忍少年と隠忍自重 035


◇ ◇ ◇

「おっ。人質が目ぇ覚ましてるぞ」

呑気とも受け取れる男の声がした。
少し遠くの方―――忍はまっすぐ顔を上げて、男達のいるテーブルを黙って睨みつける。
男達は集まって、テーブルゲームを楽しんでいた。
雑誌やらマンガ本やらを手に取り、ゆっくりとパイプ椅子で寛いでいる男もいる。
顔のパーツが事細かに分からないぐらい遠く離れているが、全員が全員、忍の方を見て、にやにやと笑っていた。

「ご機嫌はいかがー?白取忍君」
何か水でも飲む?それともお菓子、甘いのと辛いのと、どっちが好きー?」
「おしっこ行きたくなったら、遠慮なく言ってねー。丁寧に扱うように言われてるからさぁ」

友好的と取れる言葉の数々。
しかしそれを裏切って、連中の顔には軽蔑やら好奇心やらの笑みを浮かべていた。
忍は何も言わず、ねめつける。
辺り全体を見渡し、じっくりと一人一人の顔を見るように視線は左から右へと流れた。

ひい、ふう、みい、よお―――…

全て数え終わった所で、忍は怪訝に眉を寄せた。

―――『朝倉』はどこにいった…?

この場に朝倉の奇妙な笑みを見つける事は叶わなかった。
いない事を肯定するように、男の一人がこんな事を言った。

「おい。朝倉さんに言っとけ。人質が目ぇ覚ましたって」
「了解っ」

一人がカードをテーブルに捨ててパイプ椅子から立ち上がり、そのまま出口の扉を開けて出て行った。

「よっし。こっからがいい所だっ!!」
「真向に勝負!!」

カードゲームに夢中だった男達は、忍達に目もくれず再び彼らの世界へと入る。
騒ぎ立てる男達の空間とは逆に、忍達のいる場所は重々しい静寂に包まれる。
時間が経って知ったが、どうやら、先ほど空を繋いでいた柱を、忍に使っているようだ。
つまり先ほど空がいた位置に忍が座り、空はその隣に移動したようである。
二人の後輩達の監視の目に晒されながら、忍は一度、痺れた両腕をごそごそと動かした。
何重にも手首に絡めてある縄は、そう簡単に外れるものではないと分かる。
決して逃すまいとする執着が伺えるようだ。
それを確かめて、忍は軽く息をついた。

「し、忍君…」

学校内ではあれだけ自信に満ちていた空―――しかし、その声は弱々しかった。

「手首が擦りむけちゃうから…痛いから…動かしちゃ、駄目…」
「…」

心底忍を案じているような、黒の目。
しかしそこには怯えも混ざっていた。

―――ごめんなさいと、涙ながらに呟いていた空…

あの時声も出せなかったが、落ち着いた今なら聞ける気がした。

「何故…?」
「え…?」

「何故…君は俺に謝ったの…?」

長き沈黙の末―――忍が辛うじて言えたのは、気の効かないそんな一言だった。

「…っ」

空は声を詰まらせて黙り込んだ。
干からびた目からは、ぽろぽろと涙が零れ続けている。
土色に汚れた頬を流れる涙は、雪解け水のように綺麗だった。

「…私…忍君の名前…あいつらに言っちゃった…」
「…」

「だから、みんなの事…巻き込んじゃって…」
「空先輩のせいじゃない…」

二人の話しを遮って、監視役にして後輩の一人―――元<ゲン>が声を殺してそう呟いた。

「全部、お前のせいだ…。シラトリ、シノブ…。先輩はお前なんかを庇って…。だから、あいつらに乱暴にされても―――」
「止めて…っ!!」

思い出したくない、聞きたくないと、空の悲鳴が、小さく空気を震わせた。
一瞬、誘拐犯どもに聞かれたかと思ったが、ゲームに夢中になっている連中には聞こえなかったようだ。

それに、少年少女達は安堵の息をつく。

「…クソ…全部、お前のせいだ…っ」

忍は、恨めしそうに睨んでくる元<ゲン>を見つめる。
それから、忍は考えた。
考えて、何故空がこれほどボロボロになったのか―――それを知った。
忍は、まさか―――とさえ思った。

そんな馬鹿な話があるか、と―――

「…空さん…」

忍は、空をじっと凝視した。

「君は連中に抵抗したんだね?…何故俺をかばったの?」
「―――え…?」

「何故俺の名前を直ぐに言わなかったの…?」

苛立ったように忍にそう言われて、空は最初何を言われたのか、それを理解できなかったような顔をした。

「そうすれば、君がこんな目に合う事もなかった」
「…っ!」

忍を…好きな人を守りたかったという気持ちは、忍には通じない。
空は、顔を歪ませて、乾いた唇を噛みしめる。

「お前っ!!そんな言い方―――!!」
「何もめてんだ!!うるせえぞ!!」

遠く離れた男達の群れ―――その一人が、忍に掴みかかろうとした律<リツ>に怒鳴る。
それのお陰で、律<リツ>は一歩踏み出しただけで、引き下がる事を強制された。

「…くそっ」

忌々しそうに忍を睨みながら、律<リツ>は大人しくそれに従った。

(なんでや…)

