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「とびらまさま…」

朝。小鳥のさえずりと柔らかに部屋へ差し込む日の光に目は覚めた。ぼんやりとしてうまく働かない頭でふと気づく、となりのひと肌。昨晩、扉間さまは帰ってこなかった。

とは言っても、夜遊びをするような人でないことは十分知っている。里の創設に携わる彼は多忙を極めており、ここ最近帰りが遅いこともあったのできっとそれだろう。妻の務めとして扉間さまが屋敷に帰るまで布団に入らず待ち続けたこともあるが、「馬鹿なことをするな」とこっぴどく叱られたのを思い出して仕方なく一人寝室へ向かった。行燈の光でやんわり照らされた部屋の中、一人っきりで横になるのはなかなか心細い。わたしは一度横たえた身体を起こし、二組並ぶ布団のうち自分のものを引っ張って扉間さまのそれとくっつけた。だからと言ってどうなるわけではないのだが、きっと真夜中に帰ってくるであろう扉間さまと少しでも近い距離にいられるのならそれで良かった。一人ご満悦顔で再び布団にもぐり、眠りについたのが昨晩のこと。

まあつまり私の計画は見事に成功したというわけだ。昨晩には居なかった愛しい旦那さまの温もりがすぐ横にある。穏やかな寝顔で寝息を漏らす彼の姿を見るだけで、起き抜けとは思えないほど胸が高鳴った。

扉間さまと私の距離は無いに等しいこの状況。布団をくっつけた訳には、彼の布団に潜り込みやすくなるのであわよくば朝起きたとき抱きつきに行こうという下心もあったのだが、まさか扉間さまのほうから私の布団に入り込んでくれるなんて。嬉しい誤算にひっそりと顔を綻ばせる。彼がどんな顔して私の布団に入り込んできたのか考えるだけで可笑しくてたまらない。お厳しい方の割には案外可愛いところもあるのね。私だけが知れる扉間さまの一面、胸のうちにあふれる優越感に思わず笑い声がこぼれた。

「…、」
「(あ…)」

扉間さまの眉間にわずかに皺がよる。起こしてしまったかと焦る私を余所に、彼は瞼を開きすぐさま赤い瞳をこちらに向けた。相も変わらず鋭い目元に未だぎょっとしてしまう。

「お、おはようございます」
「あぁ」
「あの、起こしてしまってすみません」
「あぁ」

彼は顔をしかめたまま、微かに頭を動かし周りの様子を窺っていた。今が何時か確認する意味もあるのだろうが、戦乱の世を生き抜いてきた忍として起き抜けにまず自分の置かれた状況を確かめてしまうのは癖なのだろう。まだ明け六ツの時間であることを知らせると扉間さまは気が抜けたように息を吐いた。

「何時にお帰りで?」
「空が白けた頃だ」
「つい先程ではないですか」
「そうなるな」
「では、全く休めていないと?」
「そんなことは今更だ。疾うに慣れた」

と扉間さまは言うものの、その顔から微かに疲れが垣間見えることは否めない。「兄者は無茶が過ぎる」だの「うちはの者の扱いに折り合いがつかん」だの、以前二人っきりの時にぽつりと彼がこぼした愚痴が思い浮かぶ。易々と弱音を吐くような人ではないので、よほど進展が芳しくないのだろう。あまり宜しくない顔色で身体を起こす彼を追うように、私も急いで上半身を起こした。

「今日のお勤めは何時から…?」
「昼過ぎに羽衣一族との会合がある」
「でしたら、午前中はゆっくりお休みになれるのですねっ」
「今日だけ、だがな」

僅かな時間ではあるが彼と共に過ごせるのだと思うと嬉しくてたまらず、思わず扉間さまの首元へ飛びついた。最近は夫婦らしく二人っきりで睦みあうことも少なかったので心のそこから喜ばしい。相手は相当にお疲れなのでこれと言ったこともせず二人で惰眠をむさぼるだけになるのだろうが、それでも彼と体温を寄せ合うことができるのだから私は構わなかった。

半ば私が導くように再び二人で横たわる。布団に潜り込んだもののどうも気分が落ち着かず甘えるように彼の身体へぴたりとくっつけば、扉間さまはすぐに私の頭へ腕を伸ばした。これから眠る彼に負担をかけてしまわないか気がかりではあるが、その行為を無下にすることはできない。おそるおそる彼の腕に頭を乗っけ腕枕の体制になるや否や、優しい力加減で肩を引き寄せられた。ああ何たる幸せ。愛しい愛しい扉間さまの腕と胸に挟まれその温かみに浸る喜びは、今私こそが世界一の幸せ者だと思わせてくれる、かけがえのないものだった。彼に聞こえてしまうのではと気がかりな程に胸が早鐘を打つ。涙がにじむほど心地いい状態ではあるが、少なくとも興奮で寝るどころではなかった。

すぐ目の前には目を閉じた扉間さまのお顔。その端正なお顔立ちをじっと見つめていると途端に彼は眉をしかめた。「視線がささる」、扉間さまはぽつりそう呟く。そ、そうですよね!下心満々でひたすらに凝視してたらさすがに気にかかりますよね!慌てて目線を逸らすが身体の火照りが覚める気配はない。

