忍少年と隠忍自重 059


砕けた蛍光灯の破片。剥き出しのナイフ。血で濡れた鉄パイプ―――

血の匂いは濃く漂い、乾いた空気は湿っているようで、息が詰まるような空気を重々しく感じる。
男達が荒く息をつくのは、疲れているからではなく、血生臭い喧嘩に緊張しているからだ。

とうに忍を支配しよう、組み敷いて、泣かせ、叫ばせ、許しを請わせよう―――そんな願望は吹き飛んでいる。

今はただ、この危機的状況をどう乗り越えればいいのか。
自分の立場も、忍を拘束している理由も、血を纏った死神の姿を見て、誰もが忘れかける。

プライドが邪魔をするという者。
背を向けて逃げ出した時、襲われるのではないかという恐怖に駆られる者。

各人各様で理由が事なるものの、逃げる事はしない。
被害者であるはずの忍は、息を乱すどころか何も感じない人形のように、表情を変える事なく積極的に人を斬る。

脇腹。手の甲。二の腕。

時には鎖骨や肋骨を、忍は容赦なく肘鉄や膝で砕いた。
忍は人を迅速な戦闘不能にさせる事に長けていて、動きも段々素早く、そして容赦がなくなっていた。
ナイフを握る前は、受け身。
わりと、人の捌き方も比べると温和な方だった。

―――しかし今では獲物に狙いを定めた獣のようだ。

人の沈め方も義務的になって無情なほど遠慮しない。
殺しはしない程度、力を加減している様子ではあるが、まさに人殺し一歩手前。境界線ギリギリ。
骨を折られたり、ナイフで抉られたりするよりも、最初のスタンガンや当身で気絶させられた方がまだマシだっただろう。

分は数ある男達にあるが、既に八人―――忍の牙にやられて血祭りに挙げられた。

目の前で悲鳴を上げ、悶絶する仲間の姿。
しかし、忍に罪悪がないのか、一度倒れた男達には見向きもしない。
半殺しで、悶絶な痛みを与える『化け物』に、当初より男達の敵愾心が減ったようだ。

―――鮮血は特に、怯ませるには十分な効果だった。

いつの間にか、男達は一回りも二回りも大きな円に広がって、距離を計っていた。

ポタ―――

銀色に光る武器を赤く染め、赤を黒に変え、忍はやはり虚空の瞳で男達を見渡す。
明確な殺気は無い。
けれど、その無感情な目で、人を傷つけられるのは『異常』な事だ。
本来、人が人を殺そうとした時、理性を上回る感情が動機となるケースが多い。
もしも感情より理性が勝れば、法的社会の中で犯罪を犯すリスクを無意識に計算したり、人を凶器で害するという背徳に嫌悪を示すから、その状態で殺人事件に発展する事は、あまりないのだ。
だから、ほとんどが衝動的なマイナスの感情で、激動に流されて人は罪を犯す。

眼を爛々と光らせて『殺してやる、殺してやる』と殺気を放つ。

そして感情的な理由で人を刺し、我に帰った時に、強烈な恐怖と後悔に震えあがったりする。

『ああ、なんて事をしてしまったのだろう、どうしよう、どうしよう』

―――それがこのご時勢に生きる日本人の一般的な反応だ。

しかし忍は激情のまま人を斬りつけたり、骨を容赦なく折ったり砕いたりしている訳ではない。
囲まれて、自棄を起こしている訳でもない。
『理性』を保ったまま人を刺し、血を浴び、『殺さないよう』器用に計算をしながら人をなぎ倒している。
殺気どころか、罪悪も嫌悪も恐怖も後悔もその赤い瞳に写さない。
何もない。―――皆無

―――忍は、人を傷つけ慣れている

まるで精巧な殺人マシーンのように、洗練された後ろ暗い部隊の隊員のように、忍の刃物の扱いや人の壊し方に対する知識、経験があるようだ。
それは、男達の体で嫌と言うほど体感させられた。
どこでどんな風に教育されればこうなるのか―――少なくとも、普通の育ち方では、忍のようにはならない。

「なんだよ、あいつ…!!」

ようやく男達の目に困惑と恐怖の色が浮かびあがった。
綺麗な美少年の皮を被った『何か』に、自分達とは違う事を本能で感じ取ったのだろう。

例え―――
泣いて叫んで許しを請う相手に、容赦なく理不尽な私刑を与えているとしても
罪悪感もなく女を強姦してビデオを撮り、それを売って金を稼ぎ、堕ちた者を嘲笑っていたとしても

