「せんぱい」

「なぁ、千芳」
「はい。なんですか」
「その、さ」
 先輩がモジモジとする。なにか、あるんだろうか?
「その、俺たちもいい歳になったんだし。もう少し、二人きりの時間が増えたらいいと、思わないか?」
「はい、そうですね」
 先輩にしてはオドオドとした喋り方だ。
 顔を赤らめる先輩はギュッと唇を引き締めたあと、意を決したように私を見た。
「だから、だ。まず、『先輩』呼びをやめようか」
 固まる。先輩は先輩以外でないのに、なんと呼べばいいんだろうか? 困惑する私に、先輩は顔を赤らめたまま「あー」と唸る。先輩の視線が左右に泳ぐ。先輩の表情は変わらない。照れてる。俯いた先輩は頭をぼりぼりと掻いてる。「あー」とか「うー」とかそればっかりいってる。
「先輩」
「そうじゃなくて、その」
「は、はい」
 緊張する先輩に釣られて、どもってしまう。ドキドキする胸が体を突き破ってしまいそうだ。ガシッと先輩が私の両肩を掴む。「千芳」と先輩が震える声で私を呼ぶ。釣られて私も震える声で「はい」と答えてしまった。
「俺のことを」
「は、う、うん」
「名前で、呼んでほしい。俺の名前、わかるよな?」
「わ、わかって」
「あと」
 先輩が息継ぎもせずいう。
「敬語、それもやめてほしい」
「え。でも、それだとしたら」
「俺みたいに、砕けた口調で話せばいいんだ」
「おれ、みたいに?」
「それまで変えなくていいからな」
 苦笑いする先輩に胸がキュウって締め付けられる。私は私で、先輩は先輩で、だけど『先輩』呼びはやめろという。どうすればいいんだろうか。先輩を下の名前で呼ぼうとすると、声が震える。『渦』のたった一言なのに、最後の一言がいえず仕舞いだ。なので、さっきからずっと「う、う、う」としかいえない。
 それなのに、先輩は固唾を飲んで見守ってくれている。それがどうにも恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「う」
 ゴクリと先輩が唾を飲む音が生々しく聞こえる。それに腰が砕けそうになりながらも、どうにか最後の一つをいった。「ず」という言葉が空気に飲まれて消えた。
「千芳」
「は、はい」
「敬語、やめようか」
「は、う、う」
「渦、な。俺の名前いえたら」
 続き、してやるぞ。といわれてギュッと目を瞑る。先輩に顔を支えられて、鼻が擦れ合う。熱い吐息が顔にかかる。震える声で「うず」っていったら「聞こえねぇぞ」と返された。
 それって、なんかひどくない?
「せんぱ」
 先輩がひどく不機嫌な顔をして、離れる。
「う、うず」
「んー?」
「う、渦先輩!」
「おいおい。先輩呼びはやめろっていっただろ? じゃねぇと、やらねぇぞ、っと」
 調子に乗った先輩が近づいたと思いきや、ちゅっと鼻にキスを落とされる。それってとってもいじわるだなって思う。不貞腐れたらニヒヒッと先輩が笑った。歯を見せて笑った。
 それがとっても気に食わないというか不公平だなと思って、ガブリと先輩の鼻に噛みついた。
 先輩が目を丸くする。それに機嫌をよくしてニヒヒと笑い返したら「このやろっ!」と先輩がいって私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もう、子ども扱いしないでくださいよ!」
「うーん、してねぇよ? ずっと、お前のことは一人の女として見てるぜ。千芳」
 今度は両手首を掴まれて引っ張られてからの、コツンだ。額同士をコツンと突き合わされる。得意げに笑う先輩がやっぱり胸にくるので、ボッと顔を赤らめたまま先輩を見つめた。
 先輩は目を細めたり口元を上げたり、私の頬をむにむにと触ってばっかりで効果がない。
 ぷくっと頬を膨らませて抵抗を見せたら、「アッハハハ!」と豪快に笑われてばかりだ。もう、先輩の馬鹿! プイっと顔を背けたら、肩越しに頬を突かれる。
「おーい、千芳。俺の名前はぁ?」
 肩も掴まれて顎も置かれる。逃げ場のないまま、先輩が背中にぴったりとくっつく。それに膨らませた頬もツンツンと突かれた。
 ぷいっと膨らんだ頬から空気が漏れる。
「渦」
「よろしい」
 笑顔の睨み合いに負けて名前を呼べば、上機嫌の先輩に頭を引き寄せられて、米神にキスを送られた。
 それがなんだか悔しくて、いつか見返してやろうと心に決めた。先輩の体温を直に感じる。調子に乗った先輩に、調子に乗って甘える。先輩も調子に乗って私の頭をよしよしと撫でた。
(うぅ、恥ずかしい)
 けれども、先輩にぎゅうっと抱きしめられて頭を撫でられるのも悪くないな。グリグリと先輩の肩に頭を押し付ける。心地よい温かさに負けて、目を瞑った。


<< top >>
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -