花筏 | ナノ
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17. はなごろも

──。

───!


「──おい、コマチ…!」

暗い水底から引き上げられるかのような感覚でハッと我に返る。大慌てで顔をあげてぱちくりと瞬きすると、目の前には怪訝そうな顔で私の顔を覗き込むマダラがいた。距離があまりに近いせいでその顔の精悍さをひしひしと感じてしまい、私は眉尻を下げながら少し赤い顔で肩を竦めた。

「あぁ、マダラ…ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてたみたい」
「…大丈夫か?疲れてるだろう。こんな重たい衣装着てあんな堅苦しい式挙げて無理もないが」

マダラの大きな手が遠慮がちに頬を撫で、私はそのくすぐったさに微笑みを零した。

今日は待ちに待っためでたい祝言の日であった。数多の困難を乗り越え、やっとこの日を迎えることができた喜びは未だ冷めることはない。マダラも私と同じなのか、こうして二人っきりでいるとかつての少年のころのように顔をほころばせてくれる。彼だってきっと今日この日を待ち望んでくれていたのだ。

儀式の最中、重たく身動きも取りづらい白無垢で長時間お澄ましする苦労。それを何も言わず察してくれる彼の思いやりに感謝しながらも、私は感慨深く目を伏せてその大好きな温かい手に自分の手をぴたりと添えた。

「まあ、祝宴まで少し時間はあるから、部屋に戻って休んだらどうだ」
「ありがとう。疲れてないわけじゃないけど、身体は大丈夫。ちょっと昔の思い出に浸ってただけ。…今のうちに桜を見てたいの。この大事な日にせっかくきれいに咲いてくれたから」
「昔の思い出、か…」


そう言って二人仲良く上へと顔を向けてみる。淡い桃色を湛えた満開の桜が視界いっぱいに広がる。春の暖かな風に揺れる花の美しさに自ずと微笑んでいると、マダラはいつの間にか桜から視線をはずし、私のことをジッと見つめていた。「なに?」と小首を傾げてみればマダラは少しバツが悪そうに首を振る。何だか彼らしくない曖昧で可愛らしい反応に、今日という日の特別さを改めて思い知った。

爺様たちの許しを得て、ついに迎えることができた晴れの日。今日をもって私とマダラは夫婦となり、これからの人生を共に支え合う伴侶として生きていくことができる。

一度は身を引こうと思った恋心だが、こうして正式に結ばれる時を迎えてしまえばもはやマダラを手放すなんて考えられない。幼少の頃から互いに恋慕を抱き、そして今日までその思いを共に携え続けることができた奇跡のなんと尊いことか。この胸にはただただ幸福が溢れていた。極上の幸せを噛み締めながら桜を見上げていると、今までのマダラとの思い出が自ずと脳裏に浮かんでくる。そのひとつひとつを大切に心にしまい込み、二人の関係を遡って思い返していく途中、ふと、あることが気になり、私は隣のマダラへと穏やかな視線を送った。


「ねえ、いつか聞いてみたいと思ってたんだけどね、マダラが私の事好きになってくれたのって…いつ?」

はにかみかながらもそう尋ねてみると、マダラはぎょっと目を見開いた後、少し頬を染めて呆れたように「は?」と無愛想な声を漏らした。

「言えるかそんな小っ恥ずかしいこと」
「んーそうだよね…。でもどうしても知りたいの。ずーっと気になってて聞いてみたかった。今日という日の特別さに乗じてお願いしてみても…ダメ?」

少しばかり小首をかしげながら上目遣いで切に乞うようにマダラを見つめてみる。そんな私のわざとらしい仕草を彼は眉根を寄せてじとりと眺め続けた後、ようやく重たそうに口を開いた。

「……なら、人に聞く前にお前が話せ。お前が教えたら俺も教える」

恥ずかしげに私を睨みつけマダラはそう吐き捨てた。条件付きではあるがまさか承諾してもらえるとは。どうせ断られるか話題を変えて有耶無耶されるだろうなと予想していた私は、まさかの展開にしばしの間呆気にとられる。しかし、彼の気が変わらぬうちに話さねばと思い至り、唇に指を添えながらも大慌てで考えを巡らせた。

