ゴロゴロ(卒暁後)

「そういえば。本来だと、今日がお月見らしいですね」
 唐突に話を切り出した千芳に、猿投山がポカンとした。
「んだよ。『今日がお月見』って。暦の上じゃあ、って話だろ?」
「違います。正確に暦読みをSNS上でドヤ顔で開かして、それが一定の人気を取らなかった時代のことです」
(それって、滅茶苦茶古いヤツじゃねぇか)
 スマホに視線を落としたままの千芳に、呆れた視線を投げる。「それがどうしたってんだ」といいながら、蒟蒻芋の入った籠を片付けた。藤蔓で作った籠であり、通気性が良い。そこに一個ずつ新聞に包められた蒟蒻芋があった。湿気があれば充分。気温は十三度以下にならないよう気を付ける。生こんにゃくに必要な蒟蒻芋を保存する際の注意点である。店が休みでも、仕込みに必要なことは最低限やらないといけない。材料の在庫をチェックする。千芳を盗み見ると、ペンを走らせていた。
「ハロウィンの用意も、必要だったか?」
「最悪、お月見の方を先にして。これは、来年。中途半端にやるよりマシ」
「おい、千芳」
 ブツブツと呟き出したことを見て、慌てて止める。このように集中すると、人の話を聞こうとしない。「ちったぁ落ち着け」と猿投山が肩を掴めば「先輩にいわれたくないですね」と千芳が振り向きもせず、いった。
「猪突猛進なのは、そっちかと」
「心当たりが多すぎて、こっちとはいえねぇなぁ。もっと他にいんだろ。猪突猛進の人間がよ」
「そうですね。でも、そのカテゴリーに入る人間だとは思いますが」
「あのなぁ」
 呆れて千芳の腕を掴む。その瞬間、千芳の身体が大きく跳ねた。ビックリしたような反応だ。ただの驚愕とは違い、顔に熱を上らせる。カッと顔を赤らめたあと、サッと顔を反らした。耳まで赤い。これに、猿投山は思い当たった。表に出すことを堪えるように、口元が歪に歪んだ。猿投山も同様に顔が赤い。
「ん、んな」
 驚くことねぇだろ、と言い出す前に離す。掴まれた千芳の腕が、バッと離れた。胸の前で抱え、左手が千芳の肩を掴む。しっかりと身体に残されたことを、気にしているようである。仕掛けた張本人である猿投山は、昨夜調子に乗りすぎたことを思い出していた。
「わ、悪かった」
「心に謝罪が、乗ってない」
「悪かったっていってんだろ? 心からの謝罪じゃねぇっつったってなぁ」
 未だに顔を反らし続ける千芳の肩を掴み、グッと近付ける。畑の土の匂いが、ふわっと香った。それに警戒心を解き、千芳の視線が猿投山に戻る。まだ顔が赤い。羞恥心もあってか、視線が刺々しい。
「まぁ、やっちまったのは事実だ。っつか、可愛すぎると手心を加える暇も」
「馬鹿ッ!」
「馬鹿ってなんだ! 馬鹿って!! テメェも同じ立場になってみろ!! 絶対ぇ俺と同じことをするだろ!?」
「知らないッ! あ、あんなに、人を、もう!! 顔も見たくない!」
「なっ!? ん、なとこまで行くわけねぇだろ!? だったら、なんで昨日あんなに鳴いて」
「馬鹿ッ!!」
 バチンッと小刻みの良い軽快な破裂音が、室内に響き渡る。猿投山の頬に、綺麗な赤い紅葉が出来ていた。ポカン、と猿投山は叩かれた頬を触る。熱い。仕掛けた張本人である千芳は、真っ赤な茹で蛸みたいに湯気をくゆらせて、ギュッと目を瞑っていた。
「破廉恥!! 空気よめない、猿ッ!」
「最後のそれは悪口のつもりか!? っつーか、空気読めてねぇわけねぇだろ! 絶対ぇそれ、蛇崩のから出したヤツだろ!?」
