スカウト(卒暁後)

 神奈川某所にある猿投山こんにゃく本舗支店は、基本的に二人で経営している。猿投山が店を任され、文月がそのサポートとなる。常に猿投山が早く起き、文月が後で起きる。中々猿投山の時間に合わせて同時に来ることは少ない。猿投山は閉店後と早朝とで仕込みを行い、開店前に取引先へ配送を行う。その間に文月は店を任され、店頭への陳列及び在庫商品のチェック、経営戦略を立てるなどをしていた。肉体労働は猿投山がし、頭脳労働は文月が担当する。流石に接客となると、猿投山も仕込みの手を止めて店へ出ることもあった。
 馴染みの顔ぶれを前に、文月は帳簿を付ける手を止める。ペンで米神を押さえ、二人に尋ねた。
「そういえば、流子ちゃんとマコちゃんって働いてるの?」
「へっ?」
「えっ、それがどうしたの?」
「いや、気になって」
『ちょっと』の言葉が出てこない限り、かなりの度合いだろう。厨房でこんにゃくを作る猿投山は、ピクリと耳をそばだてる。茹で上がったこんにゃく芋を、静かに剥いた。
「とりあえず、仕事はなにかしてる?」
「まっ、まぁな! おじさんが色々な伝手を持ってるからさ。その人たちの手伝いをしたりしているよ」
「父ちゃんはツケをしたりさせたりしているからね! そういうコネクションはいっぱいあるよ!!」
「へぇ。じゃぁ、流子ちゃんは暇じゃないということ?」
(んん?)
「まぁ、そうなるかな。いつ呼び出されるかわかんないし」
「んじゃ、マコちゃんは?」
「私はお母さんの手伝いとか、色々!」
「なら、普段は家にいるってこと?」
「うーん、そうなるかな? たまにお使いとかにも行くよ?」
「そっか。うん。じゃぁ、接客の仕事に興味とかはある?」
(は? おい、ちょ)
 待て、と焦りが言語化する前に芋が落ちる。哀れ、床へ落ちかけた。調理台から転がり落ちる寸前で、猿投山が反射的に止める。ポカン、とカウンターの方を見た。
 文月は話を続ける。
「お客さんと話したりとか、そういう」
「うーん、でも商品の説明とかもいるんじゃないのかな? マコにできるかどうかがわかんないよぉ!」
「ハハッ、マコは頭を使いすぎると知恵熱が出るからなぁ。難しい話とか、難しくないか?」
「プシューって湯気が出ちゃうよ! 流子ちゃん!!」
「うーん、セールストークも入れてくれると助かるんだけどな。おばちゃんとか、話すだけで満足して帰ってしまうし」
「おい、おいおいおい!」
 厨房から慌てる声が聞こえる。文月と纏、満艦飾が声のした方へ振り向いた。慌てふためいた猿投山が大股で、店頭に出てきた。
 ガバッとドアのレールを掴み、カウンターへ顔を出す。
「勝手に話を進めてんじゃねぇぞ!? それに、んな話は一ミリたりとも聞いてねぇ!!」
「いってませんでしたから。私も、静かに考える時間がほしくて」
「だからって、勝手に話を進めるな! そのまま採用する流れに近かっただろっ!!」
「なにをいいますか! あくまで可能性を示唆しただけです。探った、ともいうか」
「ひえーっ! マコ、大ピンチ!! ねぇねぇ、流子ちゃん! どうしよう、どうしよう!! マコ、ヘッドハンディングされたところだよぉ!」
「うん。それは『ヘッドショット』な、マコ。けど、気持ちはわかるぜ。だって、マコがいるだけで明るいもんな! 千芳がマコを欲しがるのもわかるよ」
「絶対にやらせんぞ!! 特に纏! 貴様に厨房の敷居など踏まさせんッ!!」
「こっちだってお断りだぁ! そもそも、マコん家のコロッケじゃない限り食いたくねぇよ。おばさんやマコのコロッケは、世界一美味しいからな!」
「うん!!」
「ぐっ! そ、それはそうだがなぁ。だからといって俺は認めん! 認めんぞ!!」
「どうして私にいうんですか。仕事中も休みもワーカーホリックになれっていうんですか? 修行行きたがりさん」
「うっ! うぅ、なら!! 仮に採用するとして、いったいどれくらい出すつもりだったんだ!?」
「時給一〇〇〇円前後で実際に面談を経て微調整を」
「おぉ」
「結構いい!」
「ぐ、だっ、だとしても!! 俺は絶対に認めないからな!?」
「だから、なんでそうもそこまで嫌がっ、あっ」
 全身全霊で否定する猿投山の心因に、文月が気付く。瞬間、文月の頬に紅が微かに入った。ジト目で猿投山を見やる。肩を震わせる猿投山は、フーフーと息を荒げていた。そこまでして、自分たちの間に誰かが割り込むことは嫌だという。
「ワーカーホリックに、なれと」
「そこまではいってねぇ。息抜きも大事だろ?」
「そもそも、店頭で練るのが間違いだったか。働き方改革、してもいい?」
「おう。ドンッと受け付けるぜ」
「ねぇねぇ! こことここと、ここのこんにゃくをください!!」
「マコ、よくこの空気の間に割り込めれたなぁ」
 一瞬だけ流れた甘い空気の中を、満艦飾が割り込む。元気よく告げた注文に、猿投山は気まずそうな顔をし、文月はなんでもなさそうに答えた。注文されたこんにゃくを、殺菌作用のあるアルカリ水と一緒に入れる。「はい。占めて九八二円になります」「はい!」「ありがとうね」千円札を受け取り、文月はお釣りを渡す。これを猿投山は焦れったそうに見て、纏は哀れみの目を向ける。半ば呆れていた。
 纏と満艦飾が店を出る。
 猿投山こんにゃく本舗の支店から数メートル離れたところで、纏はいった。
「マコ。とりあえず猿投山んとこはやめとけ。臨時のバイトなら、結構額は弾むだろうと思うけどさ」
「えぇー? 良いと思うんだけどなぁ。家から通えるし!」
「アタシの胃がもたねぇんだ。わかってくれよ」
 はぁ、と片手で視界を覆って空を見上げる。流石に、あれを毎回喰らうのは気の毒すぎる。猿投山の身を哀れに戻った。
 徒歩で自宅に帰る。纏と満艦飾が帰路に着く。その一方で、猿投山と文月はこんにゃくの芋を剥きながら働き改革について話し合っていた。


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