忍少年と隠忍自重 040


「―――君達も、帰りたいでしょう?」
「…無理に、決まってるってば…っ」

そう言ったのは律<リツ>だった。
だが元<ゲン>は一度、真摯な顔つきで俯いていたかと思うと、顔を強張らせながらも頷いた。

「…。あんたには俺達を無事に逃がす責任があるんだからな…」
「おいっ。元<ゲン>っ…!!」

憤りさえ含んで、律<リツ>は咎めたが、元<ゲン>は撤回する気は更々ないようだ。

「失敗したら、許さないからな…っ」

元<ゲン>は忍にそう脅しをかけると、騒ぎ立てている男達を気にして、直ぐにまたそっぽを向いてしまう。
しかし、忍の一語一句見逃すまいと耳を傾けているのだろう―――元<ゲン>の気配が、忍を気にしていると分かる。
誰もが忍に賛同する中―――律<リツ>だけは頑として抵抗を止めなかった。

「もしも無事にここで逃げだせたって、また連中に眼を付けられたらどうすんだよ…っ」

誰もが禁句とばかりに言わなかった胸の蟠り―――律<リツ>の指摘に、誰もがぎくりと体を強張らせる。
―――そうだ。それが問題なのだ。

「俺達はみんな、名前も学校も―――もしかしたら家だってばれてるかもしれないんだ…っ。逃げられっこないんだよ…っ」

現実を思い知れ―――そう言うように、律<リツ>は小さな声で忍に詰問した。
誰もがうなだれる中、ただ一人違ったのは、やはり忍だった。

「心配しないで欲しい。俺は後処理に手を抜くつもりはないよ」
「あんた一人で一体何が出来るってんだ…っ」

「―――約束する。俺は、君達に二度と害を及ばないようにするためなら―――なんだってしよう」

忍が、真摯に頷いてそれに答えた。
その黒に塗りつぶされた瞳の奥―――その暗闇の深さが計れず、追求しようにも、本能が警告を発してそれを咎めた。


「…っ」

何か嫌なものが、反論しようとした喉元を塞いだのだ。
それが何であるかなんて分からない。
ただ分かるのは、忍の言っている事は『信用に値する』という、奇妙な確信だけだった。
忍の悠然な態度からは、そうすることが何でもないと言うような―――そんな断固たるものを感じ取れた。
その戸惑いを誤魔化す様に、律<リツ>はどうにか唾を飲み込んで、強腰の姿勢を『演じた』。

「…で、でも…健太はどうするんだよ…っ。こいつもう動けないじゃないか…っ。健太を置いてくだなんて許さないからな…っ。それに空<ソラ>先輩だっているんだぞ…!!そう言って俺達を犠牲にして、お前一人で逃げ出すんじゃないのか…!?」
「…俺はいいからさ…空<ソラ>先輩だけでも…」
「健太…っ!!」
「馬鹿言うなよ…!!」

悲鳴のように、律<リツ>と元<ゲン>が鋭く健太の言葉を遮ってかき消した。

「そうだよ…。そんな事言わないでよ…」

空<ソラ>も、隣でぐったりとしている健太にそう訴えかけた。
忍もそれには同意だった。

「―――誰も犠牲にしはしないよ。…だけどそのために、協力してほしい」


続く忍の言葉を聞こうと、態度はそれぞれ違ったが、みんなが耳を傾ける。


「俺が連中を引き付ける。―――だから君達三人は、空<ソラ>さんを連れて、無事であると確認できるまで走って逃げて欲しい」
「けど、どうやって…」

律<リツ>が未だ不安げに顔を強張らせて、少し忍の方へ顔を向けた時だった。

「律<リツ>…っ」

何故か慌てたように元<ゲン>が律<リツ>の名前を小さく呼んだ。
反射的に前を向いた律<リツ>は、顔を青くさせた。

男達が、こちらをじっと見つめていたのだ。
何か疑うように、胡乱な目線が複数、律<リツ>を攻め入るように凝視している。
元<ゲン>と同じくして、律<リツ>は冷や汗の出る握り拳をよりいっそ締めた。
忍は顔を厳しくさせ、空<ソラ>は不安そうに瞳を揺らす。

「お前ら、さっきから何ごちゃごちゃ言ってるんだ…?」
「何か企んでたんだろう?」
「はっ。この後に及んで一体何が出来るんだよ」

男達は、こちらに聞こえるような大声で、圧力をかけた。

「―――逃げようなんて思うなよ。…そうしたらどうなるか分かってるんだろうな…?」
「無理無理。ここから逃げるには、俺達を通り越していかないといけないんだからさぁ」
「つまり。俺達を倒さないと逃げられないって事だよ」

