大晦日の朝

 静かな朝だ。珍しい。目覚ましのアラーム音も、賑やかな話し声も聞こえない。昨日は大掃除をして、それから正月の食べ物も買って、あっ。まだお正月じゃない。年末だ。年末の大掃除に、今日は確か、大晦日。手探りでスマホを探し出す。確かな感触、硬い感触。スマートフォンだ。充電コードに繋がれているものだから、持ち出す距離に限度がある。ピンッと糸が張り詰める。これ以上近付かなさそうなので、こちらから距離を詰めた。枕に埋もれない方の目を、開ける。サイドボタンのON/OFFを押すと、画面が切り替わった。真っ黒な画面から、待ち受け画面へ。数字の示す通り、大晦日だ。時間の示す通り、朝である。今日は、どう過ごそうか。年末最後の一日である。大晦日の特番もあるだろうなぁ。なにを見よう。
 ボーッと考えてたら、後ろで動く音がした。モゾリと動いて、パタン。もぞもぞと動いて、後ろからギューッと抱え込みたそうに腕を回してきた。でも、腕もパタンと落ちる。ダランと脱力していた。もぞっと耳を擽って、頬を擽る。トン、と肩に顎を置かれた。寝息ともとれる吐息が、耳は頬にかかる。
「なにしてんだ」
「大晦日、だと思って」
 かくいう私も眠い。トロン、と瞼を閉ざしそうになる。訂正、目を閉じそうになる。
「なにを、しようかと思って」
 流れるように開いたSNSを、消す。しまった、個人的なアカウントを見られるわけにはいかない。タイムラインには秘密がいっぱいだ。代わりに天気予報をチェックする。午前中は晴れで、午後から吹雪くらしい。気難しい性格だ。
「午前中、晴れるみたい、ですね」
 そう話の切欠を提示するが、先輩は答えようとしない。眠そうに「んー」と唸るだけだ。吐息の調子も見て、きっと寝てるな。この人。最早夢うつつといっても過言ではない。タイムラインを開こうかな。いや、でもな。見えてないのに見えるからな、この人。うだうだと考えてたら、後ろから「そうだなぁ」と呑気な声が聞こえる。でもまだ寝惚け眼である。声に、ありありと寝起きに近いものが滲んでいた。しかもまだ寝息に近い呼吸の調子である。
「動くなら、早いうちにいいかと。ねぇ、聞いてます?」
「あー?」
 今にも「ねみぃ」と口に出しそうな声だ。グルリと身体を回す。先輩の顎が浮いて、肩が自由になる。ちょっと距離を取ってから、身体の向きを変えた。先輩と正面に向き合う。先輩、まだ寝ている。開いた口からも、健やかな寝息が聞こえそうだ。
「今日は、なにしようかって」
「セックスしようぜ」
 寝惚けてなにいってんだ、この人。呆れて目を開けたら、先輩も目を開けていた。薄目だけど。ちょっとその顔、写真に撮ったら面白そうだな。スマホのファイルに保存しておこうか? と考えてたら、先輩が距離を詰める。動くものだから、寒い。枕から頭を下ろして、布団の中に潜り込む。外気より布団の中の方が、温かい。これにホッと一息吐いてたら、先輩が真正面から抱き着く。ギュッと。先輩の胸に額をくっつけることになった。爪先も、先輩の足首に当たる。ツッと、足の親指と人差し指で先輩の足首を挟んだ。
「セックス、しようぜ。なにもないんならよ」
「あるよ。ありありとある。最後の年末ですよ? 大晦日。今年最後の日に、なにか記念を残したいじゃない」
「だから、セックス。最高だろ?」
 という割には、押し付けてくるものは寝起きのようである。どこが最高だ。肉体的快楽の享受を受けたとしても、それは一瞬のことだ。一瞬で波のようなものがきて、静まったと思ったら、結構な時間が経っている。ちょっと、そんな気にはなれない。
「もっと美味しいことをしましょうよ」
「はぁ?」
「お正月に食べると、美味しいものがあるじゃないですか。お餅とか、おせちとか、そこら辺」
「あー」
「そんな形式ばったのを、今風に美味しくアレンジするだけ」
「なんだ。手の凝った料理でも作るのか?」
 先輩も起きてきたのらしい。口調がしっかりするほど、寝起きのものが段々と寝てきた。血行の問題もあるのかな。男の人って、こういうときほど不便だなぁ。生命の神秘について、思いを馳せる。
「バター、マーガリン」
「は?」
「おせちに乳製品は、いいらしいですよ」
「おせち、だと? 煮物に牛乳でもぶっかけんのか? チーズか?」
「あっ」
 間違えた。お餅の方である。ちょっと先輩の腕を掴んで、身体を上に伸ばす。ついでに先輩の足も、梯子代わりにして枕の手前まで身体を上げた。顎を引く先輩と、目が合う。
「お餅でした」
「あー、ミルク餅ってのも、あるもんな」
「バターやマーガリンを、焼き立てのお餅にすると、とても旨いらしいです」
「焼くんじゃねぇのか」
「ん、そのまま塗り込むと」
 それに、そのまま食べた方が美味しい。カロリーの暴力であるお菓子を摂取したいときに、この手の調理法は最高である。理に適ってるともいえた。
「焼き立てですよ、焼き立て」
「へーい、へいへい」
「あと、おせちはおせちでも、ぜんざいが」
「餡子のヤツ、買ったんじゃなかったか? 確か、溶かして作るヤツがあったろ」
「そうでした」
「それで作りゃぁ、いいじゃねぇか」
「でも、一個が多すぎる」
「切ればいいじゃねぇか」
「なら任せます」
 そもそも餅は硬い。あれを生半可なもので斬るなど、ちょっとキツい。もぞもぞと先輩の鎖骨に顔を寄せる。先輩が頭に顎を乗せるものだから、喉仏の振動が直接額や前頭部にくる。声の振動だ。「おーう」としばらくしてから、返事がくる。
「緑茶、緑茶も飲もうぜ。熱々のヤツ」
「縁側でぼっこするみたい、って。猫舌」
「忘れてた」
「ぬるま湯」
「せめて冷ました状態で飲みたいもんだ」
「玄米茶とかは? 確か、食卓用で小分けのを買ったような気が」
「あの、ちっせぇ缶のヤツか?」
「そうそう」
 大容量のものと比べると結構高い感じだが、正月だ。どうせなら良いのを飲みたいし、そうそう毎回飲むものでもない。一回辺りの値段が高くても、長い目で見るとお得だ。色々と、充足感もある。
「冷たい緑茶もあるし、美味しいかも」
「なら、それに期待するっきゃねぇな」
「でも、焼き立てのお餅はアッツアツかも」
 あ、黙った。黙る時間が長い。
「けど、今はとても寒いから。冷める時間も早いかも」
「それに賭けるっきゃねぇな」
 あっ、今度は返した。もぞもぞと布団の中で動く。布団の外に手だけ出すと、寒かった。
「さむい」
 先輩が、もぞっと動くだけである。ギュッと体温が縮まった。
「エアコン、壊れてるのかなぁ」
「さぁーな。布団の中が温いだけの可能性もあるぜ?」
 それは否定できない。布団の中でぬくぬくしながら、いつ頃に起きようかと悩んだ。


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