「知らない! せ、先輩が恥ずかしいから!! だから私も恥ずかしくなっちゃうんだ!」
「だぁ!! なんでもかんでも人の所為にすんじゃねぇ!! っつーか、テメェも気持ちよかったんだろうが! だったら、あんなに鳴くわけねぇ!!」
「ひ、人、演技するものだから! べ、別に本心じゃないし!!」
「いいや! ありゃ本心だろ!! 例えテメェが嘘百八で偽りを塗り固めようが、俺の奥義開眼した目から逃れられねぇんだよ!」
「ひぅっ! も、もっと有意義なことに使いなさいよ! 馬鹿ッ!!」
「おーおー、今のは照れ隠しで罵倒したつもりか!? テメェの心拍数が一時的にドンッと莫大に上昇したぞ!?」
「うぅううう、馬鹿ッ!!」
「あだぁ!?」
 天眼通から心眼通、心眼通から奥義開眼を経た技を使用したせいか、猿投山の口調が目を塞いだ頃のものへ一時的に戻る。この状態になると、猿投山は空気を読まない。空気を読まず、ドンドンと相手を的確に追い始める。とはいえ、これは本能字学園であれば当たり前のことだ。『獅子搏兎──獅子は一兎を追い詰めるにも全力を使う』最早本能字学園だけではなく、本能町における暗黙のルールだ。だが、今は違う。本能町は本能字学園とともに沈み、鬼龍院家の因縁とともに消えた。千芳はこの追い込みゲームに付き合う必要もないし、いつだって抜けることができる。
 しかしながら、羞恥心がこの冷静な常識を打ち破った。勢いよく猿投山の脛を蹴り、その場から逃げ出す。「本当、馬鹿ッ!」と羞恥心でいっぱいになった頭から、精一杯罵倒を捻り出した。
 工房の扉を閉め、カウンターへ引き籠もる。再三いうが、店は休みだ。シャッターを下ろしてあるから、客がくる心配もない。強く蹴られた脛を擦り、猿投山は扉を見つめた。
「クッソ、図星の癖に」
 千芳に蹴られた脛は、未だに痛い。ジンジンと激痛の熱が、脛から脳に伝わった。立ち上がる。ケンケンと片足で歩きながら、扉を叩いた。コンコン、と鍵を閉めた扉からノック音が鳴る。
「わぁるかったって。ちったぁ、素直になればいいんだぜ? そうすりゃ、無理させちまうことも減る」
「ばっ、馬鹿ッ!」
「普段からそう突っ走るからだろうが。わかってんのか? 結構、そういうツンツンとした態度がスパイスにもなって」
「なんですか!? 男の人って、本当そういうことばっかなんですか!?」
(おい)
 ピキッと猿投山の米神に青筋が浮かんだ。一般論ではない。というのに、なぜ一般論に結びつくのか? 甚だ不愉快である。不名誉だ。猿投山は怒りを押し殺し、極めて冷静にいわんとした。
「あのなぁ、そうじゃねぇだろ!? テメェにだけ、でいってんだ!!」
 そう正論を吐き出したら、扉の向こうから罵声も返ってこなかった。馬鹿、の一声さえ出ない。静寂を守る扉に、猿投山は不審を覚える。ドアノブに当たる場所に手を掛け、力を入れる。鍵はかかっていない。簡単に開いた。「おい、千芳?」と猿投山が千芳の名前を呼びながら、辺りを見回す。薄暗い。シャッターを閉め、灯りも付けていないから当然だ。
 カウンターを見る。その中にある椅子で、千芳が身体を丸めていた。抱えた膝に、顔を埋めている。猿投山へ、丸めた背中を見せていた。
「そっんなに、恥ずかしかったのかよ」
「うるさい」
 蚊の鳴くような声で、千芳は反論だけをいった。


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