「コマチ」
「、はい」
「落ち着け」
「え、あ、…いやあ…はは」
「……おかげですっかり目が覚めてしまった」

扉間さまから嫌味を寄越されては、さすがに苦笑いを浮かべる他なかった。うう。彼の貴重な休息を無駄にしてしまった。罪悪感に彼の目を直視することも出来ず、その胸元に押し付けるかのように顔を隠すとと扉間さまは大きな手で私の髪を撫でつけた。

「随分と物欲しそうなそぶりをしておる」
「…」
「するか?」

まさか彼からお誘いの言葉をもらえるとは思ってもみなかったので、驚きで身体が跳ね上がる。どうしよもなく火照った顔で扉間さまと視線を絡ませてみるが、動揺する私とは対称的に、彼はいつも通りの冷静な目元で私を見ていた。恥ずかしい。結果的に彼へ情事をねだってしまったことも、お仕事で疲れている扉間さまに気を遣わせてしまったことも。自分の情けなさにゆらゆらと視線を泳がせ、乾く喉で声を絞り出した。

「あの、口でいたします。ほら朝ですし、最近お疲れでしょうし!こんなこと私から言うのははしたないのでしょうけれど、扉間さまのこと、えっと…お慰めしたい、です」
「見誤るな。自分一人で快楽だけを貪って満足するような情けない男ではない」

彼は表情を変えてぴしゃりと言い放ち、すぐさま身体を起こした。何か刺激を与えるようなことを言ってしまったと気づき身体を強張らせるが、扉間さまはそんな私の足をいとも簡単に割りその間に膝をついた。迷いのない手つきで私の襦袢をまくり上げていく。まるでおしめを取り換えられる赤子のような、あられもない姿をさらすことが恥ずかしくて思わず涙ぐむが、わたしのそんな顔を見て扉間さまはやや意地が悪そうに口端を持ち上げた。

「羞恥で赤らむお前の顔を十分に堪能することにこそ、まぐわいの本当の楽しみがあるのだ」
「そ、そんな恥ずかし…」
「所謂ご無沙汰、というやつだからな。俺の愛撫に身悶え、乱れ崩れる姿に期待しておるぞ」

あ、あれ。なんでこんなことになってしまったんだろう。扉間さまはここ最近の多忙さにすっかりお疲れで、今晩だってほとんど睡眠もとってないご様子。下心がなかったと言えば嘘になるが、そんなの気にせず午前中こそはゆっくりと身体を休めてほしかったのだ。せっかくの休息の時間を情事なんかに当ててしまったら、それこそ本末転倒。余計に負担をかけてしまうのではないのか。

いつの間にかすっかり加虐心に火のついた扉間さまの、その性急な動作に目を白黒させる。彼の身が心配なのには違いないのだが、何よりも私に覆いかぶさる扉間さまの姿が生き生きとしていて、「止めて」だなんて言える状況ではなかった。…私だって、本当は扉間さまに肌と肌で愛されることを何よりも待ち望んでいたわけだし…。日の光がまぶしい早朝だというのに、次第に部屋の雰囲気は変わっていく。ああこれから扉間さまにたっぷり愛していただけるのだと思うと興奮で息は荒くなり、気づけば彼の目前に晒されていた胸元を激しく上下させる。

この二本の腕を彼の首に巻きつけたら、それこそもう後戻りできないと分かってはいた。しかし下半身からじんわりと体中に染み渡る快楽を我慢する術もなく、溢れる愛おしさのままに腕を絡めて口付けをねだる。






*

*

*


「あ、柱間さま」
「おお!コマチと扉間!」

屋敷の廊下の先に見える義兄に声をかける。私の隣で共に歩いていた扉間さまは柱間さまの姿を見るや否や足を止め、いかにも不機嫌そうな表情を浮かべた。

「今日もいいお天気で」
「天気が良いとそれだけで活力がわいてくるからのう!良いこと尽くめぞ」

いつも通りの世間話もそこそこに、さあ脇を通らせて頂こうと小袿の裾をひらめかせたその時、柱間さまは「あ!」とわざとらしく大きな声を上げた。驚きで思わず足を止め、何事かと小首を傾げてみれば義兄は快い笑顔でわたしの腕を引っ張り、扉間さまに背いて腰をかがめた。

「疲れ魔羅というやつぞ」
「つ、つかれ、らま?」

柱間さまが耳元でコソコソと聞きなれない言葉を言うので、自然と眉間にしわがよる。「ラマではない」と可笑しそうに言う柱間さまの姿がますます疑問だ。懸命に頭を働かせても埒があかないので素直に何のことか聞いてみようと口を開く。…のだがその瞬間、後ろからものすごい剣幕の扉間さまがものすごい勢いで割り込んできて、ものすごい早さで私の腕を引っ張り先へ進み始めた。何が何だかさっぱりで状況も呑み込めず、前で手を引く扉間さまと後ろで豪快な笑い声をあげる柱間さまへ交互に顔を向ける。どんどん先を行く扉間さまが随分と決まりの悪そうな表情をしていたので、とりあえず、つかれ…らま?まら?とやらはあまり宜しくない言葉だということはわかった。後でひとけのないところで扉間さまに聞いてみよう。