■ 巫女さんと虹村くんと猿の夢 参
「っっでなわげなんだぁよお’’ぉぉぉ!!!!!!だずげでぇぇぇぇ!!!!みござぁぁぁん!!!!!!」
「さいですか、えらい怖い目にあいはったんですねぇ」
「ぞうなんだよお’’ぉぉぉ!!他の神社とか寺とか行っても碌に話聞いてくんねぇし!!!みんな苗字寺の巫女を頼れって!!!もうあんだじがいねんだよお’’ぉぉぉぉ!!!」
「よしよし、わかりましたから、はい、お鼻かんで、ちーん」
「ぢーん’’」
紆余曲折、前途多難の末にたどり着いた、杜王町のあらゆる神主曰く、「最終兵器」である苗字寺の巫女さんは、嫌な顔一つせず、俺の悪夢の経緯をすべて聞き入れ、おまけに女子特有のフローラルな香りの綺麗なハンカチまで差し出してくれた。ろうそくの長細い火が揺れる中、赤と白の凜とした姿は、今日走り回って駆けずり回って会ってきたどの神職の奴らよりも静かで、清らかで、風格というものがあった。
何より、朝からあった、首の紅い跡の痛みが、時折耳をかすっていた電車の音が、この寺に、この巫女さんに会った瞬間消え失せたのだ。どしろーの俺でもわかる、この人は、本物だ。
「なるほど、猿の夢ねぇ……」
「そ、そうなんだよ、つ、次眠っちまったら、またあいつらの夢、見るんじゃないかって、俺、夢の中で全然動けなくって…」
「なるほど、その時の感覚が、まだ残ってはるんですね」
「そう!スッゲーリアルに覚えてるんだよ!それに見てくれよこの痣!!起きる前にあいつらにつけられたんだぜ!!
やべーよ、巫女さん、俺、どうしたら……そういえば巫女さんさっきからすげー勢いで何書いてるの?」
「ああ、これはデッサンとネタ書き…おほん、まあ病院のカルテみたいなもんやね、対処のためにきちんと症状や、起きたことを記録しとかんといけませんから」
「巫女さんっ……!!やっぱり頼れるのはあんただけだぜぇー!!このままじゃ猿に、夢に殺されるぅー!!
お願いだがらだずげでぇぇぇぇ!!!!」
「よしよし、ちーん」
「ぢーん’’」
「あ、そうそう、申し遅れました。私は苗字寺の巫女、苗字なまえと言います」
「に、虹村、億泰……」
「虹村億泰くん、ええお名前ですね、どうぞよろしゅう」
涙と鼻水と、ドロドロにながらのあいさつは、最高にかっこ悪くて、恥ずかしくて、嬉しかった。
「ところで虹村くん、猿の天敵って何かわかります?」
涙と鼻水が落ち着いたところで、巫女さんが部屋にあった引き戸から、何か筆と板を取り出した。
「猿の天敵……?」
「正解は、これ」
巫女さんがふわりと美しく微笑み、手にあるものをこちらに向けた。五角形の絵馬に、筆で見事に書き上げられた、
栗、蜂、臼そして、うんこ。
まばたき。
ものすごくリアルな栗、蜂、臼そして、うんこ。
「うんこ……」
「栗は囲炉裏から爆ぜて、蜂は水桶から刺し、吃驚して家から逃げようとして牛糞で滑り、臼が落ちてきて潰れ死ぬ……ってお話、聞いた事ありません?」
「猿蟹合戦……?」
「うん、猿蟹合戦。【虹村くんが猿の夢から救われますように】っと、この絵馬、家で一番ええ破魔矢に付けておくから、はいどうぞ」
「あ、ども」
巫女さんお手製の絵馬を持たされ、「ほな、お気をつけて」と言われ、気づけば、いつの間にか家路へ立っていた。
そういえばどうやって、あの寺から、帰ってきたんだっけ。しゃらん、絵馬に下がった銀の鈴の音がやけに大きく響いた。見上げれば、オレンジ色に紫が解けた空、カラスが鳴くから、とりあえず家に帰った。
がたん、ごとん。
___ガタン、ゴトン。
「うぎゃぁああぁぁぁぁぁぁああああ!!!!がアガガァァァァ!!!!!」
___ガタン、ゴトン。
「グゲェェェァあああああああ!!!!!あああああああぎゃゃああああ!!!!!!!」
___ガタンゴトンガタンゴトン!
「ギェッぇぇぇぇええええぇぇぇぇ!!!!オギャザァァッァッァぁぁああああ!!!!」
悲鳴が、阿鼻絶叫が木霊してる、猿の。何が、起こってるんだ、こりゃあ。
「おんどりゃあ、またんかいエテ公が!!わいから逃げられるん思っとるんけぃ、全員まとめて弾き飛ばしたらぁ!!!」
___炎を帯びた栗が怒号を上げながら、散弾銃のように猿たちを弾き、
「おっほっほ、わての毒は甘ぁありまへんで、ほりゃほりゃもっと踊ったってぇな」
___群衆の蜂が雨嵐のように降り注ぎ、刺された猿が踊るようにもがき苦しみ、
「…………………………去ね」
___艶のいいうんこが猿たちの足を絡め取り、傷を膿ませながら横転させた。
「往生せいぃぃぃぃぃぃぃいぃ!!!!」
___巨大な臼が、ロードローラーのごとく、猿たちを木っ端微塵に轢き潰した。
「旦那ぁ、安心しなせぃ!!俺たちゃあお嬢の命により生まれいでた式神よぉ!!」
「下衆の畜生を地獄へ落とさんと参上つかまつった次第、有象無象の区別なく、容赦はいたしまへん」
「…………………去ね」
「この命代えても貴殿の尊き夢をお守りいたしまする!!」
「「「「うぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!」」」」
「すげぇ…………」
口から出た言葉はあまりにも他人行儀であったが、もう、その三文字に尽きるしかなかった。昨晩とは打って変わって、豪速で走る電車の中は人の地獄から猿の地獄へと様変わりしていた。
栗が、蜂が、臼が、うんこが、おとぎ話のように猿を次々と懲らしめる、殺している。ぶっ殺してる。マジで情け容赦がない。ただひたすらに惚けて目の前のリアル惨劇猿蟹合戦を鑑賞するほかなかった。
「!! 旦那ぁ!後ろだぁ!!」
「うぉぉお!?」
栗のやけにダンディなボイスでハッとさせられ、後ろを振り向くと、電車の一番前に陣取っていた、巨大な猿のオブジェが土管のような手を振りかざし、まさに今振り落さんとしていた。狭い電車の中、逃げ場がない、やばい、どうしよう、夢で死んだら、やばい、あ、夏休みが、そういえば、明日、テスト……。
目の前が真っ黒になった。
ドゴォォン!!
「お怪我はありませぬか、億泰殿」
斜め45度、つぶらな瞳で俺を見つめる、めっちゃ男前な一匹のカニがいた。
「あ、だいじょぶ、です」
「それは何より、さあ私の後ろへおさがりを」
かに、カニだ、まごうことなき、蟹だ、そして男前だ。
ふと、前を見やれば猿の頭に見覚えのある、美しい銀の鈴がまるで鉄球のようにめり込んでいた。
猿の地響きのような唸り声が木霊する。
「闇より這い出し夢魔の悪鬼よ、今清浄なる神威の鉄槌を下さん!!」
蟹の小さなハサミから眩い光を帯びた、美しい矢が放たれた。体の小ささなんてなんのその、遠心力を巧みに使い、オリンピックのやり投げ選手のように美しいフォームだった、不覚にもきゅんとした、蟹に。
そして矢に真正面から貫かれ、巨大な猿は、ガラガラと、土塊のように崩れていった。
「安心なされよ、億泰殿。あの悪鬼は2度と貴殿の前には現れまい。願いが果たされ我らも、もう、消えゆく定め。
貴殿の明日に、幸多からんことを」
しゃらん、鈴の音が聞こえた。
「………起きた?」
眩しい、光だ。朝の、光だ。
夢、見てたんだよな、俺。でも、どこまで、夢だったんだろう。猿の夢を見て、それから……。
「……あ」
右手に、栗と蜂と臼と、うんこの絵馬、破魔矢、そして銀の鈴。
全部夢で、全部本当だった。
でも、そういえば、絵馬に描かれているのは栗と蜂と臼と、うんこ。あいつらは自分のことを式神って言っていた。
なら、あの蟹は、自分の窮地を救ってくれた、めっちゃ男前の蟹は、一体。
「……!?」
絵馬の裏、【虹村くんが猿の夢から救われますように】巫女さんの達筆な文字の片隅、そこには、小さく、
【お互いテスト頑張ろうね】と可愛らしい文字が綴られていた、小さな蟹のイラストを添えて。
「う、う、う、うぉぉぉっぉおおおぉお!!!!!」
ありがとう、栗
ありがとう、蜂
ありがとう、臼
ありがとう、うんこ
ありがとうございます、巫女さん。
ありがとう、ありがとう、ございます
「かにさまぁ…………!!!!」
巫女さんと虹村くんと猿の夢 【終】
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