39-2

この状況、まるで何かのドラマみたいだ。
ただし、主演が冴えないオヤジということを除いては。

白いバスローブに身を包んで、ボケっと洗面所の鏡を見つめて、俺は小さく息を吐いた。

鏡に映るのは、白髪交じりの疲れた中年オヤジと、バスルームの扉だ。
摺り硝子の向こうに少しだけ見える肌色は、シャワーを浴びているまだ見ぬ名前の裸体。

私長くなるから、なんて言って先にシャワーを浴びさせられた俺は、風呂から出たあとはそのへんに畳んで置いてあったバスローブを羽織っては見たものの、どう見てもバスローブってツラじゃない自分に乾いた笑いがこみ上げるばかりだ。

ドアの向こうから聞こえるシャワーの水音は高くなったり低くなったりしていて、それがまるでお湯がぶつかって跳ね返る名前の身体のラインを音で表しているようで、なぜだか胸が締め付けられる。

今現在、実際にシャワーを浴びているということは、名前も「その気」なのか。

「…ほんとにいいのかよ、こんな俺で」

思わず鏡の中の自分に向かって呟いてみると、余計にみじめなようだった。
皺だって最近目立つようになったし、白髪も同年齢よりは多い気がする。まあ、染めることもせずに放っておいているのだから文句を言うつもりもないが。
身体だって、こんなにだらしなくて、バスローブ越しにも分かる少し出た腹がなんとも中年らしい。

…一晩だけでもいいぜ、なんていかにも遊んでる男風なことをぬかしちまったが、こんな男に一晩だけとか言われてもあいつもなんのメリットもないだろうな、と気づいて失笑だ。
もっといい身体のハンサムとか、体育会系の若い男とか…せめて身体だけの関係ならそういうやつのほうがいいんじゃねえか?

ハア…とため息をついてから、ふと気づいてアメニティの中にあったマウスウォッシュを手に取った。

…クサイか?俺。大丈夫だよな…でも一応。

ピッと封を切って口の中に流し込んだ液体で長めにうがいをしてから、洗面台に吐き出して今度は水を含んでうがいする。なんだか入念に準備しているようで気恥ずかしいが、長いシャワーを待つ間に気を落ち着けるためだ。

そんなことを考えながら、タオルで口を拭って顔を上げると、背後にバスローブ姿の名前が立っていたのでビクッと驚いてしまった。

「おわ…びっくりした。意外と早かったな」
「…シャワー、終わりました」
「おう」

そのまま、どちらからも何も切り出すことなく数秒無言で立ち尽くす気まずさに耐えかねて、つい口を開いたのは俺のほうだった。

「何だよ深刻な顔しちゃって。やっぱ嫌になったか?」
「……」
「…別に、俺は今から止めてもいいぜ。まだ、勃ってないし。なんてな。ワハハ…」
「……」

…つまんない冗談は言わずにいようって決めてるのに、自然と口から出ているんだから中年の脳は恐ろしい。

それにしても、押し黙ったままの名前に、俺の心も折れそうだ。GOなのかSTOPなのか、この年になったらハッキリ言葉で言ってくれないと分からないのだから。

ところが、そんな俺を尻目に、名前は自分のバスローブの腰ひもをどんどん緩めて、肩からスルリとそれを落として、あっという間に一糸まとわぬ姿になっていく。

…これはどうみても、「GO」だろう。だが。

「お、おい名前チャンちょっと積極的すぎない…」

慌てる俺になんて全然かまわずに、名前は今度は俺のバスローブの腰紐に手をかける。

「おわ!、っちょっと待って心の準備が…」

俺の腰紐を緩めてバスローブをはだけさせた名前が、その隙間から手を這わせてきて、そっと抱きついてくるので、直接触れ合う素肌の感触に頭が熱くなってくるようだ。

…もちろん、腰の奥も。

ほぼ裸同士で抱き合っている熱に、思考が追い付かない。大体こんな若い子の全裸を見てしまっただけでも相当キているというのに、今はその身体がピッタリ俺にくっついているのだから。

柔らかな二つの膨らみが俺の胸の下くらいに押し当てられて、すべすべの太ももが脚の間に入り込んでくる。唯一、少しだけ躊躇するみたいに引けているのが腰で、それは、俺の愚息が少しだけ主張を始めているからかもしれないが。

「シてほしいです」
「……」

顔を俺の胸に押し付けて、恥ずかしそうにそう言う名前の声だけで股間が反応するのがわかる。
このまま抱き上げて、ベッドに連れて行って、年上らしく、強引に。
ベッドに落としたら、それ以上は言葉が要らないくらいの熱い口づけを…

「…ナハハ、そう思いつめるなって。ほら!真っ裸だと身体冷えるぞ?」

…なーんて、普通のイイ男みたいなこと、俺にできるわけないだろう。

自分のバスローブで名前をガバッと抱き込んで、向かい合わせの二人羽織りみたいに名前を胸に抱え込んだまま、ゆっくり歩き出す。
とりあえず、心臓に悪い裸体はしまい込んだ、と。

後ろ歩きで歩かされて、戸惑う名前はそれ以上に不服気だ。
そりゃそうだろう。全裸になってまで誘惑したことをこんな風にごまかされちゃ。

だけどな、ちょっとだけ俺にも頭を落ち着けさせてくれ。こんな状況、もう長いこと無いんだから、対応に困るんだ。

ところが、名前を抱きしめたままゆっくり歩いて行って、ベッドに座らせようとしたその瞬間、床板のつなぎ目にスリッパが引っかかって、思わず躓いた俺は、名前ごとベッドに倒れこんでいたのだった。

「おわっ」
「きゃ」

…意図せずに、押し倒してしまった名前の顔が近い。
あんなに大胆な行動をとっていた名前だったが、いざこんなリアルな状況になると、顔を真っ赤にして戸惑っている。

「…ありゃ、…えーと、チューとか、する?」
「……」

誤魔化すみたいにふざけたふりをして聞いてから、名前が予想外に真剣ににコクリと頷くのを見て、後悔してしまった。
こんなの流れでさっさとしちまえばいいものを、こんな風に宣言したことでなんだかセレモニー的な空気が漂って、余計に気恥ずかしい。

「…じゃあ、するケド…」
「はい…」

真っ直ぐ俺を見る名前の瞳が、ゆっくり閉じていって、ぎゅっと瞑られる。
長めの睫毛が、少しだけ震えているのがこの距離だとわかってしまう。名前が目をつぶっていてくれてラッキーだ。俺の顔を間近で見られなくて済むからな。

ベッドに力なく置かれている白い手を、なんとなく今度は俺から握りしめた。
それに反応して、ぎゅっと握り返してくる名前の手が熱くて、それに煽られるように唇を近づける。


数秒、唇を押し付けると、ピクッと揺れて反応する名前がうっすら目を開ける。
一旦数ミリ離した唇が、自然と近づいてまた合わさって。
しばらくそうしていたあとは、まるで図ったみたいに同じタイミングで唇が開かれて、ディープキス。

ああ、なんでこういう時って打ち合わせもしてないのに同じタイミングで深いキスになるんだろうな。不思議だ。

久々のキスの感触に、頭が熱くなっている。自然と手が彷徨って、早くも名前の体のラインをなぞろうとするのは、本能か。
その本能には少しだけ遠慮してもらって、まずは可愛く吐息を吐き出す名前の唇に注力だ。

こんなキス10何年ぶりなんだか。日照りが続いたからな、なんてな。

それにしても甘い。こんなにキスって甘い味だったか?久々だからか、相手がこいつだからか、もう俺には分からない。こんな中年男の心をかき乱すなんて、本当にたちが悪いぞ、お前ってやつは…。


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