たまにはいちゃつきたい(卒暁後)

 たまにはイチャイチャしたい。文月はそう思うが、猿投山がそういう気分ではないときもある。いくら一緒にいることが多いとはいえ、気分の噛み合わない日もあった。ジッと、リビングからキッチンにいる猿投山を見る。トレーニングをした後だから、身体は汗だくだ。大量の汗を吸ったシャツは洗濯籠へ、失った水分は蛇口を捻った水で補給する。コップ数杯分の水を飲み終えたあと、猿投山はプロテインを摂取し始めた。ゼリー飲料のものである。その硬い吸い口を歯で挟みながら、スマートフォンを操作する。(多分、乃音先輩たちとかだろうな)四天王で飲みに行くとの旨の連絡だろう。たまに、四天王同士で飲みに行くこともある。文月の視線へ、一向に気付かない。これに我慢できなくなって、文月は動いた。
 音を殺して、立ち上がる。猿投山は気付かない。(このままだと、埒が明かなさそうだし)足音を殺す。(先輩も、一向に気付いてくれない)このまま寂しい夜を過ごすなど、ごめんだ。寂しさが過ぎて拗らせてしまう。猿投山は気付かない。親指の一つでタップし、返信を送る。[多分空いてると思うぜ][いいのか?][日程を別にする流れか?][そうよ]ポスンポスンと犬牟田や蟇郡、蛇崩のレスポンスが返る。それに首を捻っていると、ポスンと後ろから抱き着かれた。背中に柔らかいものと、額を預ける感触がする。腰に腕を回されたと同時に、ビクンッと猿投山の肩が跳ねた。(少し、大胆すぎたかもしれない)羞恥心で後悔に苛まれるものの、後には引けない。ギュッと抱き締める力を強めた。突然のことに思考停止する猿投山を余所に、文字のやり取りは続いて行く。[日程を別にするにしても、また日程のすり合わせが必要になるだろう][日程日程って煩いわね。この眼鏡。また日が合ったときでいいんじゃない?][火急の用事はないのだろ?]蛇崩が打ち終わるまで数分の間が起き、流れを見守った蟇郡が確認を取る。一方、猿投山は顔を真っ赤にして黙っていた。脳が沸騰する。頭から湯気が出る。顔も茹で蛸のように赤いなら、頭の中も熱で茹で上がったように動かなかった。「そ、の」勇気を振り絞るような文月の声に、猿投山がビクンッと身体を跳ねる。動揺を露わにしながらも、回復した思考で取っ掛かりを探す。──何故、急に抱き着いてきたりしたのか──? その動機の推測に微かな下心が混ざる。(まさか、な)そういう気分を催さなかった前のことであるから、確信を持てない。この飲み会の打ち合わせがなければ、簡単に察せたであろう。
 画面と文字でしかやり取りをしない手前、猿投山はいう。正面を向いた状態で、背後にいる文月へ尋ねた。
「な、んだよ。急に抱き着いてきやがって」
「そ、その。たまには、こう、したいなぁって」
「はぁ? こう、って裸の男に抱き着くことがか?」
「うっ、渦だけだから!!」
(う、お)
 ドクンと強く猿投山の心臓が波打つ。そうも顔を真っ赤にした状態でいわれては、心の平穏を保てはしない。期待と下心とで波が大きく打ち返す。背後へ振り返ったわけではない。心眼通から奥義開眼を経て、相手の心拍数や声の振動である程度心の内を読み取れる程度になったのだ。だからといって、精度はそれほど精確ではない。正確無比の精度を持つときは、一騎討や戦いの場においてである。相手の次の手を推し量り一瞬で隙を突く際に大いに役立つ。このような探り合いの場においては、本人の知識や頭脳が重要なポイントとなる。猿投山はこの点を欠けていた。冷静でいられない。ドクンドクンと心臓が大きく脈打つ。身体は火照り、真っ赤になった顔から汗を垂らす。ダラダラと発汗をし始めた猿投山を余所に、文月は猿投山の背中に頬を預けた。(だ、大胆だな)猿投山の期待と下心が大きく跳ねる。とてもじゃないが、平常心を保つことが難しくなる。ジト目で耐えた。目に入る情報を少なくしても、触感が極めて強くなるだけだ。
「う、振り返らなくてもわかるぜ。お前、緊張しているだろ」
「なにガキみたいなこといってるんですか。なに? 小学生?」
「んな口叩きやがって。どうせ強気なのも今だけだろ?」
「は、はぁ?」
「今に俺に甘えたくなって、足腰が立たなくなる」
「なにいってるんですか。馬鹿なんじゃ?」
 文月に上から目線でいったことにより、罵倒と文句の口論のスタートダッシュが起こる。しかしながら、途中で止んだ。互いに互い、その続きが出ないからだ。シン、と文月の罵倒で会話が止まる。猿投山は「馬鹿なのでは?」の問いに対する返事を持ち合わせていなかった。猿投山自身も、自分がした反応に「馬鹿だろ」との自責を持ち合わせていたのである。グッと口を閉じて俯く。明日明後日の方向を見る猿投山を見上げ、文月は眉を下げた。
「あの。その、ただいちゃつきたいだけで」
「だ、ったら初めからそういえや」
「だって、恥ずかしいから」
「んなこと、いわれても」
 俺だって、たまにはいわせたいときもあるんだぞ。と咄嗟に口から出た言葉を塞いだ。片手で口を覆う。視線は別のところをやる。視界の右上に入るものを見ながら、猿投山は別の言葉を考えた。なにも思い付かない。この間にも、文月は密着する力と時間を強める。猿投山の臀部に自分の下腹をくっつかせた。
「だ、だめ?」
「駄目じゃないが、もう少し言葉を選べよな。お前」
「なに? 悪いとでも?」
「いや、悪くはねぇが、その」
「なに。ちゃんと言ってもらわないと、わからないんですけど?」
 ムッとする間にもムギュッと胸を押し付けられる。(そういうところとかだよ)と猿投山は咄嗟に思ったが、どう伝えればいいかわからない。出るのは先のやり取りに続くものだ。自分としては、どうにか甘い雰囲気へ持って行きたい。猿投山は悩む。スマートフォンで開いたアプリには、安否を気にする声が送られてくる。
[そういえば、さっきから猿投山の応答がないな]
[なによ。応答って。ちょっと席を外したんじゃないの?]
[向こうにも用事があるだろう]
 犬牟田の疑問に対し、蛇崩と蟇郡が答えて話を進める。四天王の面子で打ち合わせた内容も頭に入らない。猿投山は新着メッセージの滞る画面をジッと見つめて、鈍い親指で返信を打った。
[すまん。やっぱ無理]
 この簡単な二文に対し[ほら見たことか][やっぱりね][仕方ないな]とお決まりの約束で決まりきった、既に想定が付いたやり取りが返されることは、いうまでもなかった。


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