06

その日の朝、尾形さんの家はいつにない混乱状態だった。

「おい、家の鍵どこだ、家の鍵」
「えっ?!わかんないです…どこに置いたんですか?…って、尾形さんもう出るんですか?!私まだ髪の毛スタイリングしてない!待って!」
「適当に結んどけよ…ったくなんでアラーム鳴らなかったんだよ…」
「鳴ってたけど二人とも気づかなかったんですって!」

わたわたと髪の毛をひっつめてまとめ髪でごまかす私の後ろで、ネクタイを締める尾形さんがこれ見よがしに腕時計をチェックしながら圧をかける。



そう、昨日の夜は、帰りの時間がお互いにたまたま早くなったので、二人で久々の外食だったのだ。
食事のあとは、時間もまだ早いし、尾形さんの家で少しだけ海外ドラマでも見ようか、などと思い付き、コンビニで小さなワインとおつまみを買って帰宅した。

早めにシャワーを浴びたあとは、部屋の灯りを落として、グラスを傾けながらパジャマ姿でソファに並ぶ。
選んだドラマはアクション系。イギリス軍の特殊部隊みたいな人たちが悪質な犯罪を解決していくストーリーだ。

激しいアクションと意外に深いストーリーに息を呑んで二人で熱中。
私といえば、(こうやって尾形さんが画面に熱中してるときが隙アリ、なのよね。)と、さりげなく横の尾形さんに寄りかかって肩に顎を乗せる。
…こんなときしか甘えさせてくれないしね。

画面の中では、無事に人質にされていた女性が救出されて、助けた軍のスナイパーに感謝のハグ。感動の終わりを迎えると思いきや、画面が切り替わった瞬間目を丸くしてしまった。

始まったのはベッドシーン。
さっきの人質女性とスナイパーだった兵士が濃厚に絡み合う展開に、何がどーなったらすぐにそんなことになるのよ!と思わず口がポカンと開いてしまう。
視聴者へのサービスシーンも兼ねているのか、その後もベッドシーンがひたすら続く。

それにしても、なんだか二人で並んでこんなものを見るのも気まずくなってしまった。

だが。

落ち着き無くモジモジ動く私の肩に、尾形さんの手が回される。
ぐいっと肩を引き寄せられて、その弾みでぐらついた右手のワイングラスを尾形さんが代わりに受け取って、サイドテーブルに置いた。

ゆっくりと、こちらを向く尾形さんと、目が合ってしまう。
暗い部屋の中、テレビの画面の光に照らされる二人のシルエットは、急接近、のち、距離ゼロへ。
言葉は交わさないまま、抱き上げられたその行き先は、ただ1つだった。



そんなこんなで平日というのに夜更かししてしまった私たちは、朝のアラームにも全く気づかずに寝過ごしてしまったのだ。

「あーもう!ちょっとグシャグシャだけどもうこれで行く!」と、やっと髪の毛をなんとかして、バッグを肩にかけた私が振り返ると、尾形さんが鏡にむかってまだネクタイを締めている。

「ちょっと尾形さん、さっきからずっとネクタイ締めてません?」と、怪訝な顔で聞くと、「うるさいな、昨日までネクタイ要らなかったから、しばらく締めてなかったんだよ。その間に度忘れした」と、なんだかごちゃごちゃ言い訳している。

そうか、今日からクールビズ終了か、なんて思い出しながら、「もう!ちょっと貸してください。私、高校のとき制服ネクタイだったんで」と、向かい合ってネクタイを引っ張った。

少し頭を下げた尾形さんにドキっとして、視線を合わせないようにしながらネクタイを締めていくのを、「…なんか、イイ眺め」と、口角を上げて見守る尾形さんを知らんぷりして、最後の仕上げにギュっと引っ張って…と思いきや。

「……あれ?」

引っ張ったネクタイは結び目ができずに、そのままサラッとほどけてしまった。

「……お前さ、ネクタイ締めてたんじゃなかったのかよ」と、呆れる尾形さんに、カチカチと、迫る出勤時間を知らせる秒針の音も相まって、軽いパニック。

「……待って!向きが違うからだ!」と尾形さんの腕を掴んでひっくり返して洗面所の椅子に座らせて、今度は後ろから両手を回す。
よし、と考えながら締めていくが、習慣でネクタイを締めていた高校時代と違って、逆に締めかたを考えれば考えるほど迷宮入り。
えーっと、こっちをこうして、ぐるっと回してから引っ張って…

「……………おい」
「……………あれ?」

…ただの細長い布と化したネクタイを持って思考停止する私に、尾形さんがはあ、と溜め息を一つ。
「まあ、初日くらいいいだろ、ノーネクタイでも…」と、諦めてネクタイを鞄に入れる尾形さんに、肩を落としてぐうの音も出ない私。

結局、お互い中途半端な状態で、慌てて家を出たのだった。



「おい、谷垣、ちょっとネクタイ締めて」

鞄から出したネクタイをポイっと谷垣くんに投げる尾形さんを、横目で観察。

「…どういうことですか?」

怪訝な顔の谷垣くんだが、先輩の命令に従って、素直に手元でネクタイを締めて、輪っかになったそれを尾形さんに投げ返す。
「クールビズとかでネクタイずっとしてないと、つい度忘れするんだよな」と呟く尾形さんに、部署から、おい、尾形、それでもリーマンか、などと軽い笑いが起こった。

和んだ空気の中、谷垣くんが、ネクタイを出した時に開いた尾形さんの鞄の隙間から何かを見つけたらしい。

「尾形さん、このドラマ面白いですよね」

それは、昨日見ていたドラマのDVDだった。

「ああ、なかなか面白かった。金かけてそうだよな」と答える尾形さんに、「これ、ラストどうなりました?あの人質。やっぱり最後は国に戻ったんですかね?自分、衛星放送で見てて最後寝てしまって」と、谷垣くん。

「…………知らん」と返すのは尾形さん。
はあ?見たんじゃないんですか?という顔の谷垣くんを残して、さっさと会議室に向かってしまった。

…だって、二人とも結局見てないし。と、顔が赤くなりそうなのを抑えて、私は朝飲みそびれたコーヒーを一口すするのだった…

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