※久々知が男娼。ゆえに、気持ちR-15以上で。



(あー、かったりぃ)

凝り固まった筋肉に首筋をぐるりと回そうとして、やめた。代わりに、相手に分からぬよう掌を首の後ろに宛がって、簡単にもみほぐす。天井から吊り下げられたシャンデリアから放つ人工の光がチカチカと目を穿つ。その偽物っぽい美しさが、まるで、今の自分たちを象徴しているようだった。世辞に世辞を塗り重ねた、口説。

(早く、帰りてぇなぁ)

立食するために用意されたテーブルに細やかに施された紋様を、なんとなしに目で追う。隣で微笑みを絶やさずに、ひたすらへつらう言葉ばかりを口にしていた奴が「君、これは飲んだかね」と俺にワインを勧めてきた。

「いえ……これを飲んでますので」

嫌な予感がしたが、相手を振り払うわけにもいかず、俺は手にしていたグラスを掲げ、それを注いだボトルに目をやった。この会場で並んでいるものの中では値段は安い方だが、けっこう俺好みの味で、今度兵助に飲ませてやろう、と思っているものだった。だが、男は不満だったらしく、テーブルにある曇り一つない新たなグラスを俺に握らせた。

「こんな安物なんか、美味しくないだろうに。まぁ、君もこっちを飲んでみるといいよ。君みたいな若造には早いかもしれんがな」
「はぁ」

ごり押しのあまり、ためしに口を付けてみる。が、正直、美味いとは思えなかった。だが、追随と同調を望む顔つきに、相手に合わせるように「おいしいです」と答える。と、彼は満足げにうんちくを語りだした。それを耳の右から左へと流し、機械的に相槌を打っていると、やがてその男は、別の聞き手を見つけに俺の元から去った。

(つまんねぇ……兵助がいればいいのに、な)

自分が美味しいと感じたものを「美味しい」と言えないつまらなさを、共有できる人がいないことの淋しさを、ひっそりと、抱える。遅々としてしか進まないパーティーに、俺は溜息を零し続けた。

(もう、いいよな)

どれくらい時間が経ったのか、永遠に続く退屈さに嫌気が差してきた。(むしろ、俺としては我慢した方だ)嘘と見栄が咲き誇って虚栄話に盛り上がりを見せる会場に後にした所で、俺を気に留める奴はいない。元々乗り気じゃなかったが、それでも、パーティーに出たのは出席を誘ってきたのが恩のある人だったからだ。その人物には、一番最初に挨拶を済ませておいてある。自分がここで抜けても、あとは部下たちがなんとかするだろう、と馬鹿でかい扉ににじり寄った。後ろ手で出ようかと思いきや、さすが訓練されたホテル。傍で待機していたボーイが「おかえりですか」と物腰のいい笑みを浮かべていた。

「あぁ」
「お気を付けて」

慣れた所作に任し、俺は会場だったホールの外へと足を踏み出した。背後で煌びやかな空気が閉じられるのが分かる。喧騒から離れた途端、どっと体に重たいものが、圧し掛かった。

(はぁ、疲れた)

シャツの一番上のボタンをはずし、首元へと指を突っ込む。ぐぃ、と引きぬき、社交辞令の象徴のような絡みついたネクタイを緩めれば、凛とした空気が体に入り込んだ。酸欠のような息苦しさが取れ、ぼやけていた思考がクリアになっていく。そのまま、フロアにある椅子に座りこもうとして、止めた。

(ここにいたら、また、中に連れ戻されそうだもんな)

そのまま、エレベーターへと直行し、下に向かうボタンを押す。機械が作動する音を横耳に、俺はポケットに眠らせてあった携帯電話を手にした。サイドキーを触れば、宵の始まりを告げるデジタルの数字が浮かび上がる。

(待ち合わせまで、まだ、少し時間があるか)

何度見たって、時刻が進むわけじゃないけれど、俺はもう一度、時間を確かめた。土曜の夜、8時。至福の時間。がむしゃらに働いて働いて、媚と嫉妬と欲が渦巻く化かし合いのような世界に辟易し、擦れていく心にやるせなさを感じても、それでも頑張ることができるのは兵助との時間があるからだ。

