忍少年と隠忍自重 062


「―――は…?」

眼を見開いたまま、特に特徴の無い顔を凝視すると、朝倉は蕩けるような笑みを深く浮かべた。
血の香りが、濃くなる。
黒に塗りつぶされた眼を真っ直ぐと見つめている内に、その奥に隠れた色を見て忍は『気付いてはいけない事』を気付き、眩暈を起こした。

ガラスのように散らばった記憶の断片が、鋭く忍を責めるように胸に突き刺さる。

今は眼の色も、鼻の形も、体格も違う。
それでも、忍は知ってしまった。

―――そんな、馬鹿な…!!

顔が強張るのを、自分でも自覚した。
力んでいた体から、抜かれるように力が抜けていく。

「お…まえ…なん、で…?」
「へぇ、そんな目も出来るんだね…?いっつも澄まし顔のお人形さんだったのに。…声、震えてるよ?そんなに俺が怖い?―――…大兄」

最後は声音が少し、低くなった。
先ほどの軽率な印象はなくなったが、「愉快愉快」と声は相変わらず笑っている。
笑っていることがあまりに不可解で、忍は体の芯まで冷えていくのを実感した。―――自分達が笑って話せるような関係ではないのに。
むしろ―――…

「裏切りもんの大兄。おれはずっとあんたが嫌いやった。今もそうや。…せやけども、おれの事そんな風にずぅっと見ている大兄なら、案外悪くないなぁ…?ほんまは『キング』の餌として捕獲したつもりなのに、まさか大物釣っとったとは、おれでも気付かんかったわ。大兄は変装もたいそう上手やな―――さすがや。こんなに近いとこおったんなら、はやいとこ捕まえとったのに…くやしくやし。けんど、もう今さらやな―――大兄はもうこの手におるさかい」

最初の衝撃に怯み、何の反応も出来なかった忍は、ようやく自我を取り戻した。
何故この男がここにいるのかは分からない。聞いても、望むような解は得られないだろう。―――この男は、忍が嫌いだったから。

「…なんで、おまえが『キング』を捕まえたがるん…?捕まえて、何しはるつもりや…?」
「それを大兄が聞きはりますか…?嫌なお方や。―――分かっとる癖に…」

確信めいた言葉に、忍は首を傾けたい気持ちだった。
ただ沈黙を守る忍に、今度は朝倉が怪訝そうに一度だけ眉を寄せたが、また厭らしく笑んだ。

「大兄は『キング』を守るために傍おるんやろ…?」

―――意味が分からない…
忍がそう口を開こうとした時だった。

「―――これは一体どういう状況だ…?」

呆れた印象が深い、男の低い声が工場全体に大きく響いた。
聞き覚えのあるその声に、忍は少し首を横に倒し、扉の方へ顔を向ける。
灯りがあまりに足りない工場―――更に夜の時間帯では外も暗い。
ただ月光が人型のシルエットを伸ばしてコンクリートに浮かべている。

「て、めぇ…」
「ほんとに来やがった…!!」

扉から遠く離れた場所からでも、誰が立っているのか忍の眼にもよく見えた。
薄く微笑する気配が、頭上から感じる。

「随分と早い御到着だ…」

もっと時間が掛かると思ったのに―――朝倉は嬉しそうにそう言った。

三つ揃えした黒のスーツとその上から羽織った黒のロングコートと、黒の革靴。
一見、禁欲的に見える装いでも、ワイシャツの第一ボタンは開けられて鎖骨が覗き、赤いネクタイも乱れて、色情を感じさせる。
高校生だというのに、質の高いインテリア社長というよりも、教養あるヤクザのボスのような貫禄がにじみ出ていた。
着る人を選びそうなそれらを悠然と着こなして、それが様になるよう堂々と入りこんでくる。

コツコツと革靴の底がやけに響く。

注目も十分―――それに感化されない堂々たる登場は、彼がいかに存在力が強いかここでも証明された。
人影を見て、男達が自然と離れるように広がっていく。
段々と忍の目に、断片的だった彼の姿が繊細に映るようになってきた。
月の同じ金色の髪を、今日は自然な流れのままセットしているようで、たったそれだけでも新鮮に感じる。

―――けれど、その眼に宿る獣のような鋭い眼力は、忍の肌を容赦なく刺し、それは相変わらずだった。

どこか西洋の血が入ったように彫り深い顔だが、東洋人の血が濃いと分かる容姿は、二つの良い部分だけを選出して作られたのではないかと思えるほど端麗だ。
組み敷かれた忍とある程度距離を置いたところで、男は立ち止まる。

「『王、様』…」

本当に来たのか。
何故一人でノコノコ来た―――理由を分かっていたからこそ、そう叫んでやろうと思ったのに、忍の口から零れたのは情けないほど小さな呟きだった。

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