部長会議の朝(2年の春)

 金曜日の本能字学園はとてつもなく早い。
 なにせ、朝の部長会議があるのだ。朝に弱いと本当にキツイ。しかも四天王は必ず出席しなければならないのだ。だって生徒会の人間だものね。支配者は治世する民の前に顔を出さなきゃね。必ず出席しなきゃならない理由はわかる。
 けれども、朝に弱い人間はどうしても弱いのだ。
 フライパン片手に、形だけのノックをする。はい、気付かない。どうせわかっていた。
 なので、容赦なくドアを開けて中の住人を起こす。床に転がったCDケースや雑誌なんかを踏まないように跨いで、ぐぅすかと眠りこけている主へ近付く。
 年頃の乙女に対して、上半身裸で寝ているのはどうなんだろうか。しかも、確実に起こしにくることがわかっていながら。
 来たる文句の雨を覚悟しながら、スッとしゃもじを構える。既にあらかたを皿へ移し終えた。もはやフライパンの中は一口味見をする程度のものしか残っていない。
 フライパンに残る香ばしいごま油の匂いを吸い込みながら、勢いよくフライパンを叩いた。
「猿投山先輩! 朝ですよ!!」
「どぅわっ!?」
 コンコンとしゃもじでフライパンを力強く叩きながら大声を出すと、まるでまな板の上の鯉のように猿投山先輩は飛び起きた。
 そしてクンクンと鼻を鳴らしてからパチパチと目を瞬きした。ご飯がここにある事を確認したあと、私の姿を見てギョッと目を見開いた。うん、知ってる。
「なっ、千芳!? お、お前! どうしてここに!?」
「はいはい、そんなことより猿投山先輩。朝ごはんもうできましたよ。今日は早いんですから」
「いやいや! そんなことよりお前な! 女が男の部屋へ勝手に入ってんじゃ」
「今日は部長会議ですよ。恒例の。遅れたらヤバいじゃないですか」
「はぁ? 今日は木曜日のはずだろ? あ、金曜日だったわ」
 気付くの遅いな。しっかしりてくれよ、運動部統括委員長。私は彼らの補佐的な仕事をして自分の業務をこなすから、詳細は見聞きしたことしか知らない。けど、多分蟇郡先輩あたりは厳しそうだからしっかりとしてほしい。私も怒られるから。
 スマホ片手にボリボリと頭を
 掻く猿投山先輩に、もう一度言う。
「先輩、朝の七時からだったでしょ、会議。早く着替えとかもしなきゃ」
「あ、あぁ。でもお前、まずは部屋から出てけよ。味見はするけど」
「はい、どうぞ。今日はこんにゃくの胡麻和えですから。お弁当にも一応詰めましたから」
「やったぜ」
 などと、下らないやり取りをしながらも朝の支度を進めた。
 猿投山先輩が着替えている間に、台所に戻って朝食の準備を進める。午前六時四十分。本能字学園に近いから、正直ギリギリでも間に合うと思う。超ねむい。
 ふあー、と大きく欠伸をしながらお弁当に朝の残り物を詰める。こんにゃくの胡麻和えにこんにゃくのきんぴらごぼう、こんにゃくのステーキにこんにゃくのピリ辛炒め。本当、このラインナップは酷い。例えこんにゃくの中に他の野菜や肉詰めが入っているにしても、このラインナップは酷い。
 たまにはホワイトソースやデミグラソースなんかも使いたい。猿投山先輩だったら、どれもこんにゃくに合いそうだっていいそうだけど。
 ギュッとお弁当を風呂敷で包む。
「ふぉふぉ、ほふふぉふぉふはふは」
「先輩、磨き終えてから喋ってください」
「ほふ」
「台所ですすがないでください」
 そもそも、使った歯ブラシをどこへ置くつもりだ。おい、そこはやめろ!
