※現パロのような、そうじゃないような。とりあえず、日本じゃないです。


朝食も終え、部屋に戻ってくると三郎は僕の「本を貸してほしい」と手を差し出した。

「本?」
「あぁ、君が持ってるやつ」

ほら昨日ここで落としてただろ、と続ける三郎に「いいけど」と僕は今にもはちきれんばかりに肥大したトランクの金具を外した。とたんに、中身が弾け飛ぶ。どうせきちんと仕舞ったって、また荷物を出すたびに散乱するのだろう、と下車する前まではトランクの中を整理するのを諦め、そのまま押し込んでいた。だから、まず、朝突っ込んだパジャマ代わりの衣服が崩れ落ちてきた。そこをかき分け、布の山の下敷きになっていた本を救出した。何度も何度も繰り返し読んできたせいで、少しよれている本の表紙を僕はそっと撫でた。この本の象徴である夜空みたいな濃い藍色のカバーに二つの星-----金色と青色のそれ-----が、散っている。

「はい。でも、読んだことあるんでしょ?」
「まぁ、な。けど、もう一度読みたいと思ったからさ」

ありがとな、と三郎は笑い、受け取ると梯子を使ってベッドの上段へと上がってしまった。僕と彼とを隔てる一枚板が小さく軋み、それ以降は音が途絶えた。当然、ページをめくっているだろうし、身じろぎくらいはしてるのだろうけれど、列車の車輪が枕木を踏みしめる沓音に全てがかき消されてしまって。

(……あ、)

まるで、その場に僕一人が取り残されたようだった。静けさだけを淡々と刻む列車の振動に、三郎はすぐそこにいるはずなのに、どうしてだか淋しさを覚えた。この本に出てきた少年が、いつの間にか共に歩もうと誓った人を失った時のような。

(変なの)

もともと誰かと連れ立つのも嫌いじゃないけれど、一人で静かに本の世界に浸ることも好きで。だから、一人でいることは慣れていた。むしろ、好んで一人でいることもあった。一人でいる方が楽なことも多かった。今回だって一人旅を選んだのだ。最上級生になる手前の長期休み、多くの同級生はそれこそ思い出作りのために友人同士で誘い合って旅行などを計画していた。僕も声を掛けられたけど断ったのは、この目で、この耳で、この体で感じたかったのだ。------僕の知らない、本当の世界を。

(だから一人でいるのなんて平気なはずなのに)

耳を突く静寂に落ち着かない。当たり前だったはずの静けさが、逆に煩い。昨日の午後みたいに三郎を部屋に置いて展望車に行けば気がまぎれるのは分かっていた。けれど、足が進まない。昨晩のように三郎とおしゃべりがしたくて。でも、声をかける勇気もなくて。僕は下段のベッドに座り込み、車窓の向こう、飛び去っていく景色を眺めることしかできなかった。

-----------------どうすることもできない、『独り』を感じながら。



***

どれぐらいその孤独に苛まれていたのだろうか、ひそと黙された世界に柔らかな響きが灯った。

「今日は行かないんだな」

振り返って声のした方を見上げれば、半分よりも少し手前、丁度、少年が鉄道に乗った辺りだろうか、本の途中に栞紐を挟みこんでいる三郎と目が合った。彼の言いたいことの意図が分からず「え?」と一音だけで問い返すと、彼は「展望車」と端的に答えた。それから、歌うように楽しげな口調で続ける。

「ほら、昨日はさ、こっちが心配になるぐらい遅くまで展望車に張り付いてただろ」
「あぁ」

昨日は、昼食を共にした後、僕の希望で列車の最前列二階にある展望車両に三郎に案内をしてもらった。前と左右を大きなガラスで覆われた車両は高さも相まって、そこから見える世界はまさしく絶景だった。ずっと伸びる線路とその先に広がる青空。両脇を流れていく緑の海。初めて見る光景に、僕は一瞬たりとも見逃したくない気持ちでいっぱいだった。最初は三郎も付き合ってくれていたんだけれど、窓からいつまで経っても離れない僕に呆れ果てて「先、部屋に戻ってるぞ」と帰って行ったのだった。

(だから、ずっとここにいるのを変に思ってるんだろうなぁ)

三郎と一緒にお喋りがしたいから、なんて恥ずかしくてとても言えない。どうやって誤魔化そうかと思案し、彼の疑念を逆手に取ることにした。

「ほらさ、あれだけ見てたら、さすがに飽きちゃった」

なんとか詰まらずに言い切って三郎の様子を覗うと、彼は特に疑問を持つこともなく「ふーん」と相槌を打った。持っていた本を枕元辺りに置いた三郎は、するすると慣れた手つきで梯子を下りてきた。そのままドアへ向かう背中に「どこに行くの?」と思わず声を掛ける。

「展望車」
「えっ!?」
「雷蔵も来ないか?」

誘われた嬉しさに「うん、行く」と即決する。すると、三郎は唇を楽しそうに歪ませ、くつくつと喉を鳴らした。その波はだんだんと大きなうねりとなり、彼は体を揺らして笑いだした。どうして彼が相好を崩したのかちっとも見当がつかず、ぽかん、と彼を見つめていると、彼は皓い歯を覗かせながら僕を見遣った。

「雷蔵は嘘が下手だな」
「え?」
「さっき、展望車に飽きたって言ってなかったっけ」

まぬけにも「あ」と声を出し、嘘と押しきることもなく肯定してしまっていた。ますます三郎の口角が上がり、腹を手を当て体を捩じるようにして笑いだした。「やっぱり、雷蔵は嘘が下手だ」と。



***

ひとしきり三郎が笑い終えたところで、僕たちは展望車へと足を運んだ。昨日はそれなりに人がいた車両も、今は影すら見当たらない。その疑問を三郎に呈すると「あー、もう昼時だからじゃないか。食堂車に行ってるんだろう」と彼は時計に視線を投げた。つられて僕もそこに目を向けると、短針と長身がちょうど重なった所よりも少し下の方にずれていた。いつの間にか、そんな時間になっていたらしい。自分が寝坊したこともあるのだろうけれど、なんだか、時の流れがとても早いような気がした。

(明日の今頃には、目的地か)

買った切符に綴られていた到着時刻は、明日の正午前。その前にもいくつか停車駅があるから、多少の前後はあるだろうけれど、あと一日なのだ。この列車に乗っているのも、それから、三郎と一緒にいられるのも。そう思ったら、ぽっかり、と空虚な穴が開いてしまったかのようだった。すぅ、と、ひっそりとした冷たさ僕を通り抜ける。

「お昼はどうする?」

そんな僕はお構いなしで三郎が話しかけられた。すぐに反応できずに「え?」と聞き返すと、三郎は「だから、昼食」とさっきよりも少し大きな声を上げた。

「あ、昼ごはんね。うーん、特には決めてないけれど。でも、朝、遅かったからもう少し後でもいいかなって」
「けど、あんまり遅いと食堂車が閉まるぞ」
「そうなの? でも、本当に今お腹すいてないんだよなぁ」

起きた時間が起きた時間で朝食もぎりぎりに食堂車に飛び込んだ形になってしまったけれど、それでも、しっかりとサービスされたっぷりと満たされたお腹は中々減っていない。今すぐ食べに行ったところで、ほとんど何も入らないだろう。どうしようか、と考えていると三郎が「なら」と提案してきた。

「ここで食べないか?」
「ここで? いいね。売店か何かで買ってくるのかい?」
「いや。あと一時間くらいすると次の駅なんだが、そこで、結構、長い間止まるんだ」

こういう長距離列車では、いくつかの駅で一時間程度止まることがあると聞いたことがある。そのままでは傷みやすい食糧や少なくなった燃料を積み込んだり、車体が悪くなっていないか簡単な点検をするために駅に留まるのだという。三郎もその事を指しているのだろう。だから「うん、それで?」と相槌を打った。

「その駅でな、サンドウィッチ売りが来るんだが、そこの牛乳が美味いんだ」
「サンドウィッチ売りなのに、牛乳が美味しいの?」
「あぁ。もちろんサンドウィッチもいいけどな、牛乳は格別なんだ」

魅入っているような三郎に声音に、随分と入れこんでいるのが伝わってきて「よく食べるの?」と訊ねると、彼は少しだけ驚いたように僕を見、それから視線をガラス窓の向こうに投げた。そうして、少しだけ遠い目をして呟く。「昔、な」と。そこに宿る翳に、僕は何も言えなくなってしまって。また、独りぼっちになってしまったかのような感覚に陥った。別に、あの本みたいに「どこまでも一緒だ」と誓ったわけでもなければ、目の前から三郎が消えてしまったわけでもない。勝手に、僕一人が取り残されたような気になっているだけだ。そうは頭で分かっていても、その感情に溺れて息が苦しい。

(どうしてこんなにも淋しいのだろう)

雁字搦めになっていく鎖を解いたのは、誰でもない三郎だった。

「雷蔵、いいことを教えてあげるよ」

そう話しかけられ、ぱちり、と思考が弾ける。す、っと呼吸が楽になった。さっきと何も変わってない。目まぐるしく流れていく三郎の背後の世界とその彼の目に宿る光がはっきりとしたものになった以外には。僕はさっきまで話していたサンドウィッチと牛乳のことの続きかと、頷いた。けれども、微笑みを刻んだ彼が口にしたことは、全然、脈絡もないことだった。

「上手に嘘を吐くにはな、一つだけ本当のことを入れておくんだ」



嘘つきな聖人と正直者のペテン師


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