くの字(在学中)

「仕事仕事ばかりいいやがって。他にはなにも、ねぇのかよ」
 そう先輩が愚痴を零した。恐らく、私の催促が酷いものだろう。けれど、先輩のが遅れているせいで、他全体も遅れていることは事実だ。それに、無駄話をする時間もない。それが皐月様の計画に、いったいなんの意味がある?
「そうお喋りをするほど、時間が空いていると思いまして?」
 と尋ねたら、先輩がガクリと肩を落とした。ついでに頭も。見るからに落ち込んでいるようだ。いや、落胆? ちょっとわからない。とにかく、気分が下がったことは確かだ。「そういう、じゃなくてよ」と小さな声で否定を吐き出した。いや、そうはいわれても。けど、直接いわれたわけじゃないし。どちらかといえば、独り言に近いような感じだし。いったい、どうしよう。(いわない方がいいか)そう流しておいた。
 先輩がムクリと起き上がる。顔は、すごい、ムッとしている顔だ。いつもの不機嫌さは影を潜めているけど、うん。その代わり、拗ねているというかなんというか。その辺りの機嫌の度合いが出ている。
「理屈は、わからんこともない」
(『わからんこともない』んかい)
「けど、パフォーマンスを上げるためには息抜きも必要だというだろう?」
「それが視察ですね」
「おい」
 先輩の正論に事実で返したら、ジト目で睨まれた。事実じゃないか。現に、視察に行ってきたし。
「歩いた時間だけで、充分時間を取れましたでしょう?」
「はぁ? テメェの目玉はどこについてるんだ?」
「歩きながら考え事をして、ボーッとすれば、少しは整理がつくかと」
「あん?」
「オーバーワークしても、歩けば気分転換になるということですよ」
 まぁ、犬牟田先輩は出歩かないけど。あの人、滅多なことがないと出ないし。ほぼ情報戦略部室に引き籠もっているといっても、過言ではない。あっ、先輩の顔がムッとなった。今度は不機嫌さが出ている。
「テメェ、この俺を馬鹿にしているのか?」
「どうなるんですか、馬鹿にして。時間の無駄でしょう」
「あぁ!?」
「実際、視察に行っての報告書も書いてもらわないと困りますし。運動部統括委員長としての御意見はあるんでしょう?」
 皐月様は勿論、各部活の動向をチェックしているはずだろう。私も適宜アップロードなりなんなりして、情報を渡しているし。けれど、餅は餅屋だ。各統括委員長や戦略部長、治安担当のリーダーの意見を聞いた方が、色々と観点は出てくる。
(乃音先輩は、まぁ、滅多に出ないけど)
 視察に。吹奏楽部の部長と指揮者を担当しているからな、あの人。それでもまぁ、各部活の動向はちゃんと適宜把握しているんだ。多分、先輩よりは効率の良いやり方で、やっているんだろう。チラリと先輩を見る。グッと軽く顎を仰け反っていた。
「みっ、見てねぇぞ」
「そうですか」
 もしかして、どこか服装が崩れていたんだろうか? ポンポンと各部位を叩く。けど、捲れているところはどこもない。どうやら気のせいのようだ。
「視察で、得たものは? それとも、ただ見回っただけで?」
 効率の良いやり方があったとして、わざわざ見に行く程度だ。報告書からわからないこともあるんだろう。それに確認を取れば、先輩の顎がクッと戻った。顔も微かに、こっちへ向く。わざわざ視線を合わしに来たりはしないが。
「あ? 集団の行動及び、各部員の動向チェックに決まってんだろ」
「行動と動向。別に、紙面からでもわかるのでは?」
「はぁ? わからねぇだろうがよ。実際に、見なきゃわからねぇこともあるぜ?」
「でも、部長の動向や報告書と成果のすれ違いや、まぁ各データでもわかることでしょう?」
「事実の発見に遅れるだろうが」
「それはそうですけどねぇ」
 だからって、足を運ぶことばかりに時間を取られても、困るのだけど。各々好きな行動で戦果を挙げることは、できてもさぁ。
 はぁ、と溜息を吐く。とりあえず、こう出たトドメの一撃を渡しておいた。
「皐月様から、四天王の招集がかかってますよ。シゴキだそうです」
 先輩の言葉を借りて、猛特訓と特訓のことを伝える。皐月様のあの表情だ。きっと、一度に戦力を底から引き上げる方法を思いついたに違いない。まぁ、あとで私も参加することになるだろうけど。そう伝え終えたら「クッ」と音がした。見上げる。先輩は、顔をほんのりと赤くして目を瞑っていた。
「ま、間に合わせる」
「そうですか。他の人は、ちゃんと予定を合わせていますが。先輩だけですよ。皐月様が到着する十分前には来てくださいね。もし間に合わなかったら、ボコッとしますからね」
「るっせぇ!! それには間に合わせるに決まってンだろ!」
「『それ』には?」
「うっ!」
 つまり溜まっているものは放置しておくと? ギロリと睨んだら、先輩が黙った。言葉に詰まっているようだ。「皐月様にも、ちゃんと報告しますからね」と告げ口を告げたら、先輩が眉を吊り上げて振り向いた。
「いうなよ。あのお方に気苦労をかけさせるわけにはいかねぇ」
「まぁ、確実に考えをそっちに割く必要はありますし。全体的に、またその辺りのパフォーマンスを上げるための特訓が」
「とにかく! その招集までには間に合わせる!!」
「と、いいですね」
 といっても、多分また私がいないと間に合わなさそうな気がするけど。まぁ、本人の努力に賭けてみるのもいいだろう。一旦別れる。火事場の馬鹿力というか、土壇場になって、本領を発揮するタイプだろうか?
 招集の一時間前に、先輩の様子を見る。先輩は手が回らなくて、潰れていた。
「間に合いそうです?」
「無理だわ」
 せめて、床に散らばった報告書や資料の紙やらは集めてほしい。うつ伏せで倒れる先輩の周りに散らばる紙を、集める。真っ白だったり、途中で文字が途切れていたり。寝たのか?
「サクッと、報告を横でするのなら書けますけど?」
「そうしてくれ」
「お願いは?」
「頼む」
 これ以上、責めるのも時間の無駄だろう。ベルトの都合で、先輩の体は『く』の字に倒れてるし。これでダイニングメッセージがあったら、死体として抜群だ。「はぁ」と溜息を吐く。床に広がった真っ白の進捗を集めてから、先輩のブーストに入った。
 ──蛇足だが、先輩は書くよりいうのが速かった。


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