まだわからない言語(出会った直後くらい)

 クラリネットとピアノが演奏する。曲調からして、ジャズだ。ジジッとたまにノイズが走る。古い再生機だろうか? 不思議に思い、ななしは目を開いた。壁一面に演奏をする人間たちを写したポスターが貼られている。どれも古い。かろうじて輪郭がわかるまでに色褪せていたり、角が取れたりしたものもあった。中には糊付けされたものが剥がされた痕跡もある。昨晩、自分たちが寝床にした場所だ。真夜中だったため、今ほど周囲を確認することができなかった。目を擦る。腹の上から腕が落ち、見慣れた姿が一つない。それを探そうと首を動かすと、すぐ見つかった。朽ちたカウンターに腰かけ、なにかを触っている。なにも考えず、ななしは近付いた。
 聞こえた音と視界に入る物影で、メイスが気付く。
「起きたのか」
 その問いにななしがコクンとだけ頷く。まだ寝惚けている。カウンターにあるものが気になるのか、壊れた椅子の横に立った。カウンターへ寄り掛かろうとしたら、バキッと不気味な音を立てた。
「うわっ」
「所々腐っているから気を付けろ」
(まだ平気な癖に)
 無傷のメイスにジトッとした視線を送る。その文句をいいたそうな目を無視して、メイスはななしの疑問に答えた。
「これはジュークボックスだ。レコードを入れて曲を奏でる代物だな。どうやら、ここのオーナーはジャズが好きだったのらしい」
「じゅーく」
 英語に直すと"jukebox"だ。"record"と"music""play"ときたら、音楽を再生する代物に違いない。そうななしは訳し、プレイボタンを探した。ペタペタ機械を触る手を、メイスが掴む。
「下手に触るな。今、ようやくマトモに動き出したところなんだ」
「そう」
「そうだ」
 片言の相槌を同意で返し、メイスが手を下ろされる。スッと膝の辺りで離すと、バッとななしの手が動いた。目にも留まらぬ早業だ。思わずメイスが手を伸ばす。
「おい! こら!!」
 極めて声を抑えながら叫ぶ。ななしが「えー」と不満を出し、ジュークボックスを触ろうとする。「おい、やめろ」「勝手に触るんじゃない」この騒動が気にかかったのか、熟睡した人物が起き出した。ななしの腹から腕を下ろされた人物である。ムクリとゲーラが起き出し、ボリボリと頭を掻く。音と声のする方を見れば、メイスがななしを取り押さえようとしていた。
(なにしてんだ、あれ)
 そう寝起きの頭で考えながら、立ち上がる。寝惚けてふら付く足で歩きながら、二人に近付いた。
「なにやってんだ」
「おはよう?」
「あぁ『おはよう』だな。朝の挨拶はいいから、触るのを止めろ」
「なにやってんだ?」
「おい、やめろって」
 ななしは未だにジュークボックスを触ろうとする。メイスは下手に触ろうとするななしの手首を掴んで、遠ざけようとする。だがバーニッシュとしての力が反映されているのか、二人の力は拮抗していた。その点、ゲーラは寝起きである。今まで寝ていた分、二人のしていた会話がわからない。
 ジッと説明をしない二人を見たあと、ベリッとななしを離した。
「あー!」
「んだよ。んなに触りたかったのか」
「助かった。礼をいう。壊されちゃ堪らんからな」
「あ? なにをだよ」
「コイツだ」
 そういって、トンとジュークボックスを叩く。音楽は流れているが、たまに空白が入る。ノイズも一緒だ。(壊れかけじゃねぇか)その指摘を、ゲーラは飲み込む。ゲーラに肩と手首を掴まれたまま、ななしが指差した。
「音量、アップダウン」
「あ? 音のデカさを調整してぇだって?」
「ダメだ。壊れかけているから繊細なんだ、コイツは。下手に触ったら、また黙っちまう」
「サイレント? 静か? 静寂な?」
「よくもまぁ、そこまでポンポンと似たようなのが出るモンだぜ」
 のそりとゲーラがななしの頭に自分の顎を乗せる。"silent"から"quiet"ときて"calm"とくる。意味を尋ねるななしに、メイスが指を動かした。シーッと、自身の指に人差し指を立てる。
「"Stop talking"だな」
「"Be quiet"!」
「別に、今黙れって意味じゃねぇと思うぞぉ」
 怠そうにゲーラがいう。メイスに釣られてななしが両手で自分の口を隠し、二人のやり取りにゲーラがツッコむ。恐る恐る、ななしが両手を離した。天井を見、ジュークボックスを見る。
「起きないね」
「まぁ、まだ朝日も昇ってないからな」
「少しは上がってんだろ。微かに明るくなってるしよ。で、見張りはどうしたんだ?」
「寝てるだろうな、こりゃぁ」
「寝ずの番、しっぱい」
"Fallen night watch"といったななしの言葉に、ゲーラがキョトンとする。メイスだけは、前後の状況を併せて考える。──交替で寝ずの番をした者は寝てしまった。つまり見張りとしての役割を果たせていない。言い換えれば『失敗』である──。そこまで考えて、ななしに指摘した。
「"Failed"だな。"Fallen"だったら落ちるだけだ」
「ふぉーるいんすりーぷ」
「それをいうなら"Fall asleep"だな。"in"は要らねぇ」
「難しいね」
「まぁ、日常的に使う人間でも、ワケがわからんというくらいだしな」
「大体の意味が通じりゃ大丈夫だろ」
 といい、ゲーラがななしの髪をクルクルと指に巻き付ける。それを遊ばせたまま、ななしはメイスに手を貸していた。文字通り『手』を広げている。そこに、メイスが文字でスペルを書いていた。
「こう、だ。違いはわかったか?」
「ん、わかる」
 端的にそうとだけ答えた。


<< top >>
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -