※久々知が男娼。ゆえに、気持ちR-15以上で。



(俺みたいなひねくれ者を愛してくれる奴なんか、いるはずない)

喚きのような声が頭の芯を削るようにして渦巻いている。愛されるはずがない。金属が引っかかれた時の軋むような耳鳴り。愛されるはずがない。胸に入り込む息が切りつけてくる。俺なんか愛されるはずがない。誰も俺を愛してくれない----------。

「っ」

恐怖に固まったまま、必死に、目を開けると、仄暗さが幕のように視界を覆っていた。物の隈を溶かしていた薄闇は、やがて周囲に退散していって、はっきりとした明るさの元、情景をはっきりと捉えることができるになる。どうやら、自分はホテルのベッドに寝かされているらしい。ホテル、と感じたのは乾いた空気に僅かに沈殿する臭い、それをよく知っていたからだ。嗅ぎ取った精独特の苦みとそれに気付く自分自身に、つい、顔を顰める。ただ、それ以上のことは分からなかった。唯一、視界に入る天井に敷き詰められた白を見ても、どうして自分がここにいるのかわからない。自分の置かれている境遇がさっぱり分からず、少しでも状況を掴もうと、体は横たえたまま辺りに視線だけを走らせる。と、知っている、けれどあまり見たことのない広い背中があった。

「ハチ」

思わず彼の名前を呼んでいた。掠れた声だったが、静けさの中ではきちんと届いたようで、は、っと振り向いたハチが「兵助!」と昂ぶった声を上げ、慌てて俺の元へと駆け寄ってきた。その姿に、途端、フラッシュバックする。上がる息。がくがく揺れる膝。けばけばしいネオン。迫る闇。煌びやかなホテル。俺に伸びた手。隙のないスーツを身に付けたハチ。その前に俺は客の男と……。

(っ! 俺、ハチから逃げてて、)

気付いた事実に、思わずその場から後ずさりしようとした。細胞の一つ一つまでもが、今すぐ逃げ出したい、と叫んでいる。感情の全てがその一心に凝り固まっているというのに、ベッドに伏せた体はぴくりとも動かすことができないほど凍りついている。

「兵助、大丈夫か?」

心配げに眉を下げて俺を覗きこんだハチに、「大丈夫」と答えようとした口が痺れていて上手く回らず、おまけに混乱する思考では言葉が見つからなくて「あぁ」と相槌だけを打つ。重力に押しつけられた体は、まるで自分のものじゃないかのように、鈍重で。体全体に覚える虚脱感に、指先まで力が入らない。それでも、なんとか、掌に力を加えて体を起こそうとした俺の背中に、さっとハチは腕を差しこんで、抱きかかえるようにして俺を支えた。

「まだ休んでいた方がいいんじゃないか?」

心臓が破裂しそうなくらい煩い。拍動が躯のあちらこちらから聞こえてくる。響き、跳ね返り、消えることなく渦巻く。全身が心臓になってしまったみたいだった。触れているハチに気付かれるんじゃないかってくらい、はっきりと、感じる鼓動。それに伴って、ハチに手を添えられた部分を源に熱が溢れだした。迸る流れは、俺の意志では留めることなどできず、あっという間に首筋から顔へと広がった。案ずるようにして覗きこんできたハチが、俺の顔が赤くなっていることに気付いてないのが奇跡なくらいだ。

「大丈夫、だから」

これ以上、ハチに触れられていたら、思考がパンクしてしまいそうだった。ずっと求めていたハチの熱が欲しくなる。この温もりを放したくなくなる。どれだけ希ったって叶うことのない望みだ。だから「もう平気だ」とさらに言を重ねて、腹筋と背筋に力を入れて、彼の掌から体を離す。途端に、ハチの温もりの代わりに淋しさが体を侵食していった。

(-----馬鹿だよな、俺がハチに愛されることなんて、ないのに)

さっきの男の言葉が消えることなく鳴り響いている。汚い体をしている自分を好きになる奴なんていないだろう。煌びやかなスーツ一つでも、住んでいる世界が違いすぎることなど明白だった。俺みたいな奴を、ハチが愛してくれるわけない。そんなこと、あの男に言われなくても、分かり過ぎるほど分かり過ぎていた。

(だって、ハチは俺を抱こうとしない)

