※久々知が男娼。ゆえに、気持ちR-15以上で。




仕事の量を減らしたい、と店長に告げれば、あっさりと受諾された。さんざん世話になった身だ、慰留というよりは脅しに近い文句の一つや二つ覚悟していただけに、拍子抜けした。仕事を減らす理由を店長は聞いてくることはなかった。けど、薄々は感じとっていたのだろう。俺が「土曜日だけは入ります」と伝えると、店長は「お前は男娼だってこと忘れるなよ」と渋い顔をしていたから。

(分かってる。-------けど、もう遅いんだ)

あくまでも、自分たちは性を売って金をもうけている存在で、相手を好きになったところで報われることなどないことを。けど、もう、手遅れだった。他の客と肌を重ねるたびに、これがハチとだったら、と思わずにはいられなかった。そして、酷く何かがすり減っていっている気がするのだ。ぽっかりと、虚が心を巣食っていくのだ。

(ハチと会うたびに満たされるものがなくなっていく)

ハチが好きだ、という気持ちさえも、このままじゃ汚いものに犯されそうな気がして、俺はこの仕事から足を洗うことを決めた。生活のことは多少不安だったけど、睡眠時間を削って別のバイトでもすればなんとかなる。そう考え、俺は店長に仕事をする日を減らすことを直訴したのだ。土曜日を除いて、もう仕事を入れないように、と。本当は、きっぱり辞めたかったのだけど、そうすればハチに会えなくなる。

------俺とハチを繋いでるのは、皮肉なことに『男娼』と『客』という関係だけだった。

素性も知らない、住んでいる所も、ましてや携帯番号なんて。好きだ、と思ってるのは俺だけで、俺とハチとの関係性は最初からちっとも変ってなかった。恋人になりたいなんて、おこがましいだろう。そんな高望みをする気はなかった。ただ、『男娼』と『客』という関係でいいから、せめて、体を重ね熱を分けることくらいは夢を見てもいいじゃないか、と思わずにはいられなかった。けど、最初の夜以来、ハチが俺に触れてくることは一度もなかった。

***

気だるさに溺れる瞼を辛うじて開けると、枕元に据え付けられたサイドボードの下部に、ぼんやりと薄緑色の数字が並んでいた。きっちりと遮光カーテンを閉められていて全く外の光が入り込んでこないせいか、一瞬、朝かと焦りに目が冴えた。

(違った。よかった)

秒を刻むために点滅するコロンの下にはp.m.の文字が照らし出されて浮かび上がってるのを確かめ、ほ、っと息をついた。それでも、今が午後だ、という現実感は遠い。昼の溌剌とした光から遮断された部屋のベットに俺は疲れ果てた四肢を投げ出していた。この仕事とは別に入れ出した夜通しのバイトがあけたと同時に呼び出された。仮眠する間もなかったのは、さすがにキツイ。

「あ、起きた」

感慨も何もない声が俺の頭の上を通り過ぎていく。この男と寝たのは久しぶりだった。土曜しか仕事を入れてない、というのをどこからか嗅ぎつけてきて、無理やり予約をねじ込んできたのだ。俺よりも少しだけ年上の男は、どっかのやり手の企業の幹部職だと聞いたことがある。

(詳しいことは忘れてしまったけど)

たいして興味のないことだったから、ふーん、と聞き流していたが、昼間の盛りに連れ込まれたのが煌びやかな装飾に彩られたホテルの一室だったことで、それなりに金を持ってる奴だったことを思い出した。最近は、疎遠になっていたとはいえ、一時は、それこそ上客といっていいほどの頻度で男を受け入れていた。

(店長は気前がいい、って言うけど、性格は最悪だ)

部屋に入るや否や早急に求められ、尽きることがないんじゃないか、ってくらい打ち付けられた欲は苦痛でしかなかった。今も、立ち上がるのが億劫なくらい、腰が痛い。当然、そこに労わりの言葉はなかった。それでも、我慢したのはこの後にハチに会えるからだ。

(あと、3時間か)

シャワーはこの後で浴びるとして、いったん、家に戻ることもたやすい。男に粗雑に扱われ、シャツのボタンが飛んでしまったのを思い出して、着替えだけは必ずしてかないと、と思う。新たな服をゆっくり選んでも十分な時間だった。土曜日の、午後8時。いつもと変わらないハチとの待ち合わせまでのことを頭の中で算段する。それだけで心が弾むのが分かった。

(早く、会いたい)

ハチのことを考えていると、ふ、と胸に入り込んだ煙に咳き込んだ。いつの間にか、男は俺の方を見ることもなく、煙草を銜えていた。それだけじゃない。汗をかいて体の水分が失われている上に、籠っていた熱が冷め出した室内は、どことなく埃っぽい気がした。空咳を2,3回零したけれど、まだ、喉のあたりに何かが貼りついている感じがする。重たい体を抱えながら、不安定に軋むベッドから降りる。卵色のルームライトに淡く照らされだされた部屋は、際までははっきりはしてないものの、相手の表情が分かるくらいには明るい。体を重ねている間は全く思わないのだが、事後に見られるのは何となく苦手で、俺は足元でくしゃくしゃになっていたローブを適当に腰のあたりに巻きつけた。まだ男のものが体に残っているような、気持ち悪さと痛みを覚えつつ、ほんの数歩だけ歩く。部屋に備え付けられている小さな冷蔵庫の前に立ってから、俺は後ろを振り返った。

「ミネラルウォーター飲んでもいいか?」

上半身を起こして、ベッドの上で煙草をふかしていた男は遠くに投げていた視線を俺の方に移した。長い指に挟み込んだ紙巻を唇から外すと紫煙と共に「俺にもビール取ってくれ」と吐き出した。必要ないだろう、と返事をせずに屈み、冷蔵庫のドアの取っ手に力を込める。ぎゅ、っと引っ張ると、吸着し合っていた力が弾け、部屋よりも明るい光がそこから流れ出た。