「私は…あれ?いつだったかな…。物心付いた時にはもう好きって感じだったし、何がきっかけなのかもさっぱり覚えてない…」
「何だそれ。答えになってねえだろ…」
「だって、マダラってば小さい頃からすごくカッコよかったから…」
「…そ、そうか…ッ」

冷静さを保とうとしているが、少し嬉しさが滲み出ている照れたその表情。そんな彼の愛らしい姿を目の当たりにして、私は思わずつられて赤面してしまう。マダラが質問に応えてくれるのならばお安いご用だと包み隠さず話してみたが、改めて考えると何だかとっても恥ずかしいことを口走ってしまったような気がする。あまりの羞恥に何だか無性に居心地が悪くなってしまい、私は熱を持った頬を手で押さえてそっと俯いた。

「…オレは、」

しかし、マダラはそんな私を他所に唐突に語りを始める。こんなにもあっさり答えてくれるとも思わず、ぽかんと間抜けに口を開けながらその鼻筋の通った顔を見つめる。彼は私の視線が自分に向けられ直したことを確認した後、遠い目で清い色した桜を今一度見上げた。
 
「…そうだな、いつだったか、小さいお前と初めて手合わせした時だ」
「手合わせ…?」
「いつもニコニコしながら金魚の糞みてえに俺につきまとって邪魔くさかった幼いコマチが、あの初めての手合わせの時は一生懸命に俺に食らいついてきただろう。力の差は歴然だったというのに」
「…」
「真剣なその様子が面白くて、オレは軽い悪戯心でお前をはっ倒してみた。そうしたらコマチ、ビックリして気ィ失っただろう」

マダラの台詞を聞きながらも昔を注意深く探ってみると、やっと思い当たる記憶を思い出せた。

まだ本当に小さかったころ。四つくらいだったか。私は幼いながらもようやく忍としての修行を始めることになり、大人たちに言われるまま毎日懸命に鍛錬に励んでいた。そしてある日、同じ幼い子ども同士ということでマダラと手合わせすることになった。彼は小さい頃からすでに才能が溢れていて、凡庸な私が敵うことがないのは明らかだった。しかし好きな人に少しでも頑張っている姿を認めてもらいたい。幼いながらも一丁前の乙女心でがむしゃらにマダラに食らいついていると、次の瞬間にはあまりにも呆気なく身体が宙に浮いたのだ。

「あの時のゾッとする感じ、今でも思い出せる。目を閉じたまま起き上がろうとしない姿に、いつものだらしない笑顔のコマチが重なった。俺に付きまとうあの元気な姿はもう見れないんじゃないかと思うと、気が気じゃなかった」
「でもそんな、気を失ってたのなんて一瞬で、すぐ目覚めたでしょ?」

予想以上に深刻そうな顔つきでマダラが語り続けるので、困惑しながらそう問いかけてみる。マダラは「ああ」と頷き、神妙な面持ちのまま続けた。

「何事もなかったように目覚めて、恥ずかしそうにヘラヘラ笑うコマチを見て、あの時俺がどれだけ安堵したか…」

その顔は私が計りきれないほどに重たい真剣さを孕んでいて、その出来事がどれだけ彼の中で大きな存在になっているかを自ずと察してしまう。なんと声をかけて良いかも分からず沈黙のまま立ちすくんでいると、マダラは桜を見上げたまま自嘲気味に鼻を鳴らした。

「はっきりと言葉で表せねえが、その時がきっかけだな。こいつが俺の傍から離れるなんて考えられないという気持ちが、次第に好意に変わったんだろう」

そしてマダラは私へと向かい直り、滅多に見たことがないような穏やかな顔で温和に微笑んだ。

幼い頃から何となく漠然と両思いであることは感じていた。私を見つめる視線も振る舞いもそう感じさせるには十分だったし、イズナくんだって度々マダラの好意を仄めかしていたのだ。しかし今はっきりと本人の口から幼少時の好意を、両思いになったきっかけを教えてもらえた。全身から湧き上がってくるような感動に口が歪む。あまりに胸がいっぱいで思わず目に涙が滲むが、晴れの日のためにと綺麗に施された化粧を汚したくない。かろうじて残る理性でなんとか深呼吸して溢れ出そうな大きな愛情を堪えた。

「全然知らなかった。初めて手合わせした時のことなんてもう何となくしか覚えてない…それにマダラがそんな風に思ってたなんて…」
「今も同じ思いさ。お前が俺から離れることは耐え難い。だからこうしてコマチを妻に迎えた」

