忍少年と隠忍自重 008


◇ ◇ ◇

(アカン……もう時間があらへんわ…!!)

忍は誰もいないことを良い事に、不謹慎ながら廊下を走っていた。
確か次の授業は理科で、移動教室だから、急いで筆記用具や教科書を持って理科室に行かなければならない。
でも、もう開始時刻まであと1分を切っていて―――……

「あちゃー……」

鳴り終わってしまった授業開始のチャイムだが、急がない理由にはならない。
何気なく直進の廊下を走っている時、何かに足を取られた。
大きくはないが、決して小さくはないものに。

「うわ!?」

転びそうになるのを、何とか堪えようと一歩踏み出そうとしたが、激痛が腰から全身に駆け巡り、体が石像のように硬直した。

「―――っ!!」

未だぎっくり腰を引きずっているようである。
そのまま忍はべちゃりと、二本立ちデビューを果たした赤子が素っ転ぶような拙さで、派手に転ぶ。

痛い以上の恥ずかしさ。
何に躓いたのだろうと振り返った。

「…」

最初に見えたのは踵を踏みつぶした上履き。
徐々に見上げていけば、同じ制服を着崩した男が一人立っていた。
切れ長の鋭い眼差しと眉間に深く刻まれた皺。
まるで憎い仇相手を見るような鋭い三白眼。
普通の善良な一般学生ならば、「ひっ」と悲鳴を上げて逃げてしまいそうな恐ろしい面相である。
しかし、いくら長身も存在感も圧倒的にある男でも、ちょうど柱の部分に隠れるように立ってられれば、忍は気付けない。

廊下の窓側に重心を掛けて、腕を組んでいるその男は、忍を引っかけた足を伸ばしたままにしている。
忍が一体何に突っかかって転んだなど、これで明白となった。
忍はずれかけた眼鏡を抑えてかけ直しながら、相手を睨みつける。

「…」
「…」

「…」
「…」

「…」
「…。…………忍、大丈夫か」
 
長い沈黙の末、今にも消えてしまいそうなほど小さな低い声が忍に声をかけた。

「足引っ掛けて転ばした君がそれを言えば嫌味だよ」
「…」

―――無言かと思えば、「すまん」と、小さく呟く声が掠れて消えた。

第三者からして見れば、足を引っかけて転ばせた加害者が『大丈夫か』と忍の身を案じるのはどうかと思うに違いない。

しかし―――
わざと足を引っかけたのだって、どうせ…どうせ、忍にどう話しかければいいのか、それが分からなかったのだろう。

忍は深く吐息を零した。

「…君は恐ろしく不器用だよね、本当に」

その男の眉間の皺が更に増えた。
周囲に人がいれば『早く謝れ!!』と顔面蒼白で忍に訴えている所だ。
奴を怒らせるな。『岩窟男』を一度怒らせれば、無事じゃすまないと。

しかし男は俯いた。
そして再び小さな声で『すまん』と呟く。

こんなに素直に謝られれしまえば、これ以上何が言える。
忍はため息を隠れるようについてから、久しぶりの再会に小さく笑んだ。

「―――木内君、久しぶりだね」

―――木内 重<キウチ シゲル>
刈り上げられた短い黒髪。両耳には銀色の小さなピアスをつけている。クロガネの身長と比べれば低いが、『キング』よりは高いように思える。
彼は忍と同じクラスの学生だが、ほとんど学校に来る事はない。
もしも教室に彼が現れれば、教師は恐怖と嫌悪に機嫌を損ね、生徒達は低能な力自慢の最低野郎が来たと、彼を煙たがった。
この学校の不良共からも一目置かれ、もしくは畏怖されているのだと聞く。
もっぱら有名なのが、教頭を全治1っヵ月の怪我を負わせ、救急車、警察沙汰となった事だろうか。
他にも他校の生徒と殴り合ったり、小規模ながら有名になるほどの事件を起こしたりと、彼の経歴は全て暴力で出来ている。

しかしどれもこれも、噂にしては目撃者が多いから、『噂』というのもおかしいかもしれない。

だが時々、彼のその容姿のせいで覚えもない事件の犯人にされる事もよくある事だった。
彼は酷く無口であるため、言い訳や否定をうまく出来ない。
そのかわり、手が出るものだから、ここぞとばかりに怒鳴り声と唾をまき散らす教師との相性は最悪だった。
一体何度、もみ合いになり、教師を殴り、停学処分を受けている事やら。

そして今回も例外ではなく、そうだった。

―――今は学校から謹慎処置を下され、自宅待機だと聞いたのだが。

きっとその期間が過ぎたのだろう。

不良で通っている木内と、優等生と認知されている忍。
クラスが一緒だからと言って、なにも接点がないように見えるが、とある事件を境に二人は知り合った。

再び木内の眉間の皺が深くなる。
そうする時は、いつも何か考え事をしているか、戸惑っているかのどちらかと決まっていた。

「…。…忍」
「何?」

その間、忍はよっこらしょと立ち上がり、膝についた埃をはたき落とす。
木内の眉間の皺の量が増えた。

「――――…お前との約束、また破った」
「…学校では煙草を吸わないって約束?」

「…、言っておくが、俺は悪くない」

先を促すように忍は頷いた。

「それで?」
「…。俺は煙草なんて、吸ってない」

「…」
「だが、連中<教師達>が俺のせいだと決めて、そうなった」

「…停学処分に?」

コクリと、小さく木内は頷いた。

「確かに、俺は煙草を吸っていた頃がある」
「…」

「少し前まで、吸っていた。…それは、認める」
「…」

木内はまっすぐと忍を見降ろして、はっきりと言った。

「―――だが、俺は吸っていない」
「信じるよ」

ほぼ即答に近く、忍はそれに頷いた。
逆に目を丸くしたのは木内だった。
しかし長い長い沈黙の末、彼の強面は少し―――少しだけ穏やかになった。

「…。…………それだけだ」
「けど、よく教師を殴らなかったね?―――無実の罪を被ったのに」

俺は殴ったから停学処分だと思ったと、そう忍が言えば、木内は苦々しそうに顔をしかめた。
それだけでも、身震いするほど恐ろしい顔だ。

「―――誰のせいだと、思ってる…」
「誰のせいなの?」

「…。…………お前のせいだ」
「俺?」

忍は首をかしげて、人差し指で自分を示した。
まったくわからないと、目を瞬かせる。

「お前が―――……。………もういい」

木内はそっと息をついた。
それは諦めたようにも見てとれる。
それは木内をよく知る仲間からしてみれば、信じられない光景らしい事を、忍は知らない。

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