男の一人が、手元のスタンガンを目の前でかざして、スイッチを押す。
何度も目に見える閃光を散らせながら、せせら笑った。

「オレとしてはこの新入りの【コイツ】を試す絶好のチャンスなんだけどなぁ…」

そう言ったのは、藤堂だった。
黒い何かを取りだし、そこから鋭く銀色の刃が半月を描いて飛び出た。
鋭い光を放ち、躊躇いなくその刃の肌を愛おしそうに舌で愛撫するように舐める。
忍を見る藤堂の目は、優越感に浸る勝者のように、驕りを持っていた。

忍を恨んでいる訳ではない。―――そんなものよりもまず、周りの仲間達に自分は決して忍に屈した訳ではないと、そうアピールしている。
しかし、見栄を張る藤堂を嘲笑ったのは、やはり……。

「―――切りたければ、切ればいいじゃないですか」

この状況には不似合いな、楽しそうな声。
あれだけ盛り上がっていた、湧き立つような笑いの波が急に沈んだ。
それに、反射的に後輩達と空<ソラ>は、その声の主を凝視する。

「な…っ!!」
「ばっか!!」
「忍君…!?」

健太でさえ、潰れた顔を避難するような、恐怖しているような面持ちに歪めて、忍を見ていた。
しかし忍の横顔には勝算を確信したような―――そんな不敵な笑みを浮かべて藤堂を挑発していた。
むろんそんな扇動を受けて、あの藤堂が乗らない訳が無い。
特に、今度こそ自分が優遇であると信じている藤堂は、先ほどの情けない醜態を晒した事を取り消す事が出来なくても、仲間の記憶からそれを塗りつぶしてしまいたい気持ちがある。
最初こそ青筋を立てて面白くなさそうな顔をしながらも、次には絶対に忍を後悔させようという醜い笑みを浮かべた。
今は忍を自由に出来るという確信が、藤堂をそんな風に駆り立てたのだ。

「へぇ…、なんならお望み通りやってやるよ…」

こちらに向かって歩いてくる藤堂。
緊張の波が高くなる。

「おい、人質は丁寧に扱えって、朝倉さんに言われてんだろ?」
「許可出したのはアイツだぜ?―――同意の上ならいいんだろ?」
「…。知らねぇぞ?朝倉さんにばれても」
「構いやしねぇよ。あいつと俺の仲だ。目ぇ瞑ってくれるに決まってるさ」
「悪い男だな。―――お前、朝倉さんを快く思っていないくせにさ」

げへへと、誰かがこの状況を楽しむように笑う。
藤堂は返事の変わりに、ナイフを掲げた。

「それと、また捕まって人質とかにされんなよー」

からかうようなその口調には、藤堂は一度だけ振り返って、仲間を睨みつけた。
しかし仲間である男達は既に藤堂や忍達には興味を失せたのか―――それとも目の前のゲームに夢中なのか、既にこちらを見ていなかった。

「ちっ…」

一度藤堂は未練がましそうに、仲間達を気にしながら舌打ちをする。
それから忍の方へ振り返り、憎らしげな笑みを浮かべて、ぞっとするような眼で見下ろす。

「さぁて。忍君…まずはどこから味見させてもらおうかなぁ?腕?足?それともこのほっぺた?」

元<ゲン>と律<リツ>は目にさえ映っていないのか―――強張った二人には眼もくれず、藤堂は忍の真横まで近づくと、その場にしゃがみこんだ。
特に、藤堂には散々な目に合わされた空<ソラ>は、思わず目線が合わないようにと、反射的に俯き、体を震わせる。
死人のような顔をした空<ソラ>を面白そうに一瞥してから、藤堂は忍に視点を置いた。

「―――おい。てめぇ、何笑ってやがる……」

忍は無言で俯き、しかし口元には不可解な笑みを零しているだけ。
眼にも穏やかな灯を宿している。
それが気に入らず、藤堂は脅す様に、ナイフの刃の平を忍の頬に走らせた。
僅かに、忍の頬に赤い筋が浮き上がり、そこから赤い滴が零れる。
忍はそれに痛がる素振りも見せないまま、悠然たる視線で藤堂を見た。

「…。そのナイフは、そんなに切れ味がいいんですか?」
「そりゃぁもちろん。このナイフの刃は特注品で、実は日本刀と同じものを使っているんだ。―――人の肌なんてきっとスパスパ切れるんだろうなぁ…」

忍の耳元に唇を寄せて、恋人にするような甘さで囁いた。
忍はそれを気にする事なく、そっと瞼を閉じる。

「―――そうですか…」

それから瞼を持ちあげた時、忍の眼には最初のような穏やかな気配は一欠けらも無くなっていた。



―――隠されたはずの焔が、レンズの裏側で瞬く。



「なぁ…藤堂はん。折り入ってお願いがあるんや……」


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