最低最悪の男達でも、さすがに血をこれだけ浴びながら平然とする相手は不気味だった。
忍の綺麗な顔を見ながら、吐き気と嫌悪に顔を歪ませる男もちらほらいた。

「あがぁっ…!!」

若者の一人が、悲鳴を上げた。
見れば、手の甲を刃で浅く裂かれ、ナイフの柄先で鼻先を折られ、膝で肋骨を砕き、回し蹴りで首の側面を打撃されていた。
勢いのまま横へ吹っ飛んだ男は、仲間達を犠牲に地面に崩れる。
血濡れた瀕死の仲間の姿に、巻き込まれる形で倒れた男の一人が、手についた血を見て、顔を蒼白にさせて呟いた。

「あ、あいつ…人としてどうかしてるぜ…!!」

静寂に落ちた一人の男の声は、思った以上に響いた。
誰かが不味いと口を噤む。
息を飲み、その言葉が何かのきっかけにならないようにと、男達は動きを止めた。
忍もぴたりと手を止めて、呟いた男の方へゆっくりと振り向く。
緊張が、走った。

「…」

忍は男をしっかりと見つめ、目を軽く細めた。
まるでターゲットを決めたように、瞬きも無くじっとじっと。
男は生きた心地を失い、ひゅっと嫌な息をのみ込んだ。

自分が獲物だと自覚したのだ。

いつの間にか、男の周りで同じように倒れていた仲間達は、忍を恐れるように男から離れた。
哀れな犠牲に同情しながら―――けれど仲間を気遣えるほど親交もなく、余裕も無い。
だから見殺しにするようにそっと逃げ出す。

刃から覗く赤い目がすっと笑んだ。
美人が血に濡れた姿でそれをすれば、壮絶な恐怖になった。
ゆっくりと、散歩でもするような足取りで、忍は男の方は近づいていく。

「うち…?―――うちがなんて言うたの…?よう聞こえんかった…」
「…ひっ…!!」
「聞き間違いとちゃいますなら、確か―――うちは人として狂っとるって…?」

男の体に忍の影が落ちるほど近づいた。
恐怖に瞬きも出来ない男を見下ろす形で眼を合わせると、忍はようやく人の表情を顔に浮かべる。
血濡れた刃を片手に、せせら笑う。哂う。猫のような丸い目を細めて、愉快そうに笑んでいた。

「―――『人として狂っとる』んは…人としてどうかしとるのは、おたくらの方やで…?」

拉致?
強姦?
リンチ?

お前達がした事は、どれも背徳な行為だろう?

飄々と微笑んでいる少年に、真下の男は竦み上がった。

「…っ」

忍の右手にぶら下がった刃物から、血が零れて落ちる。
それはやがて墨のような黒に染まって、コンクリートの上で色あせる。
しかし忍の、日本人形のように整った顔に埋まる二つの眼は、鮮血のように赤いまま色が変わる事はない。
辺りは、不気味なほど静寂に包まれている中―――忍の涼しげな声音が響く。

「うちはいたって正常や。―――困りましたなぁ…そないな『化けもん』見るような眼ぇ、せんといてください。だぁれも、殺しとりません」

忍は首を横に傾ける。―――まるで子供に言い聞かせるような仕草だ。
言葉は優しげでも、凛と響く声音は男を追いつめる。
男の乾いた唇がわなわなと戦慄に慄き、震えて言葉が出ないようだ。
尻もちをついたまま、忍を見上げる男の体は少し震えている。―――きっと今に、忍の持った刃物に刺されるのではないかと、恐慌状態に陥っていた。
けれどその反応は、ごくごく自然。当たり間、なのかもしれない。

―――なんせその口元には、楽しげな笑みが浮かんでいるのだから。

だが突如、その笑みは消えた。
忍の視界の隅で何かが一瞬煌めいたのだ。

「っ!!!」

真横から矢のように真っ直ぐと飛んできた『それ』を遮るように、忍はナイフを勢いよく下から上に向かって一振りする。
同時にキンッ―――と、耳に刺さるような鋭い音が響いた。
弾かれて、金が落ちた様な音を立てながら、コンクリートの上を跳ねる。
最後はくるくると、中心を軸に何度か回ってから止まった『それ』は、忍が持つナイフよりも更に小さなダガーナイフだった。


line
-59-

[back] [next]

[top] >[menu]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -