※現パロのような、そうじゃないような。とりあえず、日本じゃないです。



「どんな話がいい?」
「三郎の話なら、どんなのでもいいよ」

窓の向こうで、ひゅん、と一つ星のような雨が流れた。宇宙を旅しているみたいだった。彼に手渡した本の世界にいるようだ、と思い、それから、その結末がとても淋しいものだということが頭の隅を過って、酷く哀しくなった。しん、とした彼の眼差しの中で埋もれる黒曜に宿る、アルビレオ。重なることのない、ふたつ星。彼と僕のように。

「じゃぁ、旅人の話をしてあげよう」
「旅人?」
「あぁ。その旅人は、実は詐欺師でした」

え、と驚きをそのままに素っ頓狂な声に変えてしまった僕に、三郎はしぃと唇の前に人差し指を立ててみせた。だから僕は、三郎みたいだ、という言葉をそっと飲みこむ。優しい空気を紡ぎながらゆっくりと吟じるように彼は語りだした。最初の夜のように。---------それは、不思議な不思議なおとぎ話だった。

***

その詐欺師は、街から街へと渡り歩き、老若男女関係なく、様々な人を騙し続けていました。けれど、それを悪いことと思うことはありませんでした。なぜなら、そうやってしか、男は生きていく術を持っていなかったのです。食べ物を手に入れるためなら、寝るベッドを手に入れるためなら、誰かを騙すことなど簡単でした。何のためらいもなく嘯き、生きてきたのです。

男はあまり一つの街に長くいられませんでした。嘘がばれる前に次の街に渡っていかなければなりませんから、とても身軽でした。何より、男は身一つ、いや口一つで生計を立てていましたから、あまり荷物はありませんでした。男の持ちものはたった一つ、小さな小さな黒トランクだけでした。

そのトランクは男の母親が男に残した唯一のものでした。男はそこに全てのものを詰め込んでいました。

ある時、詐欺師は長距離列車に乗りました。大陸を渡る、長い長い列車でした。そこで、男は運命の出会いを果たしたのです。その出会いとは、自分とそっくりな男でした。詐欺師はは、驚きました。自分とこれほどまでに似た顔の人物がいるのか、ということを。もちろん、世の中には似た顔が三人いるというのですから、それほど不思議なことでもなんでもないのかもしれません。けれど男は彼が-----あぁ、二人とも男では不便だから彼と呼ぶことにしましょう--------彼が散乱させた荷物の山を見て、また驚いたのです。いえ、驚きというよりは愕然、というのに近いのかもしれません。同じような顔をしながら、こうも違うのかと。彼は、何でも持っているような気がしました。だから男は思いました。

「こいつも騙してやろう」と。

男は親切なふりをして、彼がぶちまけたトランクの中身を拾おうとしました。彼は恐縮したような表情を浮かべました。詐欺師の心得の一つは、いかに早く怪しまれずに、相手の心の内に入り込むかということです。懐の中に飛び込んでしまえば、なかなか気付かれにくい。そのための策は簡単なものです。相手を褒めればいい。顔立ちでも服でも持ちものでも。そこで、男はたまたま目に留った本を手に取りました。一度も読んだことのない本でしたが、その濃い藍色の表紙に並んだ二つの星の美しさに、惹かれたからです。その本を褒めると、彼はとても嬉しそうに微笑みました。

荷物を拾い終えると男は一度彼から離れました。あまり急に距離を縮めては不審がられるだろう、と。もちろん、あまり時間はありません。たとえ終点まで一緒だとしても、せいぜい数日間。その間に彼を騙さなければなりません。どう騙そうかベッドの上で思案していると、不意に、彼の方から声を掛けてきたのです。お礼にご飯を、と。これは飛んで火に入る夏の虫、というのでしょうか。いや、むしろ自分が騙されているのかもしれない、と男は思いました。ですが、彼は変わらぬ柔らかな笑みで言ったのです。

「二人の方が楽しいよ。ほら、旅は道連れ、って言うし」と。

男は毒気を抜かれました。狐につままれたみたいな気がしましたが、彼がさも当然とばかりにその言葉を言うので、これはチャンスだと思い、さっさと食堂車に向かおうとしました。すると彼は男のトランクをまじまじと見ていました。例の、男の全財産のトランクです。その時、ふ、と思ったのです。

(私が詐欺師だと言ったら、彼はどんな反応をするだろうか)

思うがままに彼に身上を明かすと、彼は驚きこそしたものの、想像していたのとは違い、男から逃げ出すことも媚びへつらうこともなく、そのまま男に付いてきました。男はますます混乱しました。真っ白のシーツのような、こんなにも素直で真っすぐな人に、男は出会った事がなかったからです。名前を問えば、彼は偽名ではなく本名を告げてきました。また、開いた口がふさがりませんでした。あまりに純粋な彼が少しだけ心配になって忠告しました。旅は道連れなんてまやかしなのだ、と。けれども、彼は楽しそうに笑うばかりで、ちっとも男の言葉を信じていないようでした。その笑顔に呆気に取られながらも、なぜだか偽名を使うことがくだらないことのように思えてきて、男はいくつもある名前の中から、母親に呼ばれていたものを彼に打ち明けました。

男は少しずつ彼の事が気になっていきました。

自分が話す作り話を真剣に聞いてくれる彼が。楽しい話の時には心から笑い、哀しい話の時にはそっと涙ぐみ。彼が朝寝坊した時も、さも当然のように、「朝食を待っていてくれたのだろう」と信じて笑いかけてくれる彼の事が気になって気になって仕方ありませんでした。気が付けば、彼は男の心の中に棲みついていたのです。

