忍少年と碧血丹心 028

痛みに不満そうな顔を顰めながら、空ちゃんの指は袴を弄り始める。
まだ一度も触れていないそこへ直に触れようというのだ。
袴は、弓道部などでも見られる目に馴染んだものではあるが、直接触れるのはこれが初めてとあってか、その特殊な結び方に悪戦苦闘しているようである。

「―――くうちゃん、さすがにこれ以上やったら、俺怒るよ」
「もううるさいよぉ」

「…どうしたら止めてくれる?」
「一回やったら止めてあげる」

「―――…空ちゃんにはそれが楽しいのかもしれないけど、君は単なる悪遊びに利用されているだけだよ。それにこんな事…君自身の価値を踏みにじる行為に等しいじゃないか」

「あたしがどう自分の体使おうと勝手でしょー?」
「―――空ちゃん…もう止めよう。もっと自分の体を大切にしなきゃ駄目だ。自分で思っているほど、君自身は安くないんだから」

「んもうっ!!空の事知らない癖になんなのっ!!本当に『いい人』なんだね、あなたって!!」

皮肉を言うように、視線すら合わせないまま空は目の前の作業に集中しようとする。
正確には忍のその真っ直ぐな眼が見れなかったのだ。
それは綺麗過ぎるが故―――綺麗過ぎて腹立たしく、同時に馬鹿馬鹿しいとも思う。

―――『綺麗』などまだ可愛い表現。

皮肉でしかない。
彼は偽善者だ。
変な正義感を振りかざす、ありふれた普通の少年。
箱入りのように、世間を知らない―――まるで無知で小奇麗なお坊ちゃま。
諭せば世界を変えられるなど、そんな熱意すら篭っている彼の視線は鋭い矢の如く突き刺さって、目が合うのも既に億劫になっていた。

彼に何を言っても無駄。

何をやっても―――もしかすれば水泡に帰するのかもしれない。

それが空ちゃんが評した忍である。

とにかく、どんなに威圧をかけても動じない忍に構うのは、恐ろしく精神を削るようだ。

「外れそう?」
「あと、ちょっと…」

空ちゃんの指先の動きを覗き込みながら、男が問いかける。
確かに、その紐は解け掛かっていた。
段々と、空ちゃんの顔は輝き始める。まるで発掘した宝がじょじょに顔を出してきたような歓喜だ。
このままでは本当に嫌な性行為が―――忍が見たあの醜いセックスを自分がしなければならなくなるだろう。

そう悟った時、忍は溜め息を零した。
この場では似ても似つかない、寂しそうなものだった。
じっと忍が空ちゃんに視線を送ると、その痛いほどのそれに気づき、目が合う。

目が、合った―――…

途端に、すっと鋭く忍の目が細まると、僅かに閉じ込められた紅玉が光輝を放つ。

「さすがにこれはもう―――俺の許容範囲を超えてるからね…」

その美しさに捕らえられ、空ちゃんは呼吸をする方法を一瞬だけ忘れたように、息を飲み込んだ。
これは忍にとっての最終手段。
最終通告。
真に不本意ではあるが。

(ああ、情けない)

結局女性には手足すら出ない忍は、自嘲気味に切れた口角を皮肉げに吊り上げて、冷たく突き放す様に言った。

「―――いいよ、別に。やりたければやればいい」

方言を使った際の尊厳を含んで―――けれどやはりその口調は親しげのある馴染み深いもの。
空ちゃんの体は硬直した。
生きる猛火を閉じ込めた忍の瞳から―――逃れられなくなる。

「え…?」

まるで空ちゃんの視線は真意を問いただそうと縋っているようにも見えた。
彼女には同じ言葉を、どこかで聞いた事があったのだ。

「―――ただしそれやった時点で俺は君を軽蔑するよ。…だって君のやっている事は『間違い』だ。―――第一、君のためにならない。……どう考えてもね……」

彼女の中で何か嫌な予感が過ぎった。

それは『最悪』のシナリオで。

彼女がこの場で最も恐れるであろう、その事態を想像してしまったのだ。
どうにか『彼』との接点を外そうと否定して見せるが、既に確信へと繋がっていた。

目の色も違う。
髪の色は同じでも、長さが違う。
服装だって違うのだ。
話し方も知らない方言を使ったり、敬語を使われたりした。
初対面だと、紹介された。
本来、真面目で生意気、口の悪い『あの子』が来るような場所ではないはずだ。

―――けれど…

一語一句、間違える事も無く言い切ったその言葉で、『空<クウ>ちゃん』こと『香取 空<カトリ ソラ>』は思い知った。
間違いようの無い。
色は違えど、その瞳の美しさははっきりと覚えている。

空<クウ>ちゃんの組み敷くその人は―――同じ学校の同じクラス、隣の席に座る『白取 忍』<シラトリ シノブ>だ。

そう悟った瞬間、空<ソラ>の中から『何か』が声にならない悲鳴を上げ、音を立てて崩れた。

脱力してしまうほどの衝撃に、天から地に落ちるような『恐怖』を彼女は痛感した。

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