08

電車で私の家の最寄り駅まで着いたら、2人で改札を抜ける。電車に乗るときにさりげなく離れてそれっきりだった右手が、ひんやりと冷たい。

家までは、大通りを徒歩4分。思考時間も4分。

1 コーヒーでも飲んでく?
…普通すぎ。
2 少し上がってく?
…なんで?
3 3……3は…


経験値とは、こういう時にモノを言うのかな。
どれだけ頭を捻っても、どこかのドラマで聞いたような台詞しか浮かばない。もし、心の中を谷垣くんに読まれたら、酔っ払ってなどいないことなど丸分かりの頭の回転具合だ。

でも、こうなった以上退路は無し。
1のコーヒー作戦でいくことにした私は、今度はそのシミュレーションを綿密に練りはじめた。

そう、あくまでもさりげなく。例えば鞄から鍵を出して、ドアを開けながらふと気付いたかのように一言。ここまで送らせておいて、帰ってもらうのもな、と気を使った感じで。

よし、これだ。
家までまだ100メートルはあるのにも関わらず、鞄の底まで手を入れて、手探りでそれを探す、が。

「あれっ?!」と、思わず声が出てしまった。
ビクッと振りかえった谷垣くんが、「…どうしました?」と怪訝そうに聞いてくる。

「あ、か、鍵が…無い」

谷垣くんは、いつもの真顔でこっちに近寄り、「鞄持ってますから、もう一度探してみてください。本当に無いですか?」と、言って、私の鞄をひょいっと支えてくれる。

本当に無いよ!いま、私が一番家の鍵を欲しているというのに、嘘なんてつかない。
家に入れないことより、小道具がなくなってしまったことのほうが、ショックだった。
はずみを利用して、ハプニング的に大人の関係になろうと思ったのに、こんなことって…。と、情けなくて目頭が熱くなる。

…あれ?…でも私はハプニングを演出しようとして、逆にさっきから綿密な手順を踏んでいた。
ということはこれが本当のハプニングで、これこそ私が本意とするもの……?

思考がぐるぐる頭の中で大回転。
クラクラ揺れて、まるで酔っぱらっているみたい。
……いや、ていうか今私は酔っている設定なのだった。
あーもう!なんか、分かんなくなってきた……。

「……やっぱり、無い。どこかで落としたかも」と、目尻に浮かんだ涙をバレないように拭ってから、谷垣くんを見上げる。

谷垣くんは、暫く黙ってから、「…泣かないでください」と表情ひとつ変えずに言う。恥ずかしくなり、「…泣いてないよ」と顔を伏せると、高く上から降ってきたのは、「…じゃあ、探しましょう」と言う声。

探す?って…鍵を?!と目を丸くするうちに、右手をとられ、手を引かれて来た道を逆戻り。
えっ?本当に?と戸惑いながら、ずんずん進む谷垣くんのペースに合わせて小走りで着いていく私。

…このまま夜通し探すとか…?と青くなるが、ものの30秒で、谷垣くんが立ち止まり、私はその背中にどすんとぶつかった。
あたっ、と鼻を押さえていると、「ありました」という声が聞こえる。え?と、谷垣くんの指すほうを見ると、そこにあったのは、

「…へ?タクシー?」

大通りにあるタクシー乗り場だった。
どういうこと?こんなこと、台本のどこにも書いてない。それどころか、もしかしたら私の想像するのとは別のドラマなのかもしれない…。

口をポカンと開ける私に、谷垣くんが言う。

「……探してもすぐには見つからないと思うので、今晩はうちに泊まってください。ここからならタクシーで行けるので。名前先輩が、嫌でなければ」

……こんなこと、台本のどこにも書いてなかった。
私の台本には。


続く

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