「あんまり無理して、また、倒れたりとか」

それでも、こうやって優しくされる度に、期待してしまのだ。もしかしたら、って。

「ごめん……ハチに迷惑かけて」
「いや、迷惑なんて思ってねぇよ。むしろ、」

そこまで言うと、区切った唇をハチは結んだ。その視線は確かに俺に向けられているのに、その奥に宿る心はこの場にないようで。遠くに想いを馳せて揺れる眼奥の光に、ハチが言いかけた言葉の続きが気になった。しばらく沈黙が静寂を紡ぐ。待てども言う気配のないハチに「むしろ?」と彼が途中で止めてしまった言葉だけを返す。すると、ハチは「いや、何でもない」とあからさまに答えを濁した。しまった、と彼の顰めた顔がそう言っているような気がしたけれど、これ以上言及したら、ハチに嫌な思いをさせるんじゃないか、そう思ったら言を継ぐことができなかった。

「あ、のさ」

しばらく黙りこんでいたハチが、途切れ途切れの言葉を俺に投げかけてきた。さっきの続きだろうか、と顔を向けると「悪い」とハチは目を伏せた。上瞼が落とす影に、心なしか赤みが差しているような気がする。唐突に謝られる理由が思いつかず、答えに詰まっていると、「ほら、その、さ」とハチは俺の方を指差した。意味が分からないまま「え?」と自身を見下ろす。と、きっちりと着こんでいたはずのシャツのボタンが二つ目まで外れていて、そこから肌が覗いていた。

「悪ぃ。なんか、うなされていたし、苦しそうだったからさ」

ボタンとか色々外したんだけど、とだんだん小さくなっていくハチの声は心底すまなそうで。そう言われれば、襟や袖口がやけにすうすうする。少しでも息が楽になるように、と考えてくれたのだろう。すぐに彼に「いや、ありがとう」と礼を言おうと思い口を開いた瞬間、気付いてしまった。開けられたシャツの襟の傍に、赤く掠れた痕跡があるのを。あの男が付けた印を。

(っ、見られた?)

目の前が暗澹とした闇に遮断される。男娼としてハチと出会ったのだから、俺が体を売っていることがハチに知られていることなど百も承知だった。けれど、ハチに見られた、知られてしまった、その気持ちだけに追い詰められていく。もう、駄目だ、と。

(絶対に、嫌われた)

思わず、ぎゅ、っと目を瞑った。彼の軽蔑する眼差しを想像するのも絶えれなくて。

「あ、喉渇いたんじゃないか? 何か飲み物、飲むか?」

けど、ハチはそのことに触れることなく、気まずさに落ち込んでいく空気を取っ払うかのように、パン、と一つかしわ手を打った。それから俺の元を離れていくような気配に、きつく結んだ瞼を開け、ほ、っと息を長く長く吐き出す。

(気付いてない…わけない、よな。興味がない、とか?)

その線ならあり得るような気がして淋しかったけれど、それでも嫌われなかったことに安堵しながら、彼の背中を目で追う。自然と、辺りを風景が目に入ってきた。やっぱり、よく知っている光景だった。硬いシーツ、幾何学模様のベッドカバー、絞られた照明にはムードというよりも懐古の色が灯っている。据え付けられたサイドデスクのテレビはぼてっとしたフォルム旧型のものが置かれていて。その上に、視聴を煽る艶やかな言葉が書かれた三角柱のポップが乗っていた。テレビの横には、あまり磨かれてないのだろう白っぽく曇る鏡。だいたい、どこのホテルだって造りは一緒だった。名前しか知らない誰かに抱かれる度に、俺が目にする世界。そう、見慣れた光景だった。-----なのに、妙な違和感。

(あぁ、そうか)

テレビとかがある机の下、小型の冷蔵庫を前に俺に向けられた背中は、とても新鮮だった。最初に出会った夜以来、一度だって目にすることのなかった光景なのだ。パズルのピースがずれているときのような、ちぐはぐさを覚える。ハチとホテルにいる、ただそれだけなのに、どうしようもなく胸が苦しくなる。ずっと望んでいた光景。希って希って焦燥するほどに願った光景。けれど、俺とハチの距離は、まだ、遠くて。

「何、飲む? アルコールじゃない方がいいよな」

柔らかな橙色の光を背に、深い影を背負って振り向いたハチは優しい眼差しで。

(ハチに触ってほしい。愛されたい。誰よりも、ハチに……)

俺はベッドから降りると、せめて、物理的な距離だけでも縮めようと彼へと近づいた。彼は「何か飲みたいものあるか?」と、日向のように温かな笑顔で俺を迎える。効きすぎた空調がまき散らす埃が咽喉に絡みついて途切れ途切れになりながらも「ハチ」と呟く。そんな俺に、ハチは「ん?」と変わらぬ笑みのままで。

「俺を、抱いてくれないか?」

(他の誰からも愛されなくていい、ただ、ハチに愛されたい)






なんだかそれは、幸せの形をしたものに見えた。

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