マイアミに乗って真夜中ダイナーに行く

 寝る前のミルクを入れようとしたら、切れた。ポタポタとパックから白い滴が垂れ、目安の量に足りない。どうしよう。ついでにホットケーキも焼いて軽い夜食も取ろうとしたのに。
「なにしてんだ」
 のそっとゲーラが後ろから圧し掛かってくる。人の頭に顎を乗せるのは、止めていただきたい。そう思いながら、空になったパックを流しに捨てた。
「牛乳が足りない」
「あ? この前買ってきたばっかだろ」
「誰かさんが飲んだおかげで」
 そういえば、心当たりがあるのか。ゲーラの視線がぐるっと回った。左から右へ、右下に回って汗を垂らす。わかりやすい。濡れた鍋を水で洗い流して、調理台に立てかける。切れたら買い出してって、いったはずなのに。そう思いながら、ゲーラの腕から抜けた。
 少し膝を屈めて、できた隙間にすかさず手を入れる。そのままゲーラの高さを保つと、緩んだ腕からスルリと抜けれた。
(緩んだ、というか)
 自発的に緩めた気もしないでもない。そう思いながら、部屋に戻って着替える。なにを着替えるにしても、とても怠い。
「どっか出掛けんのかよ」
「まぁ、買いに出掛ける」
 ミルク。そういえば、「ふぅん」とゲーラが返した。するすると自分の顎を撫でている。いいや、適当に上を羽織ればいいか。部屋着にモッズコートを着込む。
「じゃぁよ。どっか出掛けるか」
「え」
「食いによ。ダイナーなら、この時間帯もやってるだろうしな」
「えっ」
 ダイナーってなんなのだ。
「あ? 知らねぇのかよ。結構有名だぜ」
 変なのも屯することもあるけどよ、結構映画にも出てるんだぜ。そうゲーラはいうけど、知らないものは知らないのだ。そうフルフルと首を横に振ると「ふぅん」とまたゲーラが返した。
「んじゃ、今日デビューすっか」
「はっ?」
 そう人が返す暇もなく、ゲーラは部屋を出た。自室に戻ったのだろうか。部屋でボケっと立つ私を無視して、自分も部屋着に上着を羽織った状態で、ゲーラが戻ってくる。
「おら、行くぞ」
「財布は?」
「足りるだろ」
 どうやら払う気でいるのらしい。自分の財布を手に取ろうとしたら「行くぞ」とゲーラに手を引っ張られた。丈の長いコートのポケットに手を突っ込まれる。ぶかぶかのパーカーのフードで暖を取ってるのだろうか? そう思いながら、細いゲーラの足が大きく動くのを見る。
 チャリンと音が鳴る。それがバイクのキーだと気付くには時間がかかって、気付いたときにはゲーラの後ろに乗っていた。四輪のマイアミは少し遅い。けど安定性を比べたら抜群だ。ピーコートの背中にグリグリと頬を押し付けると、固い骨の代わりにパーカーのフカフカさが伝わった。
「そういやよ」
 赤信号で停まる。
「なに食うんだ? オムレツか?」
「ホットケーキ」
 そういうとズボンから出た足が動いた。「ふぅん」とゲーラが頷いて、ステップに足を置く。
「パンケーキならあるぜ。あるならな」
「あるなら、なんだ」
「おう」
 そう返すと、青信号になったからか走り出した。真夜中の冬の寒さは寒い。ほうっと息を吐き出すと、白い吐息が後ろへ流れた。
 ゲーラの背中に顔を埋める。背骨やあばら骨を割って聞こえる心臓は聞こえない。トットッと、分厚いパーカーとコート越しに鼓動が聞こえるだけだ。
「ねー」
「あー?」
「この格好でも大丈夫かなぁ」
 走行中でも聞こえる声で、ゲーラに尋ねる。すると前方から「あー」と唸る声が聞こえた。
「大丈夫なんじゃね? 浮浪者とかいるしよ」
「え」
「誰でも入れるってこった」
 そういうが、ゲーラが先にいった言葉が気になる。なんだ、浮浪者って。私が浮浪者と同じ格好をしてるっていいたいのか。
「やっぱり、ゲーラみたいにちゃんと着替えた方が良かったのかも」
「大丈夫だろ。そのままでも充分行けるぜ」
「どういう意味」
「俺のモンだって意味だよ」
 だからどういう意味だ。そう思いながら真夜中のハイウェイを走ってると、一軒のレストランが見えた。なんか豪華なヤツじゃなくて、安っぽい感じでチェーン店みたいなの。それでいて赤く点灯する看板が、さらに安っぽい。
(確かに、手持ちの少なさでもいけそう)
