忍少年と碧血丹心 033


―――ピキィッ

再び静寂に見舞われた空間を壊したのは、『キング』が握るグラスがその握力に負けて砕け散った音だった。

「おい、お前血…!!」

その音で我に返ったユウジは、慌てた様子で白いタオルを手渡すが、憤怒の炎を揺ら揺らと煮や出す男の耳には届いていなかった。
ただ無言で、内側から爆発そうな衝動と戦っているのである。
黄金色の瞳が僅かに揺れ動いているのを見て、この男の友人を続けてきたユウジは、呆れ果てたように溜め息を零した。
それこそ、周りが『キング』のご立腹な様子に打ち震えているその間に、だ。
近くで見守っていた幹部達も、その脅威に怯えることはしなくても無関心を装った。

「お前、恩人にあんな態度取る奴がいるか…。本当に『仇返し』じゃ笑えもしない。忍さんが怒るのも当たり前―――というかあれが普通の反応だよ」
「…キレすぎだろうが」

「あのなぁ……あれは怒るって。逆に思い通りにいかないからって、お前が癇癪起こすのは筋違いだよ。―――ほんとお前が頭下げないと、忍さん本当に二度と会ってくれなくなるぞ。それでもいいのか?本当になんのためにここにつれて来たんだ…俺に紹介したのだって、『そういう事』だろ?」
「うるせぇ。話しかけんな」

何故あいつはこうも強情で意地っぱりなのか―――と、らしくも無く、男は溜め息が出そうだった。

男は待っていたのだ。

あの鼻っぱしを折り、懇願するように忍から助けの悲鳴が上げるのを。
一言で良かった。

そうすれば直ぐにでも……。

―――けれど、そんな考えも見え透いていたとでも言う様に、忍が一度たりともそんな素振りすら見せなかった。

もしかすれば、元よりそんな選択肢を忍は用意していなかったのかもしれない。
終いには真っ向から立ちはだかり、男に勝負を挑むように対峙したのである。

自分達は対等であり、平等の存在だと、そう思わせるように。

この男の縄張りの中、誰一人として味方のいないこの場所で―――だ。
決してこの熱気に感化させる事無く、流される事も無く、男の価値を知って態度を豹変する訳でもなく。
己の流れを守り抜いた忍は、やはり予想を裏切って尻尾を思いっきり踏んづけてくれた。

それも最大の拒絶を投げて寄越して。

男は考えていた。
それこそ自分が次に成すべき事を忘れてしまうほどまでに。
頬杖を付いて、ユウジもまたその小綺麗な顔を憂鬱そうに歪ませて、溜め息を零す。

「―――ナオ。お前もお前だ!!苛めちゃ駄目って言ったじゃないか!!」

男達が比較的集まった場所―――忍が囲まれていた近くのソファに行儀良く座るナオは、呑気にカクテルを口に含んでいた。
こちらもどこかつまらなさそうに唇を尖らせ、可愛らしいその顔で不平不満を表現している。

「そうですけど〜。あの人さほど困ってなかったじゃないですかぁ。どっちかって言うと怒ってただけっていうか。―――けどすっごい剣幕な顔で怒って怖かったですねぇ。なんか人一人殺したことありますって顔。抵抗しないかと思えば噛み付いてくるし…。強い人なのか弱い人なのかよく分からな〜い」

軽く首をすくめて、もうその話題には興味も無いと言わんばかりに鼻歌を歌いながらカクテルを優雅に楽しんでいる。
こうなればもう何を言っても耳を貸してはくれないと知っているユウジは地団駄を踏むように「もう!!」と手に持っていたタオルをカウンターに叩き付けた。
大分遠いところにある窓から外を見上げ、その月を眺めながらユウジはふと気になったように呟く。

「―――そういえば、忍さん帰るって言ってたけど…家までどのくらい掛かるんだろう…?」
「…。アイツは家に帰ると言ったのか?」

『キング』が初耳とばかりに、顔を上げた。

「え?何?聞いてなかったの…?思いっきり叫んで言ってたじゃないか」
「…」

むろん何か叫んでいたのは聞いた。
だが、『去ぬ<イヌ>=帰る』という意味だなんて、都会育ちの『キング』に分かるはずもない。
ユウジはその事をすっかり失念した事にも気付かないまま、『キング』が何も聞いていなかったと思って、呆れたように嘆息した。

「―――…で、どうなんだよ、どのくらい掛かるんだ?」

レプリカ型のバイクに跨って来ても20分。

遥か道のりは長く、そしてここら辺一体の地域は特に治安が悪い。
それこそ『同類』が多く息を潜ませているのだ。
『彼ら』の目に留まらなければいい―――と、そう簡単に笑い飛ばせる話では無く、あの容姿と服装では嫌でも目に付いてしまうだろう。

「…」

『キング』の渋い顔を見てその憶測を見抜いたのだろう―――ユウジはそれこそ疲れ果てたようにもう一度溜め息をついた。

―――『彼ら』はきっと群がってくるに違いない…

忍の受難が終わっていない事をユウジは心の底から同情する。

「最悪だ…。どう考えても狼の群れに赤ずきんちゃんを放ったようなもんじゃないか…」
「アイツが赤ずきん?―――間違いなく狼の方が尻尾巻いて逃げるぜ」


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