 そんな願いもむなしく、先輩は洗った歯ブラシを流しに向かって置いた。
「今日もこんにゃくが弁当の中に入ってるんだよな!?」
「えぇ、まぁ。先輩のこんにゃく愛と実家に感謝ですね。お陰で食費が浮きます」
「庶民的だなぁ。お前も結構な額を貰ってんだろ。三つ星なんだからさ」
「まぁ、ある程度は。でも、節制も大事ですよ」
「ま、わからなくはないが。食うか」
「そうですね。それにしても」
「ん?」
「こんにゃくの前には、いつもの行儀の悪さは見せないんですね。いいこ、いいこ」
「お前は俺のママさんか!」
 びっくりだ。猿投山先輩の口から『ママさん』という単語が出たこと自体がびっくりだ。
 でも私も朝ごはんを食べる。
 立ちっぱなしで食べる。食器の洗い物があるのだ。浸けおきで帰ってから洗うけど。
「お前も座って食べろよ。こんにゃくは逃げねぇぞー」
「先輩。私は家事とか色々やることが、いっぱいあるんです」
「はぁー? 俺たちの秘書官っぽいことやってる癖にかぁ?」
「先輩」
 こんにゃくを咥えたまま不貞腐れる先輩を、ジロリと見る。
「私、居候の身ですので。なにもしないのは、ちょっと、居心地が悪いんです」
「家政婦さんとかがやってくれるのに?」
「自分でやれることはやりたいんです」
 ジロリと見返す先輩の口に、飛び出たこんにゃくを突っ込んだ。



 部長会議は朝の七時から始まるのは、何度も言われたことだ。
 朝食も食べ終えて学校行く準備を整えて家を出ること、午前六時五十分。
 学園に着いて階段を上がること、午前六時五十五分。
 部長会議が始まる教室に着くこと、午前七時ジャスト零分。
「遅いぞ! 文月、猿投山!! 五分前行動は基本だと、何度いったらわかるのだ!!」
「るっせぇなぁ。間に合ったからいーじゃねぇか」
「すみませんでした」
「うむ。素直なことはいいことだ。だが、それに行動が伴わなければ意味はないぃい!! そして猿投山! なんだ! 貴様のその反省の遜色もない態度は!!」
「あぁ? 天下の風紀部委員長様が、俺らへの説教で部長会議の時間を押してしまってもいいんですかねぇ?」
「あーあ、山猿とガマくんは相変わらず騒がしいわねぇ。朝から元気なこと。さっさと始めましょーよー。時間も限られてんだしー」
「あぁ、俺も大いに賛成だね。無駄なことに時間を費やしたくない。さっさと始めよう」
「うわぁ。『無駄』だといいきっちゃったよ」
「ほら、千芳! アンタ、さっさと部長達から報告書を回収なさい! ちゃんと運動部と文化部は分けておくのよー」
「うちのもそうしてくれると助かるな。分担する手間も省ける。あ、ちゃんと出納帳と仕訳帳は分けてくれよ」
「わ、わかってますよ! 流石に、同じ間違いは犯しませんって。多分」
「『多分』じゃないわよ。アンタ」
 チロチロと蛇の舌を出す乃音先輩の指摘を胸に刻みながら、既に席についている部長達から報告書を回収する。
 えーっと、風紀部委員に提出するのと会計の方に必要な物。そして運動部と文化部は部数分ある、と。うん、部全体のは出てるかな。
 各部員の出席チェックを済ませたあと、犬牟田先輩・蟇郡先輩・乃音先輩と猿投山先輩それぞれに必要な書類をザッと置く。
 全員出席の旨を蟇郡先輩に伝えると、キッと蟇郡先輩の顔が引き締まった。その顔を確認したあと、サッと所定の位置に立つ。
「では! 部長会議を始める!!」
 規律をモットーにする風紀部委員として威風堂々な蟇郡先輩の大声が、耳に響いた。



 眠そうな目をしばしばさせて、各部長の報告を聞き流すこと一時間。ようやく各部の報告が終わった。
 部長会議といっても、各部がちゃんと予算を出すに相応しい活動をしているのかと確認を行うための流れに過ぎない。
 欠伸を噛み殺して、会計に必要な書類をザッと確認する。猿投山先輩、しっかりと持ってってくださいよ。忘れ物チェックを一々するのも、大変なんだから。
 横で眼鏡を掛け直す音が聞こえる。
「千芳、会議の方なんだけど。ちゃんと聞いていたのかい?」
「あ、聞いてましたよ。ザッと聞き流しましたけど」
「それが駄目なんだけどなぁ。ま、気持ちはわからなくもないけど」
 ならばいわんでもらいたい。
 犬牟田先輩の小言を拾いながら思う。
「それ、授業が終わったら速攻で始めようと思うから。昼休みの内に始めといて」
「はーい」
「千芳ー。うちの文化部もおねがーい。各部のファイリングと要約を纏めてちょうだいな」
「乃音先輩、うちは何でも屋じゃないんですよ。いや、もうそれに近いことしてるけど」
「自覚しているのならばそれでいい。各部の素行チェックの報告書も頼むぞ」
「千芳、運動部の方も頼むわ」
「猿投山先輩は、少しは自分でもして」
 どさくさに紛れて全部の仕事を押し付けようとした猿投山先輩に、乃音先輩直伝の毒舌で釘を刺しておいた。
