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それはそれは小さく可愛らしい音だった。雨降る夕方、ぽつぽつと屋根を叩く雨粒の音にかき消されてしまいそうなほど控えめに響いたリップノイズ。それなのにそれは確かに私の鼓膜を震わせて、あっという間に頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱してしまうのだ。やっとの思いで瞼を上げて口元を見れば、サイ君の唇と私の唇をつなぐ銀色の糸がまさに切れる瞬間で。ただでさえ整理がつかない状態なのにその光景のおかげでもうサイ君の顔をみることさえできそうにない。うつむいてただただ顔を赤くした。

「いや、だった?」

恐る恐る、というような低い音色のサイ君の声にハッと顔をあげる。眉を八の字にしたサイ君が心配そうで悲しそうで、切なそうな顔をしているのに気が付いて慌てて首を横に振った。よかった、と柔らかに微笑むサイ君の姿がとても綺麗で、胸がきゅうんと締め付けられるような心地がした。

「でも、目が潤んでるよ」

頭に温かな重み。サイ君が包み込むように優しく頭を撫でてくれている。なんでだろう、すごく落ち着く。大きく大きく息を吸い込んでサイ君の香りを胸いっぱいに詰め込めば、バクバクとうるさくはしゃいでいた心臓も次第に心地よいリズムを取り戻していった。

悲しくなんてない辛くなんてない、もちろん泣いてなんかいない。それでも確かに言われてみれば目元が熱い。視界もいつもよりぼんやりとピントが合っていないような気がするぞ。サイ君に無駄な心配をさせてしまったと苦笑いを浮かべ、両手で自分の頬を包みこむ。

「なんでだろ、泣いたつもりはないのにね」

ほっぺもすごく熱い、たぶん林檎みたいに真っ赤になってるんだろうなあ。ぽつぽつと雨音がしばらく部屋に響いた後、恥ずかしさを胸の内に押し込んで彼を見上げてみるとサイ君がちょこんと控えめに首を傾げた。なにこれ可愛い。可笑しくて可笑しくて思わず笑みをこぼす。

「はずかしいね何だか」
「そうだね」
「サイ君てれちゃったの?」
「んー」

それから何も言わなくなったサイ君。もしかしたら照れる、という概念がわからないのかもしれない。そう気がつくと、軽いノリで茶化すように「照れちゃったの?」なんて聞いてしまったのがとても悔やまれて、さっきまでの幸せが泡のようにあっけなく消えていくのを感じた。幸せの魔法が解けた後、沈黙に包まれる部屋の中で嫌に雨音が耳に残る。さっきまでこんなうるさくなかったはずなのに。

「照れる、ていうのはよくわからないけど、」

ぽつり、と聞こえてきたのはサイくんの声だった。

「コマチが泣きそうな目で僕をみると、なんだか胸がキュッとして下半身がムズムズするんだ。こういうのを、興奮するっていうんだよね?この前ナルトに聞いたんだ」
「え」

かか、かかか下半身がムズムズだなんて、なんてことを!
彼の口から度々とびだしてくる爆弾のような言葉の数々にはいい加減慣れていたが、男の子の性事情をこうもストレートにぶつけられるとどうすれば良いかわからない。
さらに言えばサイ君に変な意図なんてこれっぽっちもないわけで、思ったことを言っただけであって、…つまり欲情しているわけで…。サイ君のえっち!と顔を熱くしてそう言うと、彼は困ったように笑った。

でも、なんだろうこの気持ち。嬉しくて嬉しくてしょうがないのだ、私を女としてみてくれているサイ君が。だって私ったらキスの仕方も知らないしふたりっきりになるとどうして良いかわからなくなるようなお子ちゃまだもん。そんな私に女の魅力を感じていてくれるというのならそれはとても喜ばしいことなのだ。

でも、ね。

「これ以上のことは、まだしばらく待っててね。あたし、怖い」


伏せ目がちに少し真面目な声音でサイ君にそっと伝えた。サイ君が何も答えないのでどうしたのかと不安になり、思い切って目線をあげようとすると、グッと何か強い力に引かれる。びっくりとしている間もなく、全身に温もりが広がった。

息が苦しい、なんて間違っても言えない。でも、息が詰まるくらいに強く抱きしめられる中、触れ合う肌と肌からサイ君の愛が伝わってくるような気がしたんだ。しばらく彼の腕のなかで目を閉じていると、「大丈夫だよ、僕はそんなせっかちじゃないから」と少しふざけたように彼に囁かれた。




(初めてのキスってどうしてこんなにドキドキするの)


2011.06.20修正