(兵助に早く会いてぇなぁ)

軽くなった心に合わせるかのように、チン、と到着の音が弾んだ。エレベーターに乗り込み、ロビーがある1階のボタンに合わせて指を抑える。ゆっくりと扉が閉まると、俺は目を閉じ、兵助のことを考えた。

以前は苦痛じゃなかった。笑みを張り付けることも、思いもしないことを口にすることも。ビジネスじゃしかたない、と割り切って、自分の中ですり減っていくものに気付かないふりをしていた。そうじゃなきゃ、生きていけないと思っていた。-------けど、兵助と出会って、少しずつ、俺の中で変わっていった。ありのままに、自分の感情を素直に出すことの喜びを、笑うことの楽しさを。

(……今すぐ、兵助に会いたい)

もちろん、そんなこと叶うはずもないのは分かっていた。それでも、そう思わずにはいられない。まだ早いのは分かっていたが、このまま待ち合わせ場所に直行しようか、としまらない頬でエレベーターを降り、そのまま足早にロビーを横切ろうとして、

「あれ、兵助?」

夢を見ているのかと、思った。あまりにも会いたくて会いたくて------だから、その思いが強すぎて、夢か幻でも見てしまったのか、と。それぐらい、信じれなかった。俺を見やった兵助も、驚きに目を見開いて固まっている。彼に近づいて「どうしたんだ、こんな所で?」と尋ねると、彼は聞きとれないほどの小さな声で呟いた。「……ハチ、こそ」と。

「仕事関係のパーティーでさ。けど、丁度、今抜けて兵助に会いに行こうと思ってたんだ」

後半は何となく照れてしまって、恥ずかしさに思わず視線を逸らしてしまう。兵助の「馬鹿なこと言ってんなよ」といった類の返しを期待しながら。けれど、いつまでも、彼の声は聞こえてこなくて。引かれた? と焦りに、彼の方へと向き合って、

(ん?)

兵助の様子が、どこかおかしかった。小刻みに揺れる肩は震えているようだった。血の気が失せた顔は唇が下がるようにして結ばれている。酷く怯えた目に、たまらず、彼へと伸ばすと、ひっ、と喉を引きつらせた。後退りする兵助にますます不安になって、名前を呼ぼうとした瞬間、彼は弾けるようにして、飛び去った。

「兵助っ」

一瞬、何が起こったのか分からなくて。すぐさま、兵助が逃げ出したのだ、と気がつき、雑踏に呑み込まれていく背中を慌てて追いかける。

***

「っ」

想像以上に兵助の足は速かった。息が詰まる。入り込む空気が棘みたいに痛い。ひゅ、と喉が鳴り、体中が酸素を求めているのが分かった。けど、今、止まるわけにはいかない。何としても、兵助に追いつかないと。たとえ、昏倒しても、見失うわけにはいかない。そう言い聞かせ、必死に手足を動かす。人混みに呑み込まれそうになる背中を、目を凝らして追い続ける。

(何で、逃げるんだ? 俺、何かしたか?)

夜も闇が帯び始めた時間となれば、道は家路を急ぐ人や今から食事や飲みに繰り出す人たちで溢れかえっていた。その人波を何とか掻き分け、群衆に消えそうになる兵助を必死に追いかける。ぶつかり、怒声を浴びせられても、止まる暇もなかった。汗で視界が滲む。

(っ、もうちょっと)

疲労感と呼吸困難の苦しさはとっくにピークに達していたが、それは兵助も同じだったようで。少しずつ、距離が縮まっていくのが分かった。あと一歩で追いつく、と思った瞬間、兵助の体が、ぐらり、と傾いた。

「兵助っ!?」

必死に手を伸ばし、ずるり、と力が抜けた体を受け止める。兵助は「ハチ」と小さく喘ぐと、そのまま目を閉じた。苦しそうに固く結ばれた口元に、ぎゅ、とふ寄せられた眉。想像以上に細い体躯に、俺の心臓がざわざわと騒いだ。





なんだかそれは、幸せの形をしたものに見えた。

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