先輩と朝の仕込み

 先輩の朝は早い。コンニャクの需要はあるから夜遅くまで仕込みをするし、朝も早く起きる。大抵、決まって昨日切り上げた仕込みの続きをしている。最近、コンニャクの受注が多くなったもんね、本舗に少し出してもらったら? と聞いても「断る」の一点張りだ。勝手に、人の膝で寝てるくせに。そういう私も、先輩の髪を撫でてるだけで、好きにさせているけど。
 私も先輩に合わせて朝早く起きようとしたけど、そのせいで体を壊したため、時間をズラして出勤している。大抵、起きると先輩がいないので、一人ベッドを抜け出して朝の支度をする。歯を磨きながら冷蔵庫をチェックして、昨晩の残り物の様子も見て。顔を洗ったらパックのついでに朝食の準備をする。一つは自分で、二つはお弁当。大体、ガッツリと食べる暇はなくてサッと軽く食べていくのが日常だ。冷蔵庫や炊飯器を開くと、微かに一口食べたような痕があるのだ。恐らくお腹を空かせていることだろう。片手間に食べれて腹を満たしそうなのを作り、自分の分も食べる。料理の片手間だ。もちろん、作ってるのに落ちないようにする。
 そうして猿投山の『猿』が入ったジャンパーを羽織って、支度を済ます。眠い。とても眠い。徒歩で猿投山コンニャクに行くと、裏手で出荷準備してる先輩と出くわした。
「はよ」
「ん、はよ」
 寝ぼけ眼で答える。ハッキリとした先輩の声に比べ、私は低くぼやけている。ふあ、と欠伸しながらお弁当を渡すと「そこ、置いておいてくれ」と返される。それで車のドアを開け、助手席に置く。バタンと閉じて、先輩の手伝いをした。
 ニス塗りに飛び出た木の棘に刺さらないよう気を付けながら、後ろに積み上げる。「悪いな」と先輩はいってから、後ろのドアを閉めた。パタン、とバックドアが降りる。半ドアにはならなかった。
「じゃ、行ってくっから。留守番よろしくな」
「ん」
 重い目をしばしばさせて、先輩から鍵を受け取る。スペア、持ってるんだけどな。そう思いながらも店の鍵を受け取る。それを見たあと、先輩は搬送用の車に乗って出発した。あれ、いつのまに車の免許取ったんだろ……。本舗で働いてるのと、私がいなかったときにかな……。と思いながら、店に入った。
 先輩が開けた裏口があるので、そこから入る。一応入った裏口の鍵は掛け直して、中から鍵を外す。工房から販売スペースに繋がるところ、店とお客さんを繋ぐ入り口。そしてシャッター。残念ながら、シャッターは内から開けることは難しい。
 裏手に立てた箒を持って、軽くそこを掃く。ジッと、地面を掃いた箒の先を見る。できれば、工房の中に持ち込みたくない。
 先輩から渡された鍵の一つを出し、外から裏口に鍵を掛ける。そして少し時間はかかるものの、大回りして店の前に出た。
 箒を引き摺る。
 開ける前に店の前を掃いてから、シャッターを開けた。
 静かな朝に、ガラガラとシャッターの開く音が響く。電線に止まったカラスや雀は、その音で退散した。
 開けると、店の扉の鍵も開け、換気をする。スーッと、冬の冷たい空気が店に入った。ジャンパーの襟元を掻きよせ、フーッと息を吐く。
(寒い)
 なのに、ジャンパーの下にタンクトップ一枚って、どういうことなんだろう。あれも修行の内ってか? そう思いながら、店の前を掃いた。
 チリトリでゴミを取って、持ってきたゴミ袋に入れる。これは燃えるゴミに放り投げておく用。郵便箱の中に入ったチラシも、燃えるゴミ用。
 パッと店の前を清掃し終えたら、軽く手を洗って商品の支度をする。他の店に卸す用と、自分の分に卸す用。先輩はちゃんと、二つを分けて作っていた。ので、朝のこの時間帯だとくる人は少ないけど、ちゃんと店の前に出す。七時を回る。通学をする子たちが、チラホラと店の前を通り過ぎ始めた。引導の、保護者もいる。
(この時間に、買いにくることは少ないだろうけど)
 それでも、開いてることをアピールするにはちょうどいい。営業していることを見せるため、店の清掃をする。商品に埃は落とさない。あくまで、床とかカウンターの掃除だけ。
 軽く欠伸を一つする。終わったら暇なので、仕込みの準備を始めよう。なんか練りとかは男の腕力があった方がいいとかいわれるので、材料の準備だけに留めておこう。『お呼びの際は気軽に工房へお声かけください』とのテロップを出しておき、工房に入る。
 調理台の下から重い量りを取り出し、他の準備をする。
 蒟蒻芋のチェック、在庫の確認、凝固剤の確認。あ、ちょっと足りない。必要な分を計算し、スマホを取り出す。本舗の人とは、ラインでやり取りしている。本当はパソコンを導入して専用のアプリケーションを入れて通信をしたらどうか、と提案したけど先輩が「まどろっこしい」と答えたため、ラインで直にやり取りをしている。
(まぁ、いざとなったら犬牟田先輩がいるし。簡単な企業の内でやり取りするアプリケーションの制作くらい、やってくれるだろう)