忍は、分からなかった。
分からないままだった。

―――忍には、空の引き裂かれそうな想いにも、後輩達の怒りも、理解できなかったのだ。

(自分の身も守れへんのに、他人の事なんて考える必要はあらしまへんのに…)

しかし、それを忍が口に出して言う事はしなかった。
ただ、忍は独り言のように、呟いた。

「―――あいつら、絶対許さへん…」

また沈黙が生じた。
目の前で監視する後輩達も、気絶して動かない健太、声を詰まらせて泣いている空。
そして、忍。

この状況に、誰も何も言えなかった。

「おーい。忍くーん。何かリクエストあるー?これからコンビニ行ってくるよー?」

陽気な声が、遠くから忍に声をかけた。
いつの間にか、男達が忍達の方を見て、にやにやと笑んでいる。
忍は彼らを睨みつけながら、言った。

「―――リクエスト?…それなら、俺の質問に答えて下さい」
「え?なに?質問?」

爛々と目に怒りの炎を煮やして、凄味を帯びた低い声で告げる。
それは、静まり返った空間の中で、よく響いた。

「あなた方が何者で、目的も分かりませんが、少なくとも俺を使って誰かを誘き寄せたいだけなのでしょう?」
「そうだよ。申し訳ないけど、それまで付き合ってね」

「―――ええ、付き合いましょう」

忍の大人しい回答に、男達は怪訝そうな顔になる。
恐怖に屈して同意した訳ではなく、本当に納得して言っているように聞こえるのだ。
しかし、忍がこれほど聞き分けが良いのには理由がある。

「その変わり、彼女を解放してください。―――もちろん、この三人の少年達も・・・」

驚きに目を見開いたのは空ばかりではない。
後輩達も、まさか自分達にまで救いの手を差し伸べてくれようとしている事が信じられず、開いた瞳孔を揺らしている。

―――無理も無い。

自分や空の身を保証するために、忍を生贄に捧げたという自覚が彼らにはあるのだ。
忍のその心が分からず、後輩たちは呼吸さえ忘れるほど驚愕し、忍を凝視する。
忍は男達から視線を逸らさぬまま、彼らからの回答を待った。
だが、男達を代表した一人が子供をあやす様な笑みを浮かべて言った。

「ごめんねぇ。俺達にはそれを決める権利は無いんだよ〜」
「・・・」

「朝倉さんか、こいつしか―――」

そう言って、男の一人が面白そうに視線を隣に流す。

「ひっ」

短く悲鳴を上げる男の声。
椅子から転げ落ち、慌てて男達の背に隠れるように避難する。
男を盾にしてこちらの様子を覗き込んでいるのは、藤堂だった。

引きつったその顔には怯えや恐怖。

―――プライドをずたずたにされた怒りなど微塵も無かった。

忍がじっと凝視すると、藤堂は文字通り体を飛び上げた。

「お、俺にはそんな権利ねぇよ!!―――お前ふざけんなっ!!ぶっ殺されてぇのか!!」
「へぇへぇ、すみませんよ」

最後の方は、藤堂へ話しをすり替えた男への怒りの声だった。
しかし、強気の態度が一変した藤堂の弱腰加減を、男は楽しんでいるのか、謝っていながらもその顔は笑っている。
気味が悪いほど瞬きも無く睨んでくる忍を見て、男は言った。

「大丈夫。朝倉さんにもう下手な事はしないように言われてるからさ。その空ちゃんの事もご丁重に扱うように指示受けてるし。だからもう空ちゃんに襲いかかったりしないよ。―――ほら、服着せてあげてるだろう?・・・ああ、もちろん君の事も殴ったり蹴ったりしないから安心して」

「―――ご丁重・・・?この状況が?」

忍は皮肉に笑みを浮かべる。
その目には、本気の怒りの色が濃く出ていた。

「いやいや。だってさ。背中馬乗りされて指折られちゃかなわないしさ。―――それに、そうでもしないとコイツが怯えるんだよ」

そう言って、藤堂の方へ視線を移すその男。
忍がまた視線を藤堂へ移すと、まるで蛇睨みにあった蛙のように、藤堂はその場で硬直する。
その片手は包帯で巻かれていて、どうやら折れた骨を治療してきたようだ。

「まぁ、しばらくじっとしててよ。―――おい、お前ら。バイト分はきっちり働けよ。じゃねぇと、その健太って子みたいに、藤堂がボコボコにしちまうぞー」
「「…」」

投げかけられた言葉に、忍を監視していた二人の後輩達はびくりと肩を震わせた。
ぐっと唇を閉めて、視線を地面に落とす。
拳を強く握って、決して健太を見る事は無かった。

「『用事』が済んだら解放してあげるからさ、辛抱しててね。―――もちろん、忍君が言うように全員逃がしてあげるよ。俺達は『キング』さえ処分出来たらそれでいいんだ」
「・・・」

やはり『王様』絡みだったか―――

(せやから、うちはうっとこ離れたかったんや・・・)

しかし、別の心が言う。

『キング』から離れたかったのは、『それだけ』が理由か、と。

反論するように、忍は心に答えた。


(―――それだけや・・・)


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