ゆくらくら恋ふ | ナノ
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05. 白昼は降り注ぐ慈しみ

「屋敷を出ていく、だと!」

酷く衝撃を受けたような面持ちで大声を出した柱間。かと思えば座卓からすぐさまこちらの方まで迫り、驚きで強張っていた私の肩を強く掴んだ。間近にある柱間の顔があまりに必死そうで、思わず笑いそうになる。そんな重大なことでもないのに…。とりあえず彼の身体を押しやり、私は苦笑いを浮かべながら今一度正座し直した。

「扉間も出ていってしまって寂しいところへ、ようやくコマチとミトが越してきて賑やかになったというのに…!何故ぞ?オレとミトに気を遣っているのか?この屋敷なら広いしいくらでも部屋はあるのだから、空き家なんぞ借りなくたって…」
「だってほら、部外者が一緒に住んでちゃ、あんまり良くないかなって…」
「部外者…っ!」

私の台詞に柱間は目を見開いてそう叫ぶなり、ひとり大げさに肩を落とした。ずうぅぅんと影をまとい、あぐらのまま背を丸めるその様子に思わずギョッとする。幼いころには度々見ていた姿だが、十年経ってもまだ治っていないのか。ここまで真剣に受け止められるとは夢にも思わなかったので、はからずも引いてしまい対応に心底困り果てる。窓から差し込む太陽の光はこんなにも穏やかだと言うのに、柱間と二人っきりの執務室には変な愁傷の雰囲気が漂っていた。

「コマチがそんな風に思ってるだなんて知らなかったぞ…。大事な大事な家族とばかり思っていたのに俺は悲しいぞ…」
「ご、ごめん…!そんなつもりで言ったわけじゃないのっ」

ぼそぼそと何か呟く度に、柱間からにじみ出る雰囲気は暗くなっていく。このままでは大の大人が泣き出しかねないという流れに、私は慌てて謝罪の言葉を口にした。落ち込みを孕んだ眼差しがちらりと私に向けられる。我が一族の長で忍最強とも呼ばれる男の泣き顔なんて見たくない。絶対に見たくない。とりあえず場の雰囲気を和やかにしようと狼狽えながらも満面の笑みを浮かべれば、柱間のまとっていた影は段々と薄まっていった。

「それならばこのまま屋敷に居続けても問題ないだろう?」
「え、う、うーん…」
「……やはりっ!」
「違う違う違うって!」

わたしの言動にいちいち落ち込んだり喜んだりと、なんだって目の前の大男はこうも忙しいのだ。まさに昨日妻を迎えたばかりである一人前の大人とは思えないその様に呆れて、こっそりと小さくため息をついた。

「昨日の祝宴の時だって急に他人行儀な態度をとったりして、一体どうしたと言うんだ」
「身の程をわきまえようかなあって…」
「俺とコマチの仲だぞ?何をわきまえる必要がある?」
「それは…」

それっきり口ごもってしまった私に向けて、彼は怪訝な表情を浮かべた。

柱間も扉間と同じだったのだ。昨晩私に畏まった態度をとられたことを酷く気にしているのは一目瞭然である。良かれと思って致したことだが、幼馴染たちはそれを良しとせず、むしろ強く反対してくる。嬉しく思えばいいのか煩わしく思えばいいのか、事情が事情なだけに反応に悩む。一族の者たちの目もある以上、彼らと私が良ければそれで解決という問題ではないのだから。

どことなく気まずさを感じて逃れるように顔を逸らしてみるが、柱間はそんな私の顔をわざわざ覗き込み、真面目な面持ちで口を開いた。


「俺は、コマチのことを大事な妹だと思ってる」


そう口にした柱間の視線があまりにもひたむきで、私は無意識のうちに息を呑んだ。冗談や言葉の綾などではない、きっと彼の心からの台詞なのだろう。いつまでも柱間のご厄介にならないためにも自立して余所に住まおう――そう決意したはずなのに、胸中で音を立てて揺らつき始めた。大事な妹だと、彼は思ってくれていたのか。

幼いころに仏間さまに引き取られ、それから六年程兄妹同然に共に過ごしたが、私は幼いながらに心のどこかで境界線を引いていた。仏間さまはいつだって私を実子同然に扱ってくれたが、周りの大人からは度々「弁えるように」と忠告されていた。当時はまだ幼くて身の程を弁えるということが漠然としか分からなかった。しかしそれが十年経ち世の道理を知る大人になって、ようやくはっきりと彼らとの距離を感じるようになってしまったのだ。

昨日までの私は一人勝手に疎外感に打ちひしがれていた。仲間はずれにされたとばかり思っていた。――しかし、目の前で私を真っ直ぐ見つめる彼は違う。柱間の分け隔てない慈しみは幼いころから何も変わっていなかった。そうだ、幼い日の私はこの深い深い優しさに救われたのだ。


「だから部外者だなんて悲しいこと言うな。俺たちは家族ぞ!存分に頼れ」


その台詞があまりにも照れくさくて、自然と身体はむず痒くなる。感極まって言葉も出せずただ黙ってはにかんだ私に、柱間は白い歯を見せるように満面の笑みを浮かべた。ここまで嬉しいことを言われてしまうと、何もかもを忘れて昔のようにじゃれつきたくなる。――甘えても、いいのだろうか。

わたしは震える瞼をそっと伏せた。柱間の言葉は嬉しい。とても喜ばしいし、有り難い。そう思う気持ちは確かだ。しかし、私はこれから千手一族の一員としてこの地で頑張っていくためにも、周りの目も考えて思慮深くならなくてはならない。状況を読み空気を察し、そしてじっくり考えて、彼らとの程よい距離感を段々と掴んでいこう。伸ばしかけた手を慌てて引っ込めながら、柱間の言葉を胸の内に大事にしまい込んだ。