 本場の相場を知らないため、その辺は要相談だが。そう思いながら、先輩のお兄さんに発注をお願いした。こういうところ、本舗から出してもらってるため、お兄さんに注文した方が早いのだ。
(向こうも、色々と採算組んだ発表とかあるし)
 また欠伸の一つをしながら、計量を始める。確か、明日の分もあるから……。ボウルの分も入れたゼロ距離から、芋を置いていく。グルンと針が動く。振動する針の揺れが収まってから、また一つ乗せた。うん、少し軽い方に乗せておこう。芋を交換すると、ちゃんと規定通りに収まった。それを何回か繰り返し、測った山を数個作る。それを終えたら次の作業だ。
 蛇口を捻り、水を貯める。ある程度貯まったら、ある程度新鮮な水に入れ替えたいから、栓を抜くようにして……。ゴム手袋を嵌め、芋の山を一つ引き摺る。タワシも取り、洗ったのを入れるためのボウルも用意しておく。
(棘、残るとヤバいらしいからなぁ)
 と思いながら、ジャカジャカと水の中で芋を洗い始めた。
 水中で、黒い皮がふよふよと浮かぶ。
 無心に洗ってたら、先輩が帰ってきていた。裏口の鍵を開けたんだろう。いつのまにか、後ろに回っていた。
「ただいま」
「ん」
「それ、落ちるだろ。ちょっと、手ぇあげろ」
「んー……」
 作業の邪魔をしてほしくないのに。そう思いながら芋を洗う手を止め、腕を上げる。チャポッと、芋を洗った水がゴム手袋を伝って腕にくる。それが手袋の裾から腕の付け根に落ちない内に、先輩に拭われた。
 もぞもぞとジャンパーの袖を捲られ、ゴム手袋にゴムを付けられる。
「それ、動きにくくなるから、やだなぁ」
「ワガママいうんじゃねぇよ。お前にはデカイんだから、仕方ねぇだろ」
「うーん、なら、もう一つ買うのも」
「ばーか。俺の予備がなくなるじゃねぇか」
「うーん」
 もしかして、こうイチャイチャしたいがために、わざと買わないのでは? そういおうとしたが、黙っておくことにする。フリーサイズのゴム手袋が数個あるだけで、結構自由が利くことに変わりないし。ゴム手袋の袖が捲ったジャンパーの裾に固定するよう細工したゴムの調子を見ながら、たすき掛けをされる。もう片方も同じようにされ、キュッと後ろで結び目ができる。
「取れ、ない」
「必要なくなったら俺にいうんだぞ」
「えー」
 仕事中だったらどうするのだ。そう目で訴えたら、先輩からポンポンと頭を叩かれた。舐められてる……? そう思いながら、芋洗いの作業を続けた。横で、先輩がゴム手袋を装着して、芋を切り始めた。
 スパン、スパン、と。大きなまな板の上で芋が真っ二つになる。けど、どう見ても一口大の大きさじゃない。
「ミキサー、使わないんですか?」
「あ? 手で下ろすのが一番だろ」
「でも、時間かかるし。ミキサーの方が均一にできるのに」
「あのなぁ。職人の腕によって、コンニャクの質ってもんは変わるものなんだぜ?」
「それは、そうだけど」
 でもなぁ。そうはいっても芋の性質でも決まるものだし。と思いながら、口答えする。
「ミキサーで作ってもいい?」
「いいぜ。その代わり、商品は別な」
「本舗では、大きいミキサーを凄く使ってたのに」
「ぐっ! ウチはウチ、余所は余所だ!」
「ちぇー」
 まぁ、向こうのは色々と計算し尽くしてのあの大きさと機能だと思うけど。そう思いながら、次の山に取り掛かる。
「じゃぁ、ウチはウチの良さで出すしかないですね」
 そういうと、会話が止まった。えっ、なんで? そう思って先輩を見ると、先輩はそっぽを向いていた。よく見れば、包丁の切る速度も落ちている。
 視線に耐え切れなかったのか、先輩は少し間を置いてから、ようやく口を開いた。
「おう」
 とぶっきらぼうに答えた。顔の方は、わからない。完全にこっちからそっぽを向いているからだ。でも微かに見えた輪郭からは、耳の先まで顔が赤くなっていることが確認できた。
 えっ、なにか恥ずかしくなるようなこと、いっちゃった? 自分でも訳がわからなく、顔が赤くなる。そして照れ隠しのように、バシャバシャと芋を洗った。
「イッ!?」
「は? ばっか!」
 そして棘に刺さった。手袋の内側に潜り込んだ蒟蒻芋の滴が、反撃したのである。
 慌てて袖を捲ろうとすると、先輩が腕を掴んでズイッと腕の付け根まで袖を押した。ヒンヤリとした外気に、ブルッと体が震える。露わになった腕をジィっと見たあと、「はーっ」と呆れたように先輩は溜息を吐いた。
「お前、本当になぁ」
 といって、手持ちの手拭いで赤くなったところを拭ったあと、仕事に戻った。私も戻る。
 こういうことはあまり頻発しないけど、朝のやり取りは必ずといっていいほどあったのであった。


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