 各人の要望と仕事を言い付けられたあと、犬牟田先輩と一緒に情報処理室へ向かう。会計の資料を置きに行くためだ。
「ところで、千芳。何度も聞くようだけどさ」
 犬牟田先輩は、案外力持ちだ。私より大分多く報告書を持っている。
「どうして猿投山の家に居候したんだい。他にも選択肢があっただろうに」
「そりゃぁ」
 意識を過去に戻し、当時のことを振り返る。確かに、動機はどうであれ、頼むところは他にあるはずだと思うところだが。
「乃音先輩は、女性の方ですし。個人の時間がほしいと思うんですよね」
「千芳、君も女性じゃないか。それとも蛇崩の毒をプライベートの時間でも聞きたくないって?」
「ハハッ、犬牟田先輩も口が悪いなぁ。そうじゃなくて、女性だからこそ一人の時間がほしいってことです」
「ふぅん」
 男の人にはわからないだろうと思うけどなぁ、と思いながら話を続ける。
「次に、蟇郡先輩。蟇郡先輩は風紀部委員長ですから。絶対『不純交友である』『時間外外出である!』とかいいながら反対します」
「あぁ。あの男ならやりかねないな」
「しかも、大声で」
「あぁ。想像に難しくないね」
「でしょ?」
 嫌味な口調で返す犬牟田先輩に相槌を打ちながら、話を続ける。
「それと犬牟田先輩。犬牟田先輩は情報と戦略を指揮する立場ですから。絶対、人には見せたくないデータはあるはず」
「まぁ、それは……。あるには、あるけど」
 一定の間を置いて、犬牟田先輩は頷いた。同じ情報を扱う身だから、他人に見せたくないデータの重要性はわかる。機密性の高いものとか、特に。
 そういうものは見ず知らずの人間に、そう勝手に見られてもいいものじゃないし、見つかっても困るものだ。
「なので、犬牟田先輩は除外して」
 あ、隣の無言が怖い。沈黙が怖い!
 犬牟田先輩の無言の圧迫がとてつもなく怖かった。いつものことだけど。
「情報の機密性もへったくれもなく、個人のプライベートも確保しやすく且つそこまで生活リズムが被らない、猿投山先輩を選びました」
「確かに。北関東の山でお猿の大将をしていた山猿には、緻密な情報を扱うのは無理だ。それに蛇崩は他人の時間を喜んで使う。それが千芳の考えだと証明されたわけだ。今」
「犬牟田先輩、そーいうことやめたほうがいいと思いますー。それに、乃音先輩とは、ほら。女子トークとか楽しみたいですし。それと女の子の秘密とか、ほら、やっぱお互いに」
「なるほど。腹黒い蛇崩と女子会をしたい算段もあるのか。どんな黒い会話が交わされるのか、楽しみだね」
「だから、そういうことじゃないんですってっば! もう。でも、乃音先輩の毒舌を楽しみにしているのはありますね」
「あるのか。変態だな」
「そういうのじゃないですから。もう、何回いわせるんですか!? 毒舌語録を聞きたいだけなんですから!」
「ふぅん。確かに、蛇崩の毒舌は参考になるからね」
「もう。ま、いいや。それと」
 ポンポンと嫌味の相槌を打つ犬牟田先輩に突っ込むのを諦める。
「猿投山先輩と、好きな時に手合せができますからね。極制服の調整にもってこいですよ」
「あぁ、伊織からの。確かに、馬鹿猿はサンドバックにはちょうどいいかもね」
「もうツッコムのも疲れましたからね? 一石二鳥って感じですから」
「ふぅん」
「年齢的に気遣う必要もないし。以上です」
「あー、そういうことね。俺らより一個年下なんだったっけ? 『特待生』は辛いねぇ」
「世間でいうところの『飛び級』でしたっけ?」
「そうそう。しかも成績も中々いい」
「『飛び級』ですからね。平均以上はとらないといけないですって」
「しかも短期間で」
「その話は終わりにしましょう」
 過去の話をしようとする犬牟田先輩に、露骨に話を逸らそうとする。あまりその話をしたくないのが実情だ。
 犬牟田先輩もそこまで突っ込むつもりもなかったのか。私が露骨に話を逸らすと、それっきり私の過去の話をしようとはしなかった。
 よかった。ところで時間はもう八時十五分になろうとしている。
「はい、千芳」
「え?」
「開けてくれないか? あいにく両腕が塞がっているんでね」
 白々しく肩を竦める犬牟田先輩を、思わずジト目で見てしまう。いっておきますけど、貴方がその量の荷物を抱えているのにその扉開けてるの、しっかりと見ていましたから。
 とは思っても、そうはいっても無駄な口喧嘩に労力と時間を費やされることになろうと思うので。私は時間のコスト削減を狙って頷いた。
「へい」
 かなり不機嫌そうに返してしまったということは、付け加えておくべきだろう。
 ガラガラと足で開けて、情報室へ入った。


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