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彼の気配が近づいてくるとともに堪えきれなくなるほど高鳴る胸。少しでも美しく見られたいと思う女心から、急いで小袿の形を整える。背筋をぴんと伸ばし、ひな人形のように淑やかであることを意識して鎮座した。御簾の向こうに愛しい彼の影が、柔らかな月明かりを遮ってうごめく。ああ、あと数秒。

「おかえりなさいませ、扉間さま」
「ああ」

私から声をかけるのは些かはしたなかったのかもしれない。僅かな後悔と恥を感じながら顔を赤らめるも、やっと目に映る扉間さまのお顔の見目麗しさに何もかも吹き飛んでしまった。今すぐにでも彼へ飛びついて熱い口付けを交わしたい衝動に駆られるが、慎ましく慎ましくと自分に言い聞かせ、思わせぶりに目を伏せてみる。

「肩の力を抜いてくれて構わない」
「…」
「慌てて身なりを整えるのは疲れただろう」

いつもよりも楽しげなお声でそう述べる扉間さまにギクリと肩を跳ねあがらせた。気づいてらっしゃったのね、と困り果てたふうに答えると、扉間さまはただ意地の悪い笑みを浮かべた。自分のみっともなさに顔を熱くすると、見かねたのかおもしろがっているのか彼がそろそろと手を伸ばしてくる。何故だか癪にさわるので逃れるようにして顔をそむけるが、そんなこともお構いなしと簡単に頬を捉えられてしまった。

「からかうのはお止めになってください」
「からかってなどいない。心底愛おしく思っている」

扉間さまの一言で途端に胸が早鐘を打ち始めるものの、どんな顔をすればいいのかさっぱり見当もつかず、気まずさに単をいじいじと摘み回した。せっかく愛しの彼から甘い言葉をかけてもらったのに、どうにも素直になれなくて可愛げのある返事も思いつかない。さわさわ撫でる彼の手なんて無いように、ただ顔をしかめてそっぽを向き続けていると、彼は短く息を吐いた後その手を引っ込めてしまった。呆れられたのかと慌てて扉間さまへ視線を移せば、彼は私に背を向け金属音を立てていた。

「鎧を外すだけだ、そんな悲しげな顔をするな」

お見通しだった。悠々と鎧を外す彼の背中を見ながら、ぷぅと頬を膨らませた。ぜーんぶ扉間さまに見透かされているようで憎たらしくてしょうがない。これじゃあ扉間さまの掌の上で遊ばれてるみたいだわ。見当違いとは分かっていても心のわだかまりをうまく解消できず、彼の背中に向かって胸の内で文句をたれた。一枚も二枚も上手な扉間さまに応えられる、釣り合いのとれた女性であるならば。自分の至らなさにも苛立ちを覚え、扇子を広げて自分の顔を静かに隠す。彼の鎧がしまわれる気配を感じながら、気づけ気づけと念を込めてしかめっ面を保ち続けた。

「ふてくされているのか」

いつもと何も変わらない、落ち着きを十分に孕んだ声。御簾の隙間から吹き込む風で身体を冷ましながら、扉間さまがどんな表情でいるのかを考える。ああいや、考えるまでもないか。どうせいつものおすまし顔なのだから。

「すまなかったな」

なんて高を括っていたら、思いがけず彼から謝罪の言葉が飛び出してきたので吃驚してしまう。扇子からわずかに顔をのぞかせて扉間さまの表情を窺うが、そこは相も変わらずのすまし顔だった。いや確かにここで悲しげな顔の扉間さまを見せられたとしても、途方にくれるしかないのだが。のんのんとどうしよもないことを考えていると、突然私に被さり覆いつくす影。あっという間もなく、彼の手によって扇子を持つ手は払われてしまい、私の不貞腐れ果てたみっともない顔が扉間さまへ晒されることとなった。

「え、んぅ」

合わせられた唇に手から扇子をころんと落とし、ひっそりと目を閉じた。瞼から透ける月明かりも大部分扉間さまに遮られてしまう。ただ唇そのものを味わうかのように、彼は何度も何度も浅めの口付けを寄越してきた。いつも冷静で機転が利き、千手一族の要として一目置かれそして恐れられている扉間さま。そんな彼がこうも情熱的にわたしを求めてくれるのは、わが身のことながらなんとも信じ難い。気持ちの高ぶりに息が上がっているのか、酸欠で次第に苦しくなって彼の衣服を固く握る。扉間さまはきっと汲み取ってくれただろうに、わたしの言葉にならない訴えを知らぬふりしてさらなる激しい口づけを浴びせた。余計に密着する彼の身体から汗の匂いがふんわり漂い、わたしの全てをしびれさせるのだ。

「お前がまるで子供のようにいじけるその顔が大層可憐でな。分かっていながらも大人気なく茶化すワシを許せ」
「まあ…」
「女はすべて悟りきった顔でとり済ますよりも、あどけなく無邪気でいるほうが好ましい」

そう言いながら私を布団の上に横たわらせる彼の姿こそ凛々しい。蝋燭の灯が御簾からのすきま風に揺れてゆらゆらと彼の端正な顔を照らす。日の光に照らされた姿の何倍も魅力的だ。そんな扉間さまへ無意識に手が伸びる。ちゅ、と小鳥のさえずりにも似た音を鳴らして口づけてみた。きまりが悪いような表情を浮かべた扉間さまに、思わず笑い声が口からこぼれる。

「扉間さまがそんなお顔するなんて、珍しいこともあるのですね」
「コマチはワシを買いかぶりすぎている」
「そうでしょうか」
「戦場から一目散にお前のいる部屋へ帰ってきたのだ。居ても立ってもいられずな」

そう自嘲気味に笑う扉間さまの姿があまりに衝撃的で、私は何も言わずじっと見つめるしかできなかった。常に死と隣り合わせで戦う男の心をわたしは窺い知ることなんてできない。お怪我をされてはいないか、まさか死んでなどいないかと、何時だってひとり脇息にもたれながらひたすらに扉間さまを待っていた。苦しむのは待たされる私ばかりと嘆いた自分の浅はかさにようやっと気づく。彼の悠然として逞しい後ろ姿に、ただひとりの人であることを忘れかけていたのかもしれない。そう思い至ったところで、私へひたぬきな視線を向けるこの大きな男の姿が無性に愛おしく思えた。

「良き匂いがする」
「着物に香が焚きしめてありますから」
「そうか」

私の胸元に顔をうずめ、しずかに呼吸をする彼。どうしたものかと手をしばらく宙に彷徨わせた後、恐る恐る大きなその体を抱きしめた。丑三つ時の暗闇と僅かな灯の中でただ静かに抱き合う私たちの姿、柱間さまが見たらどんなに豪快な笑顔で笑ってくれるのでしょうね。馬鹿げたことを考えて可笑しさに身体を震わせていると、気づけば扉間さまは訝しげに私を見遣っていた。いいえ、と含み笑いで答える私の滑稽さよ。



遠くで楽しげに鳴く虫たちの音を聞きながら、私の着物をいそいそと脱がす扉間さまに胸をときめかす。子を授かったと言い出す機会を逃したことにはたと気づき、やはり早く大人びなくてはと極上の悩ましさに目を閉じた。