 そう思ってると、バイクが停まった。ブレーキをかけて、ギアを落としてエンジンを止める。ゲーラの両足が地面に着いたのを見て、マイアミから降りた。続けてゲーラも鍵を外して降りた。店に入ると、やる気のなさそうな店員が声をかける。深夜だからか、とても眠そうだ。ゲーラに倣って、私もカウンターに座る。メニューを見せられると、英語ばっかだ。
「ほらよ。パンケーキだ。これが」
「へぇ」
 ブルベリーソース付きもある。
「アサードはねぇのか。ニョッキもねぇ」
「ニョッキって?」
「トマトソースで煮込んだ肉の塊と丸いパスタを一緒に食うヤツだよ。マイアミにゃぁ、あったんだがな」
(『まいあみ』)
 バイクの名前だろうが、恐らく違う。多分、地名的なのでいったんだろう。そのゲーラのボヤキに「ふぅん」と頷いてから、ページを捲った。また英語である。
「ゲーラはなにを頼むの?」
「水。食う気はねぇ」
「だから痩せるんだよ」
 そう返すと「うるせぇ」って返された。ヤケクソにバーガーを頼んだ。続けて私のパンケーキも伝えた。ついでにブルベリーソース付き。
「まぁ、店名が違ぇから、多分置いてねぇだろうとは思ったけどよ」
「そうなんだ」
「マイアミの十一番ストリートも、中々いいもんだぜ」
「ふぅん」
 そうゲーラの故郷の話を聞きながら、パンケーキを待った。出された水を半分まで飲むと、もうバーガーとパンケーキが出た。早い。驚く私を他所に、ゲーラがパンケーキを私に渡してくる。ちゃんとホイップクリームにブルベリーソースがかかってる。
「ほらよ。俺の奢りだぜ」
「ありがとう」
 皿に乗せられたフォークとナイフを手に取る。一口切って口に運ぶと、ホクホクの生地の薄いパンケーキの味がした。流石、期待を裏切らないクオリティ。ゲーラの方を見ると、同じように薄いパンに挟まれたコテコテのソースたっぷりの肉とレタスと薄っぺらいチーズを食べていた。一口が、大きい。
「くどくない? 胃もたれしない?」
 そう聞くと、バーガーを食べたばかりのゲーラがキスをした。パンケーキとコテコテの濃いソースが、良い感じに噛み合う。多分ホイップクリームとブルベリーソースを口にしてたら死んでた。チュッとゲーラが離れると、顎にかけられた指も離れた。
「んな感じだ」
「こういうこと、してもいいの?」
「見てるヤツなんかいねぇよ」
 普通におっぱじめるヤツもいるぜ。とバーガーを食べに戻ったゲーラに「世紀末だ」とコメントを残した。
「俺ぁ、自制しているだけまだマシだと思うがねぇ」
「それ、自分でいっちゃう?」
 そう返しながらも、私も奢ってもらったパンケーキを食べた。値段の割に量が多いものだから、結構ずっしりとくる。げふっと出る息を殺したら、ゲーラが置いたフォークを手に取る。そして残り一切れを食べた。
「よく食べるね」
「おら、口開けろ」
 いわれて開ければ、最後の小さな一切れが入った。ちょうどいい感じに、胃に収まる。大衆食堂で初めての食事を取り終えた。カウンターにあったナプキンを、一枚取って口を拭く。拭き終えると、ジッとゲーラが此方を見ていたことに気付く。
「なに?」
「いや。帰るぞ」
 パンと腰を叩かれたので、それに合わせてカウンターの椅子から降りる。ゲーラはもう前を歩いていて、会計に向かっていた。慌てて追い付く。手元を見る前にもう支払いは済んでいて、「あっ」と声を出す間もなく手を握られる。そのまま店を出る。眠そうな深夜の大衆食堂を見送る。遠のく看板から目を逸らすと、暗い青いフカフカのピーコートが見えた。それに顔を埋める。パーカーとコートのふかふかで、心持ち温かい。
「寒い」
「帰ったら俺が温めてやるよ」
 それ、いわないと死んじゃう病にかかってるんだろうか。そう思いながらもゲーラの愛情表現に「そう」とだけ返した。親愛、に近いのかもしれないけれど。ふあ、と欠伸をしながら眠気を逃がす。口元から遠のく白が霞むのを見ながら、ゲーラの走るマイアミに揺れた。
(帰ったら寝よう)
 けれども彼のキスに付き合わされるのかもしれない。そう思いながら、少しだけ目を瞑った。
 相変わらず、ゲーラの心音は一定のリズムを刻んでるのであった。


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