「大体なぁ、扉間もオレの結婚を期に一人暮らし始めてしまったし、二人とも変に気を遣いすぎぞ」
「…それは、兄が妻迎えて一緒に住むってなったら、誰だって邪魔じゃないかなって気も遣うよ」
「まあ扉間は元から一人でのびのびやりたそうなところもあったしなあ。あ、コマチは気負わずともいいぞ?ミトだってよく知るお前が近くにいてくれたほうが、この見知らぬ地で安心できるだろうからな。このまま居てくれ!」
「…朝ごはんもご一緒しちゃっていいの…?」
「何を言う、一緒に住むのなら当たり前ぞ!」

私が帰還する少し前、扉間は一人近くの空き家に暮らし始めたらしい。だが、結局は柱間と密に連絡をとり共に行動することが多いので、彼は毎朝屋敷までやってきて今日一日の予定を二人話し合いながら朝食をとり、そして共に職務へ向かうと言ったことをしていたらしい。扉間だって多忙で自炊する時間も惜しいだろうから、それが一番都合が良いのだろう。ミトさまがこの屋敷にやってきた今も扉間が朝来ることは変わらず、さらにそこに当然の流れで私も参加することになり、この二日間は四人で仲良く朝食をとっている。

女中の作ってくれる朝ごはんは美味しいし、朝から皆の顔を見れて幸せではあったが、正直私なんかが混ざってしまっていいのかという場違いの雰囲気は感じていた。まあ、柱間がここまで強く私が留まることを願ってくれてるし、同じに屋敷に住んでいる以上あえて朝食を一人で済ますというのも不自然だ。


「……じゃあ、とりあえずはこれからもよろしく…柱間」


面映ゆい心持ちで視線を絡み合わせながら慎重に口にしてみれば、私の悩みなんて吹き飛ばすほどに彼の瞳は眩しく嬉しそうに輝いた。愛想笑いではない心からの笑みで顔を綻ばせた私に、柱間は愉快そうな笑い声を返してくれたのだった。







この後用事があるので柱間に別れを告げ、随分と軽くなった心持で執務室から出ていけば、目の前にはなんと扉間がいた。壁を背に寄り掛かるその姿。驚きで思わず足を止める私に、彼は相も変わらずの鋭い眼差しを向けた。

「あ、ごめん。柱間になんか急用だった?」
「急ではないがな」
「そっか。待たせちゃってごめんね」

彼の右手に掴まれているのは、びっしりと文字の書きこまれた紙の束。何か大事な用なのだろうと察知した私は苦笑いを浮かべ、そそくさと扉の前から退いた。

今朝のご飯時にも顔を合わせてはいたが、彼とは職務のことを少し話しただけで昨日のことについて特に会話はなかった。柱間の真意を聞いた今となっては、扉間の夜遅い訪問と愛想のないあの一言こそが彼なりの不器用な優しさであると理解できる。しかし改めてそう思うと扉間にどんな顔を向ければいいのかわからない。妙な照れくささに堪えかねて、「どうぞ」と一言残しつつ扉間に背を向けた。何て話を振れば良いのかわからないし、そもそも彼は忙しそうだ。その場から去ろうと歩きはじめた私に、扉間が「おい」と遠慮もなく声を掛ける。

「ん?」

間抜けな声と共に振り向いた私を、扉間は真っ直ぐ見つめている。ぽかぽかとこんなにも心地よい陽気で溢れているというのに、廊下で肌を以て感じる気まずい沈黙。いつぞや味わったものと大層似ている。またこれか、と首をひねりつつ何となしに彼の銀髪を眺めていれば、扉間は大げさに一つため息を零した。


「俺は、お前を妹だと思ったことはない」


頭の中が真っ白になる。妹だと、思ったことはない…?つい先刻柱間に言われた台詞と似ているが意味は真逆だ。あのやりとりを聞かれていたのか、とか、そんなに前から廊下で待ちぼうけていたのか、とか思うところは色々あるが、それよりも。

――どういう意味?そう尋ねようと口を開くが、扉間は決まりの悪そうな表情ですぐさま戸を開き、執務室へと入っていった。

「あ、ちょっと!」

無慈悲にも目の前で閉じられた戸に手を伸ばすが、もはや遅い。小鳥たちの呑気なさえずりが響く廊下に、またひとりぽつんと取り残されてしまう。目の前の扉を開いて執務室に突撃すればいい、そうすれば先刻の台詞の理由を彼を問いただすこともできる。しかし何故だろう、この身体はまるで自分のものではないかのように言うことを聞いてくれない。私はその場に立ち尽くすしかなかった。

――お前を妹だと思ったことはない。

これだけでは彼の真意は分からない。お前は所詮血のつながっていない赤の他人なんだから妹だと思うわけがない、という意味なのか、いや、それとも―――。

ふと我に返ったときには、私の顔は妙な熱を持ち始めていた。そうであると決まったわけではない、もしかしたら前者の方の悲しい宣告なのかもしれない。しかし他人をむやみに攻撃するような冷徹な男でないことを私は知っているのだ。だから。不可抗力にもにやつきはじめる顔を両手で包み込み、長く長く息を吐きだした。胸がきゅうんと締め付けられる不思議な感覚。ああどうしよう、自惚れてしまいそうだ。これでただの勘違いだったら私は大した道化だろう。しかし浮つく気分を散らそうと大きく首を振ってみても、顔の熱が冷める気配は一向になかった。小難しい話を兄に伝える扉間の声。壁越しにぼんやりと聞きながら、早鐘を打つ自分の心臓に幼いころのあの喜びを感じた。