彼はそう言いつつ私の顔へと手を伸ばす。春風で少し乱れていた私の前髪を整える無骨な指が、少しだけ肌に触れた。そのひたすらに優しい温かさに、私はもう一度頬を染めた。

今なら普段言えないような恥ずかしいことを言っても許されるだろうか。恥じらいを感じ少し躊躇してみるが、ええいと思い切って口を開き、目の前の愛しい夫をまっすぐ見据えた。



「私はマダラの元から居なくなったりしないわ。生きてる限りあなたの側に居たい。死がふたりを分かつまで、ずぅーっと一緒」



私は死ぬまでマダラから離れない。その思いをどうしても伝えたくて、恥も戸惑いも捨てて誠実に彼へと言葉を放った。

ざあ、と二人の間に大きな風が吹き、庭の池の水面がさざめいてきらきら光っていた。再び乱れそうになる髪を押さえることも忘れ、ただただマダラを一直線に見つめていると、彼は少し面食らったように呆けた後、ふっと口に柔らかく弧を描いた。

「戦ばかりの狂った時代だ、いつかはお前のことを泣かせる日も来るかもしれん。だが、オレはオレのやり方で、全身全霊をもってコマチを幸せにしたい」

マダラの視線も私と同じようにただひたむきで、その言葉に嘘偽りのない思いが込められていることを理解した。ああ、私はこんなにも真摯に愛を向けてくれる男と夫婦になれて、もう十分なほどに幸せだ。私にはもったいないほどに大きな愛を注いでくれるマダラを、私は妻として悔いのないよう支えていきたい。どちらかが死ぬその時まで側で共に生きていきたい。そう心の内で堅く誓い、マダラへと腕を伸ばしてその大きく逞しい胸に触れた。布の向こうで確かに息づく心音に、私は感動でまつ毛をか細く震わせた。


「オレもお前と寸分違わず同じ気持ちだ。お前を手放しやしない。今日無事コマチと夫婦になれて、本当に良かった。ありがとう、コマチ」
「こちらこそ。私を好いて、共に人生を歩むことを決めてくれてありがとう、マダラ。大好き」


マダラと見つめ合う。マダラの手が私の後頭部に回される。見つめ合う二人の間には桜の花びらのように淡い桃色の雰囲気が漂っている。自ずと私はこれから起こることを察してしまうが、心の準備をしている暇もない。マダラの顔が少しずつ私へと近づき、そして私は目を閉じて――。





「兄さーん!コマチー!」

屋敷の方から私達を呼ぶイズナくんの声がして、慌てて私はマダラから離れた。つい先刻までの甘い雰囲気がたちまち散り消え、私達はいやな気まずさに包まれた。何も言えない沈黙にどぎまぎしつつ、マダラが少し恨めしそうな視線を向ける先を私も見てみれば、少し間をおいてイズナくんが曲がり角から姿を表した。

「ああやっぱりここに居たんだ。…あれ?なんか邪魔しちゃったかな?」
「…さあな。…で、用件はなんだ?」
「急用で帰らなくちゃいけない人がいるから、二人で最後に挨拶してお見送りしろって爺様が」
「分かった」

察しのいいイズナくんの前だからと表情を引き締めるマダラ。先程まで私に見せていた甘く優しい目つきから一転、いつもどおりに眉間にシワを寄せている。しかし「行くぞコマチ」と粗雑に声をかける彼だったが、次の瞬間差し出された手は先刻までの優しい温もりを残していた。

ああなんて愛しい人。この手をとりマダラと共に生きることができるのならば、私はきっと幸せになれる。自然とそう確信してしまう私にイズナくんは穏やかに微笑みを寄越してくれた。マダラは少し照れくさそうに顔をしかめながらも、ただ静かに私のことを待ってくれている。


泣きたくなるほどの幸せに溢れるのは満面の笑み。
私は命ある限り、この愛しい夫と喜びも悲しみも笑顔も涙も全て分かち合い、一緒に生きていきたい。

温もりに溢れるマダラの無骨な手をぎゅっと確かに握りしめる。桜の元から去ることに名残惜しさを感じつつも幸福に顔をほころばせて、花咲くその場をマダラと寄り添いながら去っていった───。


──。


─。