「色々種類があるけど、」

安いビジネスホテルとは違い名高いホテルの、さらに上質な部屋だからだろう、冷蔵庫の中には様々なアルコールが入っていた。そう考えれば男が所望したビールは安い部類なのだろうが、転がっているビールの缶は、普段、俺が見かけたことのないようなものばかりだった。せめて日本語かもしくは英語であれば多少は理解できるのだろうけど、あいにく、缶に表記された文字は俺にとって記号でしかなかった。この男が何を嗜んでいたのか、さっぱり分からず尋ねる。すると彼は少し苛立ったように声を荒げた。

「黒だっての、忘れたのか?」

続いて告げた商品名は外国の言葉で綴られていて、そう言えば、前にも聞いたことがあるような気がした。とりあえず、冷蔵庫の中から冷え切った缶を取り出す。指先が、じん、と痺れた。

(はっきりとは、覚えてないけれど)

正直に言えば男の機嫌を損ねるのは目に見えていた。だとしても、どう返せばいいのか分からず、俺は黙るしかなかった。男はさらにイライラした様子で、まだ長い煙草をそのまま灰皿に押しつけた。それまで真上に燻らされていた煙が揺れ、やがて霧散する。あたかも目の敵のように男は、指に渾身の力を込めて、すり潰した。

「……もういいし」

毟るごとく乱雑に男は自己の髪を掻き撫でると、それから、ぽつり、と呟いた。ほ、っとした俺は、これ以上、男が不機嫌になる前に、と自分のを後にして缶ビールを彼へと届けることにした。ん、と必要最低限の言葉数で差し出す。俺よりも一回り太い手がこちらへと伸びて、

「なぁ、もう一回、しないか?」

手首ごと掴まれた、と感じた次の瞬間に俺の体は男へと引きずり込まれていた。咄嗟のことに太刀打ちできず、バランスを崩したまま、男の胸元に倒れこむ。ぶわり、と嗅覚を刺激する煙草と男の体液の臭いに、くらり、と眩暈う。むせかえりそうな程、気持ち悪い。べたべたと纏わりつこうとする男の手をなんとか押しのけ、きっぱりと断る。

「しない。もう契約の時間は終わりだ」

だが、まさぐる男の手が止まることはない。鎮火した薪炭を団扇であぶるかのように、落ちた熱をなんとか高めようと触る手つきの速度が上がる。へらりとした「いいじゃん、」という言葉と共に耳朶を甘噛みされる。嫌悪感が一気に募り、俺はさっきよりもきつく言った。

「終わりだって言ってるだろ」
「延長すればいいんだろ」

金ならいくらでもある、と、俺の頬を舐めるように触れてせせら笑う男に「この後、用事があるから」と断ると、それまで喉を鳴らして嘲笑していた男の表情が固まった。まるでタールみたいな、どろり、と濁った眼差しは何の感情も灯してないように思えて、逆に怖い。

「……最近、冷たいよな。土曜日にしか入らないらしいし。恋人でもできたのか」

ハチとのことは知られたくなかった俺は黙ったまま首を横に振った。すると、男の形相が瞬く間に変化した。唇は嘲弄に引き上がっているのに、目は全く笑っていない。暴力的な力が向けられるならば応戦することも辞さないと、ぐ、っと拳を握りしめていると、不意に、男の喉から引きつった笑いが静けさを劈いた。

「そうか、そうだよな。お前みたいな汚い体をしている奴に恋人なんかできるはずないからな。釣り合うわけねぇし。住む世界が違いすぎる。どうせ、客なんだろ。にしても、俺を断るなんて、よほどの上客なんだな。まぁ、体目当てなんだろうけど。お前みたいなひねくれ者を愛してくれる奴なんか、いるはずないもんな」

(恋人なんかできるはずがない、か)

***

暴力的な言葉に反論できず固まってしまった俺に男は覆いかぶさってきた。ちぢに切れ切れとなった心となっては抵抗する気力にもなれず、ただただ、壊れた人形のように男の熱を打ちこまれ続けた。ようやく男に解放された頃には、すっかりと夕闇が街を包み込んでいた。

(……最悪、だ)

ばらばらになってしまったかに感じる体を引きずりながら部屋を後にする。シャワーは浴びたけど、まだ、あの男の臭いが体中に染みついているみたいで気持ち悪かった。風呂に入りたい気分だったが、ハチとの待ち合わせを考えると無理そうだった。せめて服だけは着替えたい、と、足早にホテルのロビーを横切ろうとして、

「あれ、兵助?」
「っ」

飛び込んできた声に、息の根を止められた。そこには、いつもは一番会いたくて、そして、今は一番会いたくない人が立っていた。ハチ、だった。

(会いたくなかった、こんな姿で、こんな場所で)

「どうしたんだ、こんな所で?」
「……ハチ、こそ」
「仕事関係のパーティーでさ。けど、丁度、今抜けて兵助に会いに行こうと思ってたんだ」

そう笑うハチはいつもよりもずっと堅い服装に身を包んでいて、知らない人みたいだった。けど、この煌びやかな場には相応しく、自然と馴染んでいる。対して、見下ろした俺は、くしゃくしゃの服にぼろ雑巾みたいな汚い体。痛感させられる。いかに、自分と彼が住む世界が違うのか。

(----どうせ、俺が愛されることは、ないんだ)

「兵助っ!?」

気がつけば、俺はその場から逃げだしていた。





なんだかそれは、幸せの形をしたものに見えた。

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