nrt-novel | ナノ


(学パロです)







水が見たい、と唐突なことを言い出したのは私だった。文化祭の準備を終え家路につくイタチを待ち伏せして、わがままを押し付けたのだ。さすがに嫌そうな顔はされたものの、それでも首を縦に振ってくれるなんて、さすがイタチ!もし私がイタチの立場だったら断固拒否だけどね、うん、イタチの優しさに甘えてしまおう。それでどこに行くんだ、疲れ切ったような声音でイタチにそう尋ねられたのは良いが、私は実際にどこへ行こうなどと考えていなくて返事に困る。夕日に照らされて伸びきった影を眺めながら一通り頭の中で候補を挙げて。ああそうだ江戸川だ!私が先ほど述べた水というのは水道から申し訳程度にながれるようなありきたりなものではなくて、雄大に広がる、海を代表とするような水のこと。しかし、ここから海となると遠すぎる。もう影は大分長いのだから遠出している暇はない。そこで多少の妥協の先に思いついたのが江戸川だった。




「ほら頑張れ頑張れ」
「もう無理、ホント無理疲れた」
「お前が言い出したんだろう」

ぜえぜえ息を切らしながら自転車で土手を上る。スイスイといとも簡単に私の少し先でペダルを漕ぐイタチについていくので精いっぱい。なんだこれ。これが男女の体力の差ってやつか。おかしいな幼稚園のころはわたしのほうが駆けっこ早かったじゃん。そうだそうだ、これは成長に伴う男女の差なんかじゃない。イタチはギアが変えられるお高い自転車だからほいほい登れるだけだきっとそうだ。なんてくだらないことを考えているうちについに土手へと登りつめたよう。身体を折り曲げて絶え絶えの息を少し整えた後、顔を上げる。

「おお」

それは何度もこの目で見た至って普通の江戸川だったが、久しぶりに目にしたせいか、すごく広大で神秘的なもののように見えた。水がサラサラと穏やかに流れる音が聞こえる、気がする。土手の手前には畑と田んぼしかないせいかもしれない。とにかく静かだ。

「江戸川だな」
「ね」

サドルに跨ったままその場に留まり、ひたすらに川を眺める。出発した時はまだ夕暮れだったはずなのに、私が無駄に遠回りをした挙句道に迷ってしまったせいですっかりあたりは暗くなっていた。

「ねえねえ、川の向こうに見えるのってさ、スカイツリー?」
「ん…ああ、きっとそうだな」
「もう完成したの?」
「長さはあれで完成だが、今は内装工事やらの最中だからな。完成は来年だ」
「ふーん」
「…」
「…」
「…」
「スカイツリー、明かりが灯ったらすっごい綺麗だろうね」
「だろうな」

幾分か気温は涼しくなったが湿度はまだ高いし、なにより今さっきまで自転車を漕いでいたおかげで身体は火照っている。顔は油汗でベトベトしてるし、ワイシャツも汗で身体にへばりついてくるし。髪の毛は自転車を懸命に漕いでいたおがげでぼさぼさだろう。せっかくアイロンで巻いたのに、と手櫛でいそいそと整えながら、イタチのほうを見た。ああ、ちくしょう、相変わらず整ったお顔だ!その整った鼻筋も、長い睫も、玉に瑕であるわけのわからん二本のしわも、幼いころからずっと私は見てきたんだ。

「私卒業したら大学の寮入って遠く行っちゃうし、完成してキラキラひかるスカイツリーは拝めないや。残念!」
「受かればな」
「受かるよー!」

私を馬鹿にするように笑うイタチにつられて、私も笑みをこぼす。ああいや、笑みをこぼす、なんて上品な笑い方じゃないけど。川の向こうから吹く強めの風が懲りもせずに私の髪型を崩していくのを多少気に留めながら、しばらくぼうっと川を眺めた。寂しいような切ないような、ちょっとセンチメンタルな気分になるのはなんでだろうか。
なんだか私らしくないような気がして首を振りたくなるが、まあたまにはこんなことも良いかもしれない。気づかれないように再びイタチの横顔を眺め、ふいっと顔を俯かせる。…言うんなら、今かな。なんか雰囲気良いし、二人っきりだし。でもそれでこれから先気まずくなるのは嫌だし、…あ。胸の音をうるさくして一人もんもんと悩み始める私に振ってきたのは、水。

「雨か」
「うげ!私傘持ってない!」
「ならさっさと帰ろう」

そうねこんなハプニングもきっと青春の一ページね!思わず力ない苦笑いを浮かべて自転車漕ぎ始めようとしない私に、少し先に進んだイタチが振り返った。なんでもない、わざと大声でそう答えて、そして。

「あ!イタチ!今カエルが鳴いたよ!」









*****
千葉県民なヒロインとイタチさんでした。