男はもっともっと彼の事を知りたいと思うようになりました。けれども、そう思った途端、あれほど流暢に回っていた舌が、急に動かなくなりました。彼について何かを訊ねようとする度に、襟を掴まれ引きずり戻されるみたいに、言葉が出てこないのです。何度試しても、駄目でした。そこで、男は彼が持っていた本を借りました。何か、喋るきっかけになれば、と思ったのです。けれども弁は立つものの学は正式に修めてない男には、その本はなかなか手ごわいものでした。慣れない言い回しや昔の字体に読み進めるのには骨が折れそうでした。それでも、気が付けば男はその美しい世界に引き込まれていきました。

そうして男は、その哀しい結末を知りました。

主人公の少年を取り残して、いつのまにか友人の少年はいなくなってしまうという。哀しみに溢れた心を一人で抱え切るには、あまりに辛く男は彼と喋れば少しは楽になるだろうかと考え、彼を探そうとして……いました。彼は部屋にいたのです。昨日は一日展望車にいたというのに、一人で部屋で佇んでいる彼を見つけて、男は驚きました。そのまま話しかけると、彼は咄嗟に嘘を吐きました。あまりに下手な嘘でした。

聖人の彼は、嘘を吐くことがあまりに下手でした。

男は自分と彼とが生きている世界の違いを、まざまざと感じました。彼に直接に言うことはありませんでしたが、彼は聖人で己は詐欺師なのだ、と痛感したのです。どれほど心に彼が棲まおうと、彼が現実に生きる世界は己にはあまりに明るすぎるのだと。だからこそ、男は残された時を彼と過ごせたら、と思いました。男は彼とお昼に共に食事をする約束を取り付けた時に、嘘を吐くこつを教えてあげました。

きっと彼には必要ないだろう、と感じながら。

お昼を食べている時に、男は過去の話をしました。彼は男の話をとても真摯に聞いてくれました。男は心から嬉しく思いました。できることなら、このまま世界の果てまで一緒に行けたら、と男は希いました。けれども、男は知っています。願いが叶うことはないことに。

彼から借りた本のお話と同じようにように、共に降りることはできない、と。

トランク一つですら大荷物の世界に、彼を引きずり込むわけにはいかないのです。男は詐欺師です。本来は昏い昏い深淵の住人なのです。明るい光を知ることができただけで、もう、それで十分なのです。だから、別れを告げなければいけません。これ以上、彼を手放したくなくなる前に。

彼にとっての「ほんとうのさいわい」は、男とは別の世界にあるのですから。

だから、男は「本の続きを読む」という嘘の口実を作って彼から逃げようとしました。このまま、こっそりと消えてしまおうと思いました。けれど、驚いたことに、消えたのは男ではなく彼の方でした。男は探して探して探して、ようやく彼を見つけました。すると、彼は男が希った言葉を口にしたのです。

「このまま、旅が終わらなければいいのに」と。

あまりに優しく甘い、そして哀しい夢物語でした。男と彼が共に生きること、など。それは彼も気づいているのでしょう。トランク一つ以外の荷物を捨てれないだろう、男が問えば、彼は否定することはできませんでした。それでも、男は構いませんでした。たった一度でも、彼が男と共に生きることを望んでくれたのだということが分かったからです。その思い出があれば、これからも独りで生きていけるような気がしました。

旅の終着駅は、もう、そこでした。

男は一足先に列車を降りることにしました。後悔はありません。もしかしたらこれが「ほんとうのさいわい」なのかもしれない、そんな気が男にはしていました。そうして、列車を降りた男は彼から借りたままの本を思い出に生きていきました。彼もまた男とは遠く離れた世界で「ほんとうのさいわい」を見つけて倖せに暮らしましたとさ。


***

「おしまい」

まるで絵本を読み聞かせるような口調で三郎は終わりを示した。けれど、それは、おとぎ話なら必ず付く「めでたし、めでたし」という言葉じゃなくて。それが、とても淋しかった。彼が幕を降ろそうとしているのが、切として伝わってきたから。けれど、僕はまだ終わらせたくなかった。

「……ねぇ、それって、三郎が作った話なのかい?」

あの日と同じように訊ねる。はた、と彼は目を伏せた。きっと気付いているのだろう、あの日と同じだと。ゆっくりと息を三つ分、沈黙をなぞらえた後、彼は口の端を引き上げた。完全に描き切れない弧が、それでも何とか冗談めかそうとしているのが分かる。

「さぁ、そう思う? 私は詐欺師だからね」

ここまできて、まだ騙し合おうとする彼はやっぱり詐欺師だった。正直者の詐欺師。

「……もし作り話だとして、嘘だとして、本当のことは、何なんだい?」
「え?」
「三郎、言ったじゃないか『上手に嘘を吐くにはな、一つだけ本当のことを入れておくんだ』って」

だから一つだけ入っている本当のことは何だというんだい、そう僕は三郎を問い詰めた。彼は哀しげに微笑んで、それから、僕の額に優しい口づけを一つだけ落とした。一瞬だけ彼の唇がふれた個所から熱がじんわりと僕の中に広がり、それから、ゆっくりと空気に溶け消えていく。

「全部、嘘さ……さぁ、そろそろお話はおしまいだ。もう寝よう、お互い、明日は早い」

その詐欺師は、詐欺師のくせに嘘を吐くのがとても下手だった。



嘘つきな聖人と正直者のペテン師


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