度火口へと視線を戻した。
コップに注いだお酒を彼の前に置き直そうとすると、火口が手を差し出している。
その傲慢な態度に呆れるが、しかし松田さんがトイレに立ったことは気に留めていないようでそこは安心だ。
ニコニコと微笑みを顔に貼り付け、丁寧に両手を添えながら彼へと紙コップを手渡したその時──火口のひんやりした手がおもむろに私の指へと触れた。

「すべすべの手だね…。香澄ちゃんって言ったっけ?」
「はい!名前覚えていただけて嬉しいです」

酒をその手に受け取り、「ふーん」と呟きながら視線を私に這わせている。
頭の天辺からつま先までを吟味するようなそのじっとりとした目つき。
不快感をおぼえるが、そんな気持ちを隠してわざとらしく小首を傾げてみた。

「どうしましたか?」
「歳、いくつ?」
「26です」
「そうか、…若いねえ」

(このスケベオヤジ、私にまで粉をかけるつもりだな…)

心の内で悪態を付きながらも、オレンジジュースを飲んで何とか笑顔を保ち続ける。

「香澄ちゃんは皆みたいな可愛い服着ないのか?他の女の子は全員華やかに着飾ってるのに、香澄ちゃんだけ地味なスーツじゃ寂しいだろう?」
「…私はただのマネージャーですから…。それに、私なんかがあんなセクシーな服着たら浮いちゃいますよ。皆モデルで顔立ちが整ってるから、ああいう服が似合うんです」
「そんなことないさ。香澄ちゃんだって十分カワイイよ」
「本当ですかー?可愛いなんて褒められるの嬉しいです…」

酒の席で男が言う甘い言葉なんてこれっぽっちも信用できないし嬉しくもないが、ここで嫌悪感を露わにするわけにもいかない。
不愉快さをなんとか抑え込み、頬を染めて喜んだ素振りをすれば、火口は満足げに口を歪めて酒を飲んだ。

「じゃあ、ちょっとトイレ行ってくるよ」

──まずい。
席を立ってトイレへ行こうとする火口の様子に、焦りで鼓動が早くなる。
おそらく今、松田さんはトイレで竜崎たちと連絡を取っている真っ最中。
トイレの防音がどれほどのものかは把握していないが、松田さんの命が狙われていることを考えれば人を近づけないに越したことはないだろう。
火口がコップを置き、いよいよソファから離れようとしたところで、私は咄嗟に手に持っていたジュース入りのコップを傾けた。

「え、やだ、こぼしちゃった…!」

火口に聞こえるようにやや大袈裟な声をあげてみれば、計画通り彼は私の方へと振り返った。
白シャツの胸元を汚すオレンジジュースを火口が見ているのを確認し、近くにあったおしぼりへと慌ただしく手を伸ばした。

「あーあ。随分派手に零したな」
「手が滑っちゃって…。…シャツ、びっしょりになっちゃった…」

肩を落としながらもわざとらしく胸元に手を当てて、しみになった部分を強調する。
濡れて透けてしまいそうな部分を恥じらい気味に隠して顔をあげてみると、目論見どおりに火口は胸元を見つめていた。
彼を引き止めるためやむを得ない手段を取らざるを得なかったとは言え、こんな下心満載の目で胸元を見られるのはいい気分ではない。

「着替えは?」
「ないですねえ…どうしよう」
「他に何か服はないのか?」
「うーん、女の子たちのコスチュームなら予備があったと思うんですけど…」
「ならそれに着替えれば良いじゃないか」
「えー…でもサイズ合うかな…。それに似合わないでしょうし」
「ビショビショの服のままよりはマシだろう。とりあえず一回着てみたらどうだ?いい機会だから香澄ちゃんのセクシーな姿、見せてくれよ」

そんな取り留めもないやり取りをしているうちに、向こうでバタンと大きな音を立てて廊下の扉が開いた。

「あー…酔った酔った…。気っ持ちいいー」

酔ったふりをして覚束ない足取りのまま向こうへと歩いていく松田さん。
火口は扉の音に反応して松田さんの方へと視線を向け、その様子を気にかけているようだった。
私はやっと彼から開放されたことにこっそりと胸を撫で下ろしながらも、おそらくこれから本格的に始まるであろう救出作戦へ向けて一層緊張感を高めていった。






そしてあらかじめ伝えられていた竜崎の計画通り、松田さんは陽気なよっぱらいを演じた。
ショータイムだと皆の視線を集めた後、無謀にもベランダの手すりの上で逆立ちを始め、そして手を滑らせ落下していく。
すぐ下の階のベランダで模木さんらがクッションを用意してそこに着地したはずだが、この部屋からは転落事故が起こったようにしか見えない。
ヨツバの人間に殺される前に、彼らの目前で松田さんの死を偽装する。
これが竜崎の計画であった。

そんな私達の大掛かりな計画も露知らず、事故が起こってしまったことに女の子たち、そしてヨツバ重役たちは酷く動揺した。
私とミサとで神妙な表情のまま「まずいことになってしまったから」と彼らに帰るように促し、そして私達はその役目を終えたのだった。




──作戦は無事成功したようで、後処理をすべて終えた後、拠点ビルで元気そうな松田さんと再会することが出来た。

「マッツーのせいでミサたち大変だったんだよー!もうすぐ朝になっちゃうじゃん。ミサお昼からまた撮影なのにー」
「ご、ごめん!いつか美味しいものごちそうするから…!!本当に助かったよ。ミサミサと香澄さんのおかげで僕は生還できたんだ。感謝してもしきれないよ!…まあ、まだ完全に殺されずに済んだと確定したわけじゃないけど…」
「ミサちゃんがすごい自然に接待を盛り上げてくれたから、ヨツバさんたちもなんの疑いもなくあの場を楽しんでくれたようですし…きっと大丈夫ですよ。…ミサちゃん、ありがとう。それとお疲れ様」
「香澄ちゃんもお疲れ様!あの火口とかいうスケベオヤジのセクハラからかばってくれたのホント助かったよー」

張り詰めていた緊張の糸が切れ、徹夜の疲れも相まってやや興奮気味に会話する私とミサ、そして松田さん。
そんな私達の賑やかな様子を、廊下の向こうで竜崎と月くんが見つめていた。