先生

翌朝。
疲れている筈なのに、まだ薄暗いうちに目を覚ました。枕元の携帯電話で時間を確認すれば、まだ朝の五時にもなっていなかった。もう一眠りしようかと眼を擦ったところで、画面に表示された受信件数に驚く。着信・受信共にこれまで見たことがない数字になっていた。

結婚式が中止になった事を心配しているのだろう。多くの友人や親戚から心配のメールが入っていた。何通かだけ短く返信し、野次馬のようなメールは削除する。

(降谷くん、十時に来るって言ってたっけ...)

完全に目が覚めてしまったため、仕方なく身体を起こす。熱いシャワーを浴び、簡単に身支度を整えてルームキーを掴んだ。

申し訳ないが、ここにはいられない。

教師と教え子が付き合った例は、それこそ星の数ほど存在するだろう。立場の違う二人の間に愛情が生まれるのは素敵な事だ。決してそれを否定する気は無い。
しかし、どんなに素敵なことでも、それが世間的には褒められないことだとみょうじは知っていた。
彼の未来を、人生の先輩でもある自分が潰す訳にはいかない。

廊下へと続くドアのノブに手をかける。カチャン、軽い音を立ててドアを開くと、向かいの壁に寄りかかっている彼と目が合った。悲鳴をあげる代わりに、喉がヒュッと引き攣ったような音を立てる。

「おはようございます。どちらにお出かけで?」
「っ...!降谷くん、どうして...、」
「貴女の行動パターンは既に予測済みですから」

やっぱり、早く来て正解でしたね。
そうため息を吐きながら、彼は自分諸共私を部屋に押し戻す。後ろ手でドアを閉め、そのままガチャリと鍵をかけた。

「自分のキャパシティーを超える事が起こると、その場から逃げ出そうとする。あの日もそうでしたよね」
「...っ」

あの日、とは数年前のキスをした日の事だろう。何もかも読まれていたようで、また、過去の出来事まで持ち出されて恥ずかしくなる。私の反応に、彼はこれまでになく重い溜息を吐いた。

「先生はそんなに僕の事がお嫌いですか?」
「違うよっ...、だって...、私は教師で降谷くんは、」
「生徒だった。でも今は違います」
「そうだけど、でも...!」
「でももへったくれもないんですよ!」

ガン!と彼が壁に手を付き、私の身体をその腕の中に捉える。互いの息遣いを感じるほど、顔と顔が近い。まるであの日を追体験しているかのようだ。

「歳上だからって変に大人ぶるのはもうやめてくれ!貴方の態度でどれだけ僕がやきもきさせられたと思ってるんだ!」

そう、彼の言う通りだ。
高校生と言っても、彼は充分大人だった。そんな彼からのアピールに浮かれ、それでいて立場が違うと一方的に線引きし、なのに完全な拒否は出来なかった。
悪い言い方をすれば、彼を弄んだのだ、私は。
なにも言えない私を、彼は泣きそうな目で見つめる。

「...先生が本当に嫌だったらすみません。でも、本当に、どうしようもないんです。他の人を好きになる努力もしました。でもやっぱり駄目だった」
「降谷くん...」
「何をしていても、貴女の事ばかりです。風の噂で結婚すると聞いて気が狂うかと思いました。教師も辞めてしまわれると」
「...」
「先生は、僕に初恋のつらさを教えてくれました。今回で最後にします。どうかもう一つだけ、教えてください」

先生は僕が嫌いですか…?
こつり。私の片口に顔を寄せ、彼が懇願するように言う。昨日からつけたままなのだろう。彼の胸元に、あの日の白い花のコサージュがあった。
きっと大切に保管してくれていたのだろう。何処にも傷んだ様子はなく、あの日彼に渡したままのように見える。造花であるはずのそれが、彼の胸元にあるだけで瑞々しく芳香を放っているように思われた。

「私...」

口に出すには、とてつもなく勇気がいる。しかし、言えば楽になることもわかっていた。
こんな有り触れたコサージュを、ずっと大切に持っていた彼。そんな彼を、私が大切にしないわけにはいかない。
教師としてではなく、一人の人間として。

「私も、好きです。降谷くんが、ずっとずっと好きでした...」

口から出た言葉は、なんだかとても幼稚な言葉なように感じた。文系の教科を教えていたというのに、情けない事だ。

「僕と、付き合ってくださいますか...?」
「......はい」

返事をした瞬間、ぎゅう、と苦しいほどに抱きしめられる。二人とも、涙を流していた。

「降谷くん、苦しいよ...」
「...僕はもっとずっと苦しい思いをしてきたんですよ」

だから、もう少しこのまま。
そう言われてしまうと、それ以上文句が言えなくなってしまう。
仕方なくそのまま彼の背に腕を回すと、あの日とは違う優しいキスが落ちてきた。

「愛しています。これからもずっとずっと。貴女だけを」

会えなかった時間を埋めるキスは、いくらしてもし足りない。口付けを交わす二人を朝日が照らし、白い花のコサージュがきらりと光った。


(先生...教師、医者など、学識のある指導者的立場の人